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  • 鈴村智久の研究室 【祝/Version up完成版】続々と御購入いただいております! イタリアの名門貴族にして20世紀を代表する映画監督ルキノ・ヴィスコンティ研究の決定的集大成『ヴィスコンティの美学』、今なら安心価格で入手可能です

    〜売上げが更に増加し始めました!〜 鈴村智久による初の格的研究書 ヨーロッパ貴族の「美」の神髄を知りたい、そんなあなたのために…… 内容紹介 「あらゆる芸術家の中で、およそ彼ほど“貴族的な頽廃”を見事に描出した人間はいない」――すべての芸術愛好者に捧げられたヴィスコンティ研究の集大成が、お求め易いKindle版で初登場。 20世紀ヨーロッパ映画界のみならずオペラ、演劇界に決定的な影響を及ぼし、後世の文化人に未だ深い感銘と陶酔を与え続けるイタリアの名門貴族の血を引くルキノ・ヴィスコンティ。その美的原理は、実はヴィスコンティが重視していた「ギリシア悲劇」にこそあった。 最重要作品八作を、近年世界的な注目が高まる現代ドイツを代表する美学者ヴィンフリート・メニングハウスや、「芸術の皮膚論」で名高い谷川渥、更にワーグナーのオペラなどとの相関を探りながら分析し、ギリシア悲劇の構造を示したアリストテレ

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    Drunkar 2013/11/18
    「《サン・ドゥニ修道院》の装飾性を最初に考案したとされる当時の修道院長ジュジェール…《サン・ドゥニ修道院》は、したがってゴシック様式を語る上での最初の建築として重要である。」
  • 鈴村智久の研究室 宗教における「悟り」とは何か

    by Steve Hanks 『スッタニパータ』の「犀の角」の章には、極めて重大なメッセージが宿っている。 これから私は、カトリック教会におけるミサの「集会」という性質について考えてみる。 「集会を楽しむ人には、暫時の解脱に至るべきことわりもない。太陽の末裔(ブッダ)のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め」 この「犀の角」とは、仏教学における世界的権威であり訳者の中村元氏の素晴らしい解説によれば、「犀の角が一つしかないように、求道者は、他の人々からの毀誉褒貶にわずらわされることなく、ただひとりで、自分の確信にしたがって、暮らすようにせよ」という意であるという。 私はカトリックの信徒であり、今後もそのようにして生きていく。 けれども、それは仏教の教えについて無知であるということであってはならない。 さて、「集会」であるが、いうまでもなくカトリック教会には「ミサに集う」という性質が

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    Drunkar 2013/09/03
    「内部的超越にせよ、外部的超越にせよ、普遍宗教はこうした「差異化」を解消するために、世界に存在するあらゆるものを「わたし」に賦与する。」「共に世界の全てを「分有」し合うのである。」
  • 鈴村智久の研究室 「所得の再分配」はなぜproperty(所有権)の侵害に相当するか?――ロバート・ノージックの代表作『アナーキー・国家・ユートピア』を今こそ読み直す

    ロバート・ノージック(Robert Nozick, 1938年11月16日 - 2002年1月23日)ハーバード大学哲学教授 ⑴【「所得の再分配」は当に必要か?】 このページでは、「所得の再分配」について、ジョン・ロック、及びロバート・ノージックの理論から考察しておきたい。 まず、最初に言及するのはロックの不朽の古典『統治二論』の後編「政治的統治について」、第五章「所有権について」である。 ロックの「所有権」の原語は、property(プロパティ)である。 以下、今後もずっと記憶しておくべきテクストを引用しておこう。 「ひとは誰でも、自分自身の身体に対する固有権を持つ」 「彼の身体の労働と手の働きは、彼に固有のものであるといってよい。従って、自然から彼が取り出すのは何であれ、彼はそれに自分の労働を混合し、それに彼自身のものである何ものかを加えたのであって、そのことにより、それを彼自身の所

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    Drunkar 2013/08/06
    「プロパティの保全こそが統治の目的であり、そのためにこそ人々は社会に入る…そうでなければ、彼らは社会に入る目的であったものを社会に入ることによって失うことになる…不合理なことである」
  • 鈴村智久の研究室 20世紀を代表するイタリアの建築理論家アルド・ロッシを学ぶための基礎文献ーー田中純『都市の詩学―場所の記憶と徴候』×アルド・ロッシ『科学的自伝』

    東京大学大学院総合文化研究科准教授の田中純氏の『都市の詩学―場所の記憶と徴候』第一章「都市の伝記」、第二章「<メタ世界>としての都市」、及び補論「忘却の詩学、類推の書法」を読了したので、その記録を残しておく。 これら三つの論稿はどれも20世紀最大の建築家の一人であるアルド・ロッシ論である。因みに書は建築学のための基礎文献に入っている。 最初に、Wikipediaにあるロッシのプロフィールを紹介してから、論に入ることにしたい。 Aldo Rossi(アルド・ロッシ) アルド・ロッシ(Aldo Rossi, 1931年5月3日 - 1997年9月4日)は、イタリアの建築家。1980年代を中心に、建築理論・ドローイング・設計の三分野で国際的な評価を達成する非凡な業績を挙げた。 「略歴」 ミラノ生まれ。1949年にミラノのポリテクニコ(ミラノ工科大学)に入学し1959年に卒業。在学中より(19

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    Drunkar 2013/07/11
    「ロッシの建築案は、時に評者から「デ・キリコ的」と表現されることがあり、田中氏はそういう側面を認めつつも、ロッシにはキリコのようなメランコリックな印象とは異なる「幸福への意志」を見出している」
  • 鈴村智久の研究室 クァンタン・メイヤスーの時代へ――鈴村智久の小説売上げランキング/2015年7月現在

    【鈴村智久の小説売上げランキング/2015年7月現在】 At The Grave Of Our Existence: 私たちの存在の墓で/S/K Studio出版 Amazon.co.jp 発売して間もない『私たちの存在の墓で』(著:鈴村智久、装訂:門倉ユカ、S/K Studio出版)は、「ポスト・ドゥルーズ」として世界的関心が高まるフランスの哲学者クァンタン・メイヤスーの注目の神論への応答という内容であり、ランキングを瞬く間に上昇中です。 メイヤスーについて御存知ではない読者様のために、ここで『私たちの存在の墓で』の前奏として彼の経歴、思想について若干説明しておきましょう。 Quentin Meillassoux Photograph: © Hannah Assouline/Opale ⑴クァンタン・メイヤスーとは? クァンタン・メイヤスー(Quentin Meillassoux、196

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    Drunkar 2013/07/06
    「「廃墟の美学」、「さび」、すなわち歴史の流れで「一回性」を持って偶然的に生起したものに掛け替えのない美的観念を結び付ける視座は、西洋の美意識においても既に存在していたということである」
  • 鈴村智久の研究室 「近代建築の始まりは、建築の〈起源〉の探究であった」ーー建築学の必読文献、ジョセフ・リクワートの代表作『アダムの家』の世界

    建築学書必読文献、ジョセフ・リクワートの『アダムの家』(1981)の読書記録を残しておく。 「近代建築の初源は<建築>の起源の探究であった、ということができる。その探索は、18世紀を通じて殆ど建築家の共通の意志にまで拡張する。そして、19世紀以来の約二世紀間、近代建築家の無意識の層に潜在し続けている。建築家のみならず、<建築>を思考する殆ど全ての視線に、この起源の探究は最早不可避の欲望となったかに見える。この事態は言語についても同様である。ルソーの『言語起源論』へ殆どの哲学的エクリチュールが常にたちかえろうとするのがその証拠でもある。言語はソシュールによって、その構造の根底にまで解体の手が及ぶ。その解体へ誘導したのはいうまでもなく、起源を見出そうとしたあの意志の初源であったといわれるだろう」 磯崎新「近代建築の初源」 それまで建築学のカノンとして機能していたのはウィトルウィウスの『建築十書

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    Drunkar 2013/06/27
    「グロピウスに、このような素朴な「森の小屋」への回帰的願望が見出されていたことは意味深長である。」「リーグル、ゼンパーは共通して「自然には全ての装飾のパターンが存在する」と考えていた。」
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    Drunkar 2013/06/27
    「建築はそもそも「宗教建築」という性質を不可避的に帯びて生起したのであって、「建てる」ということは、この時代の人々にとって何かを「信じる」ことと一致したのである。」
  • 鈴村智久の研究室 都市空間のメランコリアーー現代ヨーロッパを代表する建築理論家アンソニー・ヴィドラーの代表作『歪んだ建築空間』の世界

    エドワード・ホッパー《ニューヨークのオフィス 》 現代は空間の消滅の時代である。あるいは、画像化された空間イメージが世界を覆い尽くす時代である。1970年以降、建築学は空間概念において文学や地理学、Webなどの異領域を参照するようになった。現代を代表する建築理論家として国際的な評価を得ているアンソニー・ヴィドラーは今日的な意味でラディカルな「空間」概念を少なくとも六つ提示している。 (1)歪んだ空間 (2)空虚な空間 (3)反―空間 (4)遊牧空間 (5)空間をべる (6)電脳空間 「空間」概念は、ソーシャルメディアの発展ともリンクする現代思想にとって極めて重要な奥深いテーマの一つである。近代までの空間概念が、テクノロジーの飛躍的な発展に伴って人間の認知構造そのものが変化したことを受けて根的に変わりつつあるとヴィドラーは考えている。 特に(5)の「space-eating(空間をべる

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    Drunkar 2013/01/19
    「近代建築のモデルには間違いなくパルテノン神殿という「廃墟」に対する「崇高」体験が存在しているのである。」「近代の空間概念は「不安」や「孤独」…を不可避的に湧出させるものである。」
  • 鈴村智久の研究室 アドルフ・ロースの邸宅シリーズにおける「子宮羨望」――田中純『建築のエロティシズム』読解

    19世紀後半から20世紀初頭のウィーンは、新古典主義に見られた各種のリバイバリズムから世紀末に花咲いたアール・ヌーヴォー様式といった一連の動きが、やがて「装飾」そのものに批判的になっていく「近代建築」へとシフトしていく点で極めて重要である。オットー・ヴァーグナーの『近代建築』が刊行されたのは1895年だが、彼は《郵便貯金局》に見られるようにまだ「機能」と「装飾」の双方を重視していた。しかし、アドロフ・ロースの登場によって「装飾」熱は遂に終わりを遂げることになる。その決定的な作品が、当時センセーションを巻き起こした名高い《ミヒャエル広場》(1909-11)である。ここは通称「ロース・ハウス」とも呼ばれ、「無装飾性」を志向した最初期の建築として重要である。 しかし、ロースは果たして当に「装飾」を棄却し得たのであろうか? 彼にはヴァーグナーのように、やはりどこかに「装飾」への欲望も反動的に働い

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    Drunkar 2012/12/05
    「「最も遠いもの」の本質が「最も近いもの」によって開示される」
  • 鈴村智久の研究室 都市の記号論的システムについて――ヴィドラー、ロッシ、フォーティー、そしてコンパニョンからの考察

    シプリアン・ガイヤール《不信の時代の信仰》 「われわれの建築は身体に関わる平面図ではなく、心理的な平面図を持っている」――コープ・ヒンメルブラウは1968年にこのように述べた。このテクストとすぐに結び付くのは、アルド・ロッシが『都市の建築』の中で述べた、都市の質としての「イメージ」の持つ作用に他ならない。ひとはそれぞれ同じ都市に対して、異なるイメージを持って生きている。これらのイメージは全て「部分」に過ぎないが、いわば集団的なイメージの“約数”に相当する共通の記憶の場を、ロッシは「都市的創成物」と呼んだのだった。都市的創成物は都市そのものを象徴する場である。そして、ロッシは我々という部分的存在の「集合記憶」を、「都市の意識」とも呼んだのであった。 この段階でまずもって図式化できるのは、「物理的空間」の上に「個人的な空間イメージ」が貼付されているという事実である。この点について、ヴィドラー

  • 鈴村智久の研究室 松浦寿輝『平面論』(2)平面の未来、空間としての「イメージ」へ

    Hailey Clauson by Miguel Reveriego 【枠】 1880年代は、「平面」それ自体を露出させようとした「近代」の開始地点として規定されている。ここでいう「平面」とは、「記号やイメージで配置された面」を指している。例えば、絵にとっての「紙・画布」、詩にとっての「白いページ」、映画にとっての「スクリーン」――これらは全て何らかの「枠」付けを持っている。「枠」とは、我々のイメージを一定の表現媒体において表象する時に必然的にそれぞれの形式に準じた「制限」を受けることを前提にしている概念である。例えば我々が何か「映画」を制作しようと企てる時、そこにはそもそも「映画」という表現領域に固有の「文法」による拘束が発生することを含意している。 「平面」とは何であるか? その謎を解くための鍵概念となるのが、「表象」である。表象はラテン語でrepraesentatio、フランス語では

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    Drunkar 2012/11/25
    「あくまでも映画における最小分節単位は「ショット」(面)であり、本来映画にはこの単位しか存在していない。」[for entry]
  • 鈴村智久の研究室 文化の多面体、松浦寿輝の主著『平面論――1880年代西欧』の世界ーーイメージの分裂、記号の錯乱

    Keira Knightley by Mert Marcus 松浦寿輝の評論活動における代表作の一つであり、最近新たに復刊されて注目を浴び始めている『平面論』(1994)を読了したので、その記録を残す。書を読解する上でのメリットには極めて大きなものがある。まず一つ目は、表象文化論の見地から「近代」がいったいどの時点から開始されたのかを明確化した点。二つ目は、今後のWeb社会において、我々は間違いなく松浦のいう「像」の概念について様々なかたちで触れ合う機会が増すと予測できるが、書はそうした「Web社会における視覚性の優越」をテーマにした議論において、常に一つの巨大な参照軸を用意してくれている点である。第一版が刊行された1994年から、既に二十年ほど経過している現在、『平面論』はいかに読まれるべきなのだろうか? 例えばWeb社会を牽引するGoogleの新しいサービスの提供、AppleのMa

  • 鈴村智久の研究室 「架空都市」の誕生――アルド・ロッシの『都市の建築』から出発する

    レミディオス・ヴァロ《螺旋状搬送機関》 ヘルパッハによれば、「大都会は我々現代人の故郷である」。にも関わらず、都市生活における最近の日の研究には「居場所の無さ」をテーマにした書物も刊行されている。ハイデッガーは既に有名な建築論「建てる 住む 思考する」において、以下のように述べていた。 「人間はあたかも言語の形成者であり師匠であるかのように振舞っているが、実は言語のほうが人間の女主人であり続けているのである。恐らく他の何にもまして、人間によって営まれているこの支配関係の転倒こそが、人間の質を故郷にあらざるものdas Unheimischeへと駆り立てているのであろう」 das Unheimische(故郷にあらざるもの)――これは現代の都市生活とどのように関係しているのであろうか? そもそも、「都市」とは何なのか? このページでは、現在も根強い人気を誇り世界的に高く評価されているアルド

  • 鈴村智久の研究室 Collected drawing of Jean-Jacques Lequeu/ジャン=ジャック・ルクー素描集成(4)「近代建築の萌芽」

    Author:鈴村智久 表象文化論、美学。 思弁的転回(Speculative Turn)以後の哲学研究。 研究書に、 メイヤスー論『事実論性の展開:思弁的実在論についての試論』、 後期デリダ論『政治的無力:「来たるべき民主主義」批判』、 美術論『死と優美:十八世紀ロココ様式の美学的構造』、 映画論『ヴィスコンティの美学』、『�イザベル・アジャーニ、またはその他の恋愛映画小説に、 『ダナイス』、 『ファンタン=ラトゥールの微笑:恋愛小説集』、 『メタフォリカル・オートフィクション』、 『聖アントニウスの誘惑』ほか。 Copyright (C) Tomohisa Suzumura All Rights Reserved. 最近の記事 04/02のツイートまとめ (04/03) 04/01のツイートまとめ (04/02) 03/31のツイートまとめ (04/01) 03/30のツイートまと

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