ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (38)

  • NHKを糾弾 - jun-jun1965の日記

    昨日の午後6時10分からの関東地方ニュースで、東京モーターショーとかの模様を伝えていたが、その冒頭で、ものを運ぶだけではなくクルマを動かす楽しみを知りましょう、などとアナウンサーが言っていた。自動車を遊びで動かすことなど禁止すべきことなのに、何という暴言か。 (小谷野敦)

    NHKを糾弾 - jun-jun1965の日記
    DrMarks
    DrMarks 2007/10/26
    身内の子が来米2箇月で一見(聞)ぺらぺらしゃべる。9月からの学校で悶着があり私が呼び出される。先生曰く、あんなに楽に話せるのに私の言ううことを聞かない。聞かないはず。語彙力まるでなし。本はまだ読めぬ。
  • 「武士の一分」のクズ「武士の一分」のぶり - 猫を償うに猫をもってせよ

    山田洋次の、藤沢周平原作の三部作(といっても事後的に三部作にしただけだろうが)と言われる「武士の一分」をDVDで観たが、ひどく疑問が残った。毒見役をしている武士が、藩主の事に入っていた貝の毒がもとで失明するのだが、これで今後の生活をどうするのか、などと親戚が集まって協議し、は夫の上司に身を任せて、禄をそのままにしてもらうようにし、夫はそれを知ってを離縁するが、実はその上司は何もしておらず、藩主の裁定で身分が守られたと知って、盲目の身で果し合いをする。 だが、毒見役をしていて毒にあたって失明した武士の禄を取り上げる家中などというものがあるだろうか。そんなもの、普通に考えたって、仕事の上での事故なのだから、むしろ褒賞があってしかるべしである。どうやら山田洋次は、徳川時代というのはよほどひどい時代だとでも思っているらしい。 確かに、藤沢の原作にも、それに当たる箇所はあるが、描き方が全然違う

    「武士の一分」のクズ「武士の一分」のぶり - 猫を償うに猫をもってせよ
    DrMarks
    DrMarks 2007/10/18
    mitahiroshi さん、なるほど。それもそうだ。しかし、それ以外の愚作の理由を挙げるのも面倒になるほど愚作という場合もあるかもしれません。私もやります。「けっゴミ!」要するに、批評に値しないレベル。
  • 会いたがる人 - jun-jun1965の日記

    どうも世の中には「会って話したい」と言う人がいる。これが、美女が「プライベートでお話したいわ」とかいうのであれば、あるいは親しい編集者が、今度事でも、とかいうのであればいいが、仕事その他の話で、それも、単行を書くので初対面で相談するとか、連載をするのでとか、それならいいのだが、そうではなくて、電話で済むところを、「会って話したい」と言い募る人がいて、これはだいたい「脅す」か「泣き落とす」か「情に流す」のどれかが目的である。実際、電話で話して埒の明かないものが、会って解決したためしなどなくて、単にごまかされて禍根を残すだけである。 それでひとつ、まだ前の結婚していて、大学に再就職するつもりであちこち公募に出していた頃、某大学教授が、人を介して、会いたいと言ってきた。私は、別にその人のことをよくは知らなかったが、あわよくば就職の話でもと思って、某所居酒屋へ出かけたが、別段そういう話でも

    会いたがる人 - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/10/16
    かわいそうに。しかし不思議だ。猫猫先生が勝手に就職の話と思い込んだのか。あるいは教授はNGで面接を終えたつもりだったのか。いやはや目的なしの面会とは。ともかく会ってお話したいという言い回しがあったな。
  • 高山宏の怖い自伝 - jun-jun1965の日記

    「超人高山宏のつくりかた」題名からして、ご乱心あそばされたか、だが、『文學界』のインタビューによれば、さすがに自分でつけたわけではないとのこと。 内容はといえば、全編戯文調で、盛んに四方田犬彦の『先生とわたし』が出てくるところから、二ヶ月程度で書き飛ばしたものと思われる。自慢および仲間褒めだらけである。 高山氏に何も意趣遺恨はないのだが、つきあう相手が悪い。中沢新一、田中優子がいるし、松岡正剛もいる。松岡氏にも遺恨はなかったのだが、「千夜千冊」で、名を兼仁という光格天皇が、来は「兼仁院」となるはずだったなどと、諡号を理解していないことを書いていたのでメールをしたが返事がなく、以後だいたい信用していない。 ジャン・スタロビンスキーという学者がいるが、高山著に「スタロバンスキー」と書いてあるので調べてみたら、「スタロビンスキーが正しい」と断言している小西嘉幸訳『自由の創出』以外はみなスタロバ

    高山宏の怖い自伝 - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/10/07
    松岡正剛を「以後だいたい信用していない。」少し関連の物読んだ。素人にしてはよくまとめているがいわゆる編集術。本当の訓練が足りないだろう。//70年というのは(個人的)作家にとっては何の役にも立たん。
  • 本の売れる・売れない - jun-jun1965の日記

    桂文珍が、谷沢永一の誘いで関西大学で非常勤講師をした時、給料明細を見て、一桁違っているのではないかと驚いたという。もちろん、安いのに驚いたわけだ。文珍とて、高座と同じくらい貰えるとは思っていなかっただろうが、予想外に安かったわけだ。逆に、非常勤講師でっている人が、人気俳優などの収入、あるいは文珍の一高座のギャラを聞いたら、学者などやる気をなくすだろう。私も、人気タレントのCM出演料が数千万円と聞いた時は、意気阻喪した。 内館牧子が昨年暮れ、『女はなぜ土俵に上がれないのか』を新書で出したが、内館も驚いただろう。研究したものというのは、こうも売れないのかと。内館は脚家だが、エッセイも書いているし、ドラマのノヴェライズも出している。内館がいかに苦労人でも、新書で出してもこの程度のものを、でかい研究書をせっせと研究したあげくに出す学者連の気が知れないと思ったのではないか。 「学者になって、

    本の売れる・売れない - jun-jun1965の日記
    DrMarks
    DrMarks 2007/10/05
    これはおっしゃるとおり。日本の出版はとくにそうです。在庫があるうちは資産ですから税金の対象。やっと長年かかって売り切れたのに、売り切れたからといってまた重荷をしょいこむ馬鹿はいません。税制変えろ日本!
  • 大橋先生は何を? - jun-jun1965の日記

    物語は、森鴎外の『舞姫』なんかと似ているところがある。しかしかつての恋人の踊り子がドイツからはるばる日にやってきたとしたら、当時としては、たとえば脚気は病原菌が原因であるという間違った説に固執し、日露戦争では戦死者と同じくいら多くの脚気の死者を出し続けた元凶でもある当時のドイツ流医学を範として仰いだ帝大医学部につらなるエリート軍医の森鴎外は、そんな踊り子ごときと結婚することはできず、相当に悩むだろう。苦しむだろう。苦しめばいいというのではないが、しかしもし、全く苦しまず、それどころか十年後にドイツを訪問して、昔、下宿していた家を訪れ、かつての恋人の踊り子が、自分の子供を産んで死んだという話しをきかされるという能天気な展開よりはましであろう。幸い、そういう結末を鴎外は選択しなかった。 どうも大橋洋一先生のおっしゃることがよく分からない。鴎外の恋人エリーゼ・ヴィーゲルトは、鴎外の帰国とほぼ同

    大橋先生は何を? - jun-jun1965の日記
    DrMarks
    DrMarks 2007/10/02
    小金井の日記もテキストだがテキストのみに教条的に拘る方法論も危険だ。しかし、ここでは小谷野氏指摘通り、大橋教授には事実と物語の混同がある。//不快な物語があるという大橋氏の議論の根幹には大いに賛同する。
  • 大丈夫か北の湖 - jun-jun1965の日記

    記者団のぶら下がり質問に答える北の湖理事長。字幕では「時津風部屋でどういう指導をしているかは分からないが」。しかし北の湖の口からは「時津海が」。そりゃ時津風部屋の力士の四股名だろう。大丈夫か。理事長の器ではないのではないか。放駒と替われ。 - あと「ミャンマー」であるが、西洋各国は「ビルマ」系統の名称を使い続けている。軍事政権がミャンマーにせよと通達したからで、軍事政権を認めないという意思表示でそうしている。ビルマが正しいかミャンマーが正しいかという問題ではない。しかるに日では軍事政権に唯々諾々と従って「ミャンマー」。やめたらどうだ。 (小谷野敦)

    大丈夫か北の湖 - jun-jun1965の日記
    DrMarks
    DrMarks 2007/09/30
    バーマ(ビルマ)とミャンマーの名称は難しい問題があるらしいが、あの軍事政権は倒すべきだろう。倒した暁には、ニャオニャオミャーとでも何とでも呼んでやる。
  • めちゃくちゃ相撲界 - jun-jun1965の日記

    時津風部屋の17歳の力士が死んだ事件で、親方がビール瓶で頭を殴り、兄弟子たちがリンチをしていたことが明らかになった。 相撲部屋では、よくあることである。朝青龍なんか、弟弟子いじめがひどく、朝乃翔だか朝乃若だか、兄弟子が注意してもやめなかったという。雅山は高校時代、相撲部で監督の息子に大怪我をさせている。 恐ろしや格闘技界である。しかし、そういうしごきの中で成長する力士もいるわけだが、その弟子がその種の弟子か、そうでないか、健康状態がいいか悪いか、それは年長の兄弟子や親方がちゃんと見極めなければいけない。 だいたい、時津風部屋を双津竜ていどの力士が継ぐのが間違いである。同じ小結でも、既に独立していた大卒の豊山、つまり湊親方が戻って継ぐのが筋だったと思う。宮城野親方の、愛人に八百長暴露事件といい、もう相撲界はガタガタ。いっそ、大相撲制度を廃止したらどうか。 付記:相撲を知らない人には分かりにく

    めちゃくちゃ相撲界 - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/09/27
    その通りならまったくひどい話だ。かわいそうに。腕力の暴力は、猫猫先生じゃないが、私も生理的に駄目だ。日本で生意気だって殴られたもん。hashigotan さん、溜席って塩も飛んでくるけど「砂かぶり」でいいですか?
  • 甘えるな「一般人」 - jun-jun1965の日記

    個人情報保護法成立前にはあんなに反対していた左翼の人たちは、なぜこの法がもたらしている害についてもっと騒がないのだろう。(それとも騒いでいるが目立たないだけか?) 実に不思議なのは、大学院生の実名などが平気で大学のサイトで見られることで、あれはいいのか。その一方、アマゾンにレビューを書いて、ウィッシュリストから名前が分かって、罵倒されたからといって、私が非常勤講師をしている東大にメールで抗議してくるやつがいる。『タバコ有害論に異議あり!』にへんてこレビューを書いたUである。こいつ、ウィッシュリストから分かったことくらい分かっているだろうに、私がわざわざ実名を調べた、悪質だと言い、個人情報がどうこう言っているが、個人情報取り扱い業者でもない私には、新聞の投書欄に出ていた名前をあげて批判するのと同程度のことでしかない。文句を言うなら、「ウィッシュリストを作成すると実名が表示されます」とでかい注

    甘えるな「一般人」 - jun-jun1965の日記
  • 井上靖的あり方 - jun-jun1965の日記

    幸を美人じゃないと前に書いたが、撤回する。何か独特の気高さと、マゾの気のある人間には堪えられない冷たさが出ている。まああれで現代ドラマに出るとどうなるのか、分からないが。 さて原作は井上靖である。玄人筋の評価は低い。しかし、死後もちゃんと読まれ続けている。一般に、玄人筋では、井上は、初期の「猟銃」なんかは良かったが、大岡昇平による「蒼き狼」批判以降、その歴史小説は「ダメ」だということになっていて、晩年の『孔子』なんか、野間文芸賞はとっているが、褒める人がほとんどいない。 しかし、『孔子』はともかく、井上は、河野多恵子がいう「広義の才能」に多分に恵まれた人だったのではないかと思われる。『しろばんば』などの自伝的作品はうまいし、歴史小説でも、「風濤」「楼蘭」「敦煌」「淀どの日記」など、妙に短い。吉川英治、海音寺潮五郎、司馬遼太郎の作品が、時には十巻を超えることもあるのに比べたら、みな一冊で

    井上靖的あり方 - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/09/22
    日本語好きの俺でも、実は、『孔子』は途中で投げ出した。面白くないし、中国語?で書かれていたからね。今日の発見、大学に『夏目漱石を江戸から読む』がある!えっ、誰が買った。来週読もう。俺が第一閲読者かも。
  • 坂本九の思い出 - jun-jun1965の日記

    昨日(19日)、衛星放送で、「九ちゃんの立体講談」をやっていたので、観た。1977年、『こども面白館』という、土曜日の午後6時ころからやっていたスタジオ番組の中のもので、私の記憶では、久生十蘭の『魔都』を最初にやったように思っていたが、『レ・ミゼラブル』だったようだ。 坂九の講談調の語りの上手さは、73-74年の『新八犬伝』で発揮され、それを当て込んでの企画だったろうが、パネルに映し出される絵に合わせて九ちゃんが語り、ゲストの女性歌手が女の声をやるという趣向だった。惜しむらくは、やはり子供向けではなくてもう少し格的にやってほしかった。しかし今回観て、坂九の若いのに驚いた。当時37歳。 その後、世界日びっくり話というのが続いて、ハレー彗星の話。最後に、次に1986年(昭和61年)にハレー彗星が地球に近づく、と九ちゃんは言った。いやー、そんなに昭和が続くかねえ、と当時は思っただろうが、

    坂本九の思い出 - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/09/21
    牧師の祖父が自分の葬儀の司式を弟子に託した。しかし、祖父のほうが長生きし、彼はその弟子の葬儀をすることになってしまった。明日のことはわからん。「神与え、神取りたもう。」(ヨブ記1:21)
  • よく分かりませんが - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/rento/20070911 「ギョウテとは、俺のことかとゲーテいい」という川柳にあるように、「ゲーテ」という表記は日でしか通用しない表記である。バッハではなくて、バックのほうが原音に近い。チェーホフではなくてチェコフ。あるいは「ベートーヴェン」は、英語読みでドイツ語読みの表記ではない。こうした慣用化した表記については、それを原音に近づけるのは至難の業である。 大橋洋一先生が、よく分からないことを書いておられる。「ゲーテという表記は日でしか通用しない表記である」って、そりゃ片仮名なんだから当たり前である。バックのほうが原音に近いって、ホントかなあ。バックは英語読みでは? チェコフも英語読みだし、ベートーヴェンは英語ならビーソーヴェン、ドイツ語ならベートホーフェンだろう。「ギョウテ」じゃなくて「ギョエテ」でしょ。むかし野坂昭如が「ギョ、ギョ、ギ

    よく分かりませんが - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/09/20
    そこ読んでみた。「原音」って何だ。「英音」の書き違い?僕のドイツ語の先生はアメリカ人だから自分で「バック」ですと名乗った。しかし、独文を読んで「バッハ」と読まない学生に Bach 先生は「バーカ」と言ったよ。
  • 猫を償うに猫をもってせよ - ハレルヤ!

    山崎行太郎がいかに罵詈雑言を発していても、私はそれを許せる。なぜなら実名で行っており、その罵詈雑言がもたらすリスクを、山崎が引き受けているからだ。匿名での批判や罵詈雑言が卑怯なのは、そのリスクを回避しているからにほかならない。 さて、私は、今さらながらに、muffdivingの実名を、はてなを提訴して公開させようと思った。プロバイダは、決して自発的に公開しないし、削除もしないからだ。 書類も準備して、明日は東京簡裁へ行くつもりでいたところ、ふと、muffdivingがミクシィにいると書いているのを見つけ、ダメもとで検索してみたら、見つけた。「マサシ」という名だった。そこには、「NC-15」として暴れまわっているのとは違う顔があった。私はためらい、マサシに、もう一度考え直して、あの罵詈雑言を削除しないかとメールを送った。 その後、気になった私は、私を罵倒していた頃の日記を読んでみた。そこには

    猫を償うに猫をもってせよ - ハレルヤ!
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    DrMarks 2007/09/19
    若者を励ましているのか。やはり根は先生だな。God's in His heaven / All's right with the world!
  • それでも匿名批判は卑怯である - jun-jun1965の日記

    ある場合における匿名批判の意義は認める。自分が勤める企業の内部告発とか、自分の生殺与奪の権を握るような大物への批判とかである。しかし、糸圭秀実や渡部直己の、文藝雑誌における匿名批評の重視は、私にはよく分からない。なぜなら、匿名なら何でも書けるかといえば、編集部や編集長というものがいて、そこでストップされることもあるだろうからだ。 - 何かガタガタ言っている連中がいるな。私が卑怯だと言っているのは福冨諭、電気通信大学博士課程中退。 佐々木俊尚とか、匿名を擁護して「フラット革命」だのと言っているのが、IT関連の連中で、匿名で何か言いたいというチンケな連中の欲望を吸い上げて利権にしている連中だからな。その利権に踊らされているのだよ、君たちは。 それで儲けているからあれこれ理屈を捏ねているに決まっているだろう。 新聞の投書欄は実名が原則だ、と書いたら、だからつまらない投書ばかりなのだ、と言っていた

    それでも匿名批判は卑怯である - jun-jun1965の日記
  • 「リンゴの歌」は明るいか? - jun-jun1965の日記

    戦争中から戦後への変遷を語る劇映画やドキュメンタリー番組では、判で捺したように「リンゴの歌」が流れる。そしてドキュメンタリーなら、その明るいメロディーが人々を勇気づけた、などと言われる。 しかし、あれは明るい歌だろうか。私はあの曲の、長調の前奏が歌の直前で短調に転じるところがすごく好きなのだが、要するに歌自体は全部短調である。一般に、短調の曲は「明るい」ものではないし、この曲も、一般的に言って、「哀調を帯びて」と言うべきだし、サトウ・ハチローの歌詞が、戦争色と無縁で愛らしい、くらいは言えようが、曲自体「底抜けに明るい」(ある文章での表現)とは言えまい。曲の明るさということでいえば、「空の神兵」や「ラバウル航空隊」のような軍歌のほうが、よほど明るい。 そろそろ、戦争にまつわる紋切り型の表現は、やめにしてほしいものだ。

    「リンゴの歌」は明るいか? - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/09/14
    聞いた。大当たり!ゆっくりなら確かに日本の曲だが、アコーディオンで速く演奏するとパレスチナから東欧にかけての昔のダンス曲。ハンカチ片手に男が恭しく踊る。踊ったからって、失恋も多い。
  • 岩波少年文庫の古いの - jun-jun1965の日記

    判型としては新書と同じ岩波少年文庫だが、その古い装丁を若い人は知らないだろう。昔はハードカヴァーの箱入りだった。それが1975年ころに箱なし、ソフトカヴァーになったのだが、今のようにカヴァーはついていなくて、しかも独特の手触りの紙を表紙に使っていた。私はあの頃の装丁がいちばん好きだな。中公新書も、昔はビニール装で、その下に帯があって、味わいがあった。今は新書も文庫もどれもこれも同じような、地味な裸体にカヴァーつきで、面白くないなあ。 その岩波少年文庫でマルシャークの『森は生きている』を読んだら、「バカ」という意味の「天然」が出てきたので驚いた。女官長が「わたくしは天然にぼんやりしておりますわ」と言うと、幼い女王が「そうだろうと思っていたわ、天然だとね」と言う(湯浅芳子訳、1953)。女官長は、自然の美しさにぼうっとなっている、と言ったのだが、女王はそれを「元からぼうっとしている」ととったの

    岩波少年文庫の古いの - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/09/13
    驚いた。思っていたより若い。(続く→http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/20070913
  • 昔もあった新書ブーム - jun-jun1965の日記

    いやー新書戦争は大変なことになって、年間200冊くらい出ているようだ。しかし、かつては岩波、中公、講談社の御三家があったといっても、新書とは名乗らないがレグルス文庫、文庫クセジュ、教育社新書、あるいは地味な三一新書とか新日新書とかもあった。もっと前に角川新書や河出新書、紀伊国屋新書があるのは知っていたが、調べたらけっこう昔も新書ブームで、新書を出していたなんて思えない出版社も出していた。秋田書店なんか「サンデー新書」で、ちゃんとサンデー・コミックスと揃えていたんだね。まあそれが『少年サンデー』を小学館にとられて、自社は少年チャンピオンに甘んじたりして。でもサンデー・コミックスは秋田書店だから、小学館は少年サンデー・コミックスだったりして。中には、90年代新書戦争が始まるころにひっそりとなくなった新書もあって、これって、18歳人口が減るのに応じてひっそりと閉鎖される短大みたい。 角川新書 

    昔もあった新書ブーム - jun-jun1965の日記
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    DrMarks 2007/09/11
    何のためなのかこの御仁はよく調べたものだ。/文庫本と新書なるものを一緒くたにしたような記述があるが、本質的には違うのかもしれない。ともかく、Reclam の袖珍本(Taschenbuch)続きは→http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/20070911
  • メディア研究の方々へ - jun-jun1965の日記

    ウィキペディアでよく「要出典」などと書いてあるが、これに限らず「典拠を示せ」ということは多い。しかるに、その典拠がテレビやラジオだと、再確認できない。再確認できないと、学問的には典拠たりえない。もっとも、学術論文でも「なんたら学会での発表」とかあって、その発表者がそれを活字にするのに十数年もかかると(阪大名誉教授のS先生みたいに)、同じことなのだが、メディア研究とか言っている人たちは、そういうことについて、何か研究しておられないのだろうか。同志社大学にメディア研究センターとかいうのがあるが、あれは渡辺武達先生が週刊新潮を攻撃するために作ったものだし…。「情報なんたら学部」なんてのがあちこちにできても、こういう問題はまるで俎上に上らないのかね。それとも論文でもあるんだろうか。

    メディア研究の方々へ - jun-jun1965の日記