タグ

ブックマーク / d.hatena.ne.jp/sukebeningen (7)

  • 装苑賞は「死臭漂う老害デザイナーたちの自意識の墓場」です。 - SUKEBENINGEN-DEUX

    彼等だって自覚しながら「傾向」に無理をして合わせて来ているのだ。「こんなのはちっとも良いとは思わないや。だけどコレが先生たちの好みなのだから仕方がないさ」みたいな感じで。それなのに偉いデザイナーの先生たちときたら、さんざんそんな「無意味な山」を登らせておいて、後になってから急に梯子を外すようなマネを全然平気でするのだ。もう「ふざけるな、この糞ジジイ!その申し訳程度に残った前髪を全部キッチリと毛根から毟るぞ!」みたいな感じです。 ここしばらく装苑賞出身の有名デザイナーというのは出ていません。むしろ装苑賞を取るとデザイナーにはなれないような印象があります。それは、あそこでの評価基準が実際のファッション業界とは、あまりにもかけ離れているからです。 審査員のデザイナー達は装苑賞を「最後の聖域」として守ろうとし過ぎている。その結果「天才殺しの場所」としてしか、あそこは機能しなくなっている。そうやって

  • パリコレクションとミラノコレクションではルールが違う。 - SUKEBENINGEN-DEUX

    ガチで死合いをしてるのはパリコレの方。基的に禁じ手が無い。コレクションには二つのルールがある。「キチガイ服有りルール」そして「キチガイ服無しルール」だ。例えばジルサンダーの服は「キチガイ服無しルールに留まりながら如何にキチガイ服を作るか」というルールで作られている。今まではどちらかに振り切るしかなかった。だからジルサンダーの「その中間で試行錯誤をする服」というのが新しく、そして面白かった訳だ。(但し今のジルサンダーはキチガイ服有りルールのラフシモンズがデザイナーとなり、事情が少し変わってきている)キチガイ服という概念は80年代に日人デザイナーが持ち込んだ。抽象絵画級の大発明だった。それによってグッと表現領域というのが広がった。でも今はどちらも当たり前にある。完全に相対化された。キチガイ服を作る事がアドバンテージにはならない。今は「キチガイ服無しのデザイナーがキチガイ服的要素を取り入れる

    Elttilod
    Elttilod 2008/09/21
    >「パリコレはそんなイカしたキチガイ剣士たちの駿河城御前試合。街中で着る為のリアルクローズなど誰も作らない。売れる服を作るのはもっぱら才能の無いヤツがやる仕事だ」
  • 現代におけるファッションのリアリティーというモノの困難さについて - SUKEBENINGEN-DEUX

    かつて服の美意識と機能は一緒だった。テーラードは美とイコールだった。「如何に体に沿わせ浮きを無くしつつ、同時に運動量を確保するか?」コレを追求する歴史だった。また着ている服は「その人の身分」や「属しているコミュニティー」を表す記号であり、同時に寒さや暑さから身を守る為の純粋な装置でもあった。そう、全てに意味があったのだ。しかし複雑化した現代において、それらのルールはかなり曖昧化した。ストレッチな素材が発明されることでテーラードの意味は無くなり、フォーマルというスタイルも段々にカジュアル化していった。セレブでさえチープな古着やデニムを履く。何処に行っても一年中エアコンが効いていて、夏にも平気でレザーが着られる、そんな不確実な時代。制約の無い自由さが服のアイデンティティーというのを恐ろしく困難にしている。だから「今現在において服という存在は我々にとって一体何なのか?」コレに答えを出すことが

    Elttilod
    Elttilod 2008/06/12
    >「今現在において服という存在は我々にとって一体何なのか?」
  • 今こそ「ネオ・プレタポルテ」という思想が必要なんだと思う。 - SUKEBENINGEN-DEUX

    ファインアートでは過去にあったムーブメントを現代的な解釈で再び甦らせる事がある。「ネオジオ」などがそう。そして、ここらでもう一度「プレタポルテという概念」をファッション界は考え直したらいいと思う。 かつてオートクチュールが絶対な時代において「プレタポルテ」というのは一種の革命だった。「一部の金持ちだけが独占してたファッション」を大衆が奪取する為のイデオロギー戦争だった。 プレタポルテは理論武装の服。クオリティーではオートクチュールに完全に負ける。所詮は安物の既製服、限界がある。彼等プレタのデザイナーたちは決してオートクチュールにプレタポルテを似せようとしなかった。むしろ反対の事をした。 単純で直線的な形。まるで人間が縫ったようにではなく、ワザと機械のミシンが縫ったのが分かるよう、「極めて直線的で単純」に縫った。そうやって人間の手仕事を完全に否定した。「手先の器用なバカが人海戦術で作る、古く

    Elttilod
    Elttilod 2008/05/19
    後でもう一度、じっくりと読みたい。
  • 平気で「コスプレ逃げ」をする人達。 - SUKEBENINGEN-DEUX

    ファッションの逃げとしてコスプレというのがある。別に「コミケにいるコスプレーヤー」の事ではない。「バイカー」とか「パンク」みたく、「既に決まったスタイルをそのままで着る」ってヤツ。 それは「ただ制服を着ているだけ」だから自分のセンスが無い事も誤摩化せる。「世間的にイケてるジャンルのスタイル」をすればリテラシーレベルの低い人なら十分騙せるし、実際よりも自分を高く見せかける事だって出来る。 他には「自分の信仰するファッション誌の受け売りをする」っていうのもある。「cancam教」「LEON教」「マガジンハウス教」など、そこに書かれている原典のみを頑に信じる原理主義者たち。アレは殆ど宗教に近い。 またアメカジは奥が深いゆえ、「頭でっかちな蘊蓄オタクどもの巣窟」になっている。その手のビンテージ古着屋やレプリカ系ショップは「アキバ系ショップ」と同じような匂いがする。 「コレは昔の織り機で作ったこだわ

    Elttilod
    Elttilod 2008/04/27
    >「「既に決まったスタイルをそのままで着る」ってヤツ」
  • 日本のアパレル業界は構造的にいろいろな問題がある。 - SUKEBENINGEN-DEUX

    にはセレブが居ない。その代わり中産階級の層が厚い。医者、弁護士、一流企業勤めなどのプチ金持ち。彼等が良いお客さん。そして日にラグジュアリーブランドが無く、「やや高級路線で知的な好奇心をくすぐるたぐいのブランド」しか育たないのは、そんな理由から。 そのため「儲かる仕組み」が作れない。「ブランドの上がり」が存在しない。常に勝負し続ける不安定な状態から抜け出せない。ルイヴィトンには永遠になれない。 海外のアヴァンギャルドと呼ばれているブランドでも、実際はライセンス商品というのを結構やっている。ヴィヴィアンなんて、イトーヨーカドーで売られている汗ふきミニタオルにまで名前を貸している。「何がパンクの女王だ!絶望した!」 でもそれは決して恥ずべき事ではない。クリエイティブだけで利益を出そうとする日のブランドがただ異常なだけだ。ファーストラインはイメージを見せる為のもの。トントンぐらいで良い。あ

    Elttilod
    Elttilod 2007/10/28
    >「プライドが欲しいのならその分を余計に払え!払いたくないならその分のプライドを少しだけ捨てろ!お前らは本当に欲張りだ!」
  • ブランドは大きくなり続けることでしか継続できないよ。 - SUKEBENINGEN-DEUX

    ファッションデザイナーが自分の才能だけで勝負できる期間は限られている。多分出だしの十年ぐらいまでだ。それ以降は服の知識は上がるけど、センスの方が古いものになってしまう。 もしも最後まですべてを自分でデザインしようとすると、そのブランドはファンと一緒にだんだん歳を取っていくことになる。少しずつ離れていく顧客分を個々の商品単価を上げることで補う。最後まで逃げ切れたら御の字というような感じ。(そしてエキセントリックな事を売りにしたインディーズ系ブランドが僅か数年のブームで消えて無くなるのは、ファンたちが学生から社会人になり「コンサバな服」を求めるようになった時に「今までのテイストを残しつつ、しかも同時に彼等の期待にも応えるような服をデザインをする」というのが相当に難しいから) だからブランド展開のあり方として、「ア・ベイシング・エイプ」や「ヒステリックグラマー」のスタンスはきっと正しいのだと思う

  • 1