ありがとう、平成――。2019年5月に改元を控え、特別な思いを募らせている地域がある。岐阜県南部、旧武儀町(現関市)にある「平成(へなり)地区」。30年前、新元号と同じ漢字を使うことから脚光を浴び…続き 元号公表時期、年明け判断へ 4月を想定 [有料会員限定] 「#平成最後」が急上昇 SNS投稿、日常に特別感 [有料会員限定]
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン Jane Sasseen (BusinessWeek誌、ワシントン支局長) 米国時間2008年2月5日更新 「The Economy: Good News for Dems, Right?」 景気後退への不安の高まりを反映し、多くの州で有権者は「経済問題」を米大統領選挙での最重要課題に挙げ始めている。この状況では、共和党の次期大統領指名候補にとっては良い時期とは言えない。 その理由は過去の例を見れば明らかだ。不景気の時に行われた選挙での与党の大統領候補の成績は芳しくない。1980年にはロナルド・レーガン氏(共和党)が、当時現職のジミー・カーター元大統領(民主党)に圧勝した。1990年代初めの景気後退に続く選挙では、ビル・クリントン氏(民主党)
<< 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2008年02月15日 (金)視点・論点 「日本確認・政治」 コロンビア大学教授 ジェラルド・カーチス 構造改革の是非についての議論は盛んですが、どの構造をどういう風に変えればいいのか、改革はゼンであって、改革の反対するのは守旧はとい風潮があります。日本の選挙制度のように問題の多い改革もあって、改革するための適切なモデルはあるのか、改革をどう考えればいいかということについてお話をさせていただきたいです。 ですが、日本の国家目標は、欧米に追いつく事だけではなくて、欧米に追いつき、追い越せであった。1980年代になって、キャッチ・アップの目的地にたどり着くと、今度は、欧米を追いこそうという段階に入りました。問題は、欧米に追いつくまでは機能していた日本のシステムが、今度は一転、機能しなくなりました。ジャパン・モデルが行き詰まり、やがて失われ
朝日新聞社説「日米合意――協定改定への一歩に」を読みながら、日米地位協定(安全保障条約第六条に基づく施設および区域ならびに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定)は改定すべきなのだがとつぶやいて、しばし考えこみ、桜並木でも見るかと散歩に出て、戻る。 当面の問題としては、米兵の犯罪だともいえる。朝日を引く。 日本で殺人などの重大な罪を犯した米兵の身柄引き渡しを含む捜査手続きについて、日米両政府が地位協定の運用を改めることでようやく合意した。 日本側は、容疑者の米兵の取り調べに米軍警察などが派遣する捜査官を同席させることを認めた。一方、米側は、起訴前の容疑者の日本側への引き渡しについて「いかなる犯罪も排除しない」という表現を受け入れた。これまでの殺人と強姦(ごうかん)に加え、強盗や放火などの容疑者の身柄の引き渡しが実現することになる。 その解釈でいいのか、とも疑問に思うのだが、いずれにせよ
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 2月5日のスーパーチューズデーでは引き分けたヒラリー・クリントンとバラク・オバマだが、以降の予備選ではオバマが連戦連勝で勢いを拡大している。 その一方で、ヒラリー陣営では資金ショートを起こしたり選対幹部の更迭劇があったりと明暗を分けている。どうやら3月4日の「ミニチューズデー」でのテキサス州、オハイオ州の戦いが天王山になりそうだ。 「ヒラリー対オバマ」は不毛な抗争なのか? では、この2人の戦いは民主党内部の不毛な抗争なのだろうか。 そんなことはない。何といっても、初の黒人候補だとか女性候補だという意識が完全に消える中、両者の対決の熱気はそのまま民主党の党勢拡大に寄与している。メディアの報道が過熱する中、米国社会には政治不信どころか、改めて政治
総務省の要請により、2008年1月中旬から2月にかけて大手携帯キャリアでは、未成年者の新規加入に対する携帯フィルタリングを原則化した(携帯サイトフィルタリング、未成年者は原則加入に)。まだ新規加入のみの規制なので、それほど具体的な問題は上がってきていないようだが、4月の入学式シーズンには、晴れてケータイデビューする子供たちも増える。規制に対する本当の影響が現われるのは、その頃になるだろう。 しかし今の段階ですでに、多くのコンテンツサービス事業者や学識経験者などから、このフィルタリングに対する懸念が噴出している。当の子供たちはと言えば、基本的には規制されることはイヤだろうから、結果的には誰も良しとは思っていないルールのように思える。 すでに議論も始まっているところではあるが、筆者は何かそこに机上の空論的な空しさを感じてしまう。どうも議論をしている人の中に、「親の立場」の人がいないような気がし
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