内田樹に関するEtakのブックマーク (3)

  • 足元を見よ - 内田樹の研究室

    ジブリが出している「熱風」という雑誌がある。 そこに宮崎駿が2008年11月20日に日外国特派員協会で質疑応答があったときのやりとりが採録されている。 宮崎駿が天才であることに異論のある人はいないだろう。 その天才はつよい思想に裏づけられている。 一読して驚いたのは、宮崎駿もまた「国内市場のサイズ」と「国内需要」を創作のキーワードに挙げていたことである。 宮崎はハンガリーの記者の「日の観客と世界の観客の違いを意識しているか」という質問にこう答えている。 「実は何もわからないんです。僕は自分の目の前にいる子供達に向かって映画をつくります。子供達が見えなくなるときもあります。それで中年に向かって映画をつくってしまったりもします。でも、自分達のアニメーションが成り立ったのは日の人口が一億を超えたからなんです。つまり日の国内でペイラインに達することができる可能性を持つようになったからですか

    Etak
    Etak 2009/01/13
    これは理系にもあてはまることで、周りからは国際的に活動しているかに見える科学者も、実は国内での知名度しかない、というのはよくある話。そんな人に限って「アメリカでは・・・。」と言うのもよくある話。
  • 「さん」と「先生」のあいだ - 内田樹の研究室

    『街場の教育論』にいろいろな方から書評をいただいている。 「週刊文春」で先週号に養老孟司先生が、讀賣新聞で福岡伸一先生が 21 日の書評欄で取り上げてくれた。昨日の讀賣新聞では佐藤卓己さんが「2008 年の三冊」に選んでくれた。 ありがたいことである。 と書いて気がついたのだが、前のお二人は「先生」で、後者は「さん」である。 この敬称の使い分けはどういうふうにしてなされているのであろう。 先般の忘年会でも養老孟司「先生」、甲野善紀「先生」、名越康文「先生」、茂木健一郎「さん」である。 養老先生は長者であるから、とても「養老さん」とはお呼びできない。 甲野先生もずっとそうお呼びしている。最初から「教わる立場」で接したわけだから当然である。 名越先生はお医者さんであり、最初にお会いしたときに私のアタマの中身を「診断」していただいたので、当然これは「先生」とお呼びするのが筋であるのだが、おしゃべ

  • ラジオの時代 - 内田樹の研究室

    年末にNHKラジオの収録が二回ある。 ラジオデイズ以来、ぱたぱたとラジオの仕事が続いている。 つねづね申し上げている通り、私はラジオというメディアがわりと好きである。 テレビには出ないが、ラジオには出る。 拘束時間が短いし(収録時間だけで「待ち時間」というのがない)、髪の毛ぼさぼさでパジャマ姿であっても放送上少しも困らない。 現場があまり専門職に分業化していない点もよい。 昨日来た二人はどちらもアナウンサーの方だったが、そのうち一人がMCで、一人はディレクターと録音技師を兼務。 やろうと思えば一人で全部できてしまうということである。 なにしろ制作コストが安い。 ラジオ放送のテクノロジーは「ミシン」や「こうもり傘」や「自転車」と同じで、もう改良の余地がないまで完成されている。 設備はもうできているし、そう簡単に劣化するものでもないから、その気になれば、あと50年くらいは既存の放送施設を使いの

    Etak
    Etak 2008/12/26
    たしかにテレビの時代はもうすぐ終わると思う。だからもうすぐ始まる地上波デジタル放送なんて、過疎地に通す高速道路以上に無駄なことに思えてならない。
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