言語の番人、知識人 知識人とは、言語の番人である。「世界へ発せられる言葉」をたえず評価し、リードすることが古来からの使命である。しかし現代は発言が無法地帯化しているという知識人にとって歴史上最悪の時代ではないだろうか。知識人が管理する「世界へ発せられる言葉」とは、ある個人が語るべきとして発せられてきたために、評価するに値した。だから世界に溢れるおしゃべりという言語とは違うのである。一般の人でも適当なことをおしゃべりしていて、たとえばいざTVカメラを向けられ、インタビューされるという「世界へ発せられる言葉」というコンテクストにおかれ、それなりに慎重に発言するものである。 現代の無法地帯化とは、ネットの出現によりおしゃべりが活字化され、記録され、「世界へ発せられる言葉」という形態をもつという事態がおきてしまったということである。(ボクはこれをパロールとエクリチュールの造語として、パロリチュール