24日の土曜日、在日本朝鮮人人権協会が主催するシンポジウム「継続する植民地主義と朝高『無償化』問題」に参加した後、午後5時から市谷で「第10回朝鮮大学校同窓会奨励」の授賞式があり参加しました。この奨励賞は2001年に設けられたもので、朝鮮大学校卒業生のなかで、それなりの業績をおさめたものに授与されるものです。 今年の受賞者は、大阪朝高ラグビー部の呉英吉監督と朝鮮大学校文学部連合同窓会映画製作集団でした。映画製作集団は団体として初めての受賞でした。 何の映画を作ったかと言えば、月刊イオでも何度も紹介した「星の流るるせせらぎの辺で」という作品です。朝鮮大学校創立50周年を記念して製作されたもので、監督は月刊イオの筆頭執筆者である金正浩先生(現在、「ジョンホの読み方」を絶賛連載中)です。 「まとう」という映画のことは、このブログでも紹介しましたが、「星の流るるせせらぎの辺で」はまだ紹介していない
先週の4月24日、「外国人学校合同絵画展」の10周年を記念して 「外国人学校合同写生大会」が上野動物園で行われた。 私は取材に行ったのだが、実は上野動物園には初めて行く。 緊張半分、わくわく半分といった感じだった。 この取材を最初に聞いたとき、ふと、 先輩に「今度一人で上野動物園に行ってみれば? 面白いよ」と言われたことを思い出した。 「それはいいですね。じゃあ近々行ってみます。」と言ってずいぶん経つ。 何回も「今週行こうかな」と考えては、親子連れやカップルが多いなか、 女ひとりで動物園はさすがに勇気がいるだろうと思い諦めてきた。 まさか取材で行けるなんて思ってもみなかった。偶然というか必然というか…。 当日、上野動物園の正門に50人以上の外国人学校の生徒、保護者たちが集い、 班に分かれて動物を思い思いに描いていた。 中でもインド学校は保護者の方が多く、親が子どもの絵を指導する場面も何度か
サッカー・朝鮮代表のJリーガーである安英学、鄭大世選手を取材した。 W杯に向けた話を聞くためだ。 朝鮮代表のサッカーに直接触れられる機会が少ないため、日本や韓国メディアが二人に殺到して、取材の嵐に見舞われているという。 クラブ広報でも、コンディションに支障をきたしかねないので、取材申請をシャットアウトしたほどだ。 二人ともW杯に出るという実感がまだないと話していたが、それほど手に入れた舞台が大きいということ。 世界最高の舞台で、世界最高の選手たちと同じピッチに立てる喜びが表情からあふれていた。 そして、朝鮮学校でサッカーを始めた自分たちが、朝鮮代表としてW杯に出場する意義をかみ締めていた。 二人のインタビューは、月刊「イオ」6月号で。お楽しみに。(茂)
2007年の3月の なかごろ。1月に せっかく就職できたのに 3ヶ月の契約ということになってしまったので、ハローワークに いった。 ハローワークで条件をしぼって検索すると、語学学校で朝鮮語を おしえる非常勤の しごとと、福祉の しごとが あった。講師のほうは、「どーせ おとされる」と おもって、うけなかった。福祉の しごとは「知的障害者 厚生施設」としか説明がなかったけれども、おおー!と おもった。わけあって、わたしには ちょうど よかった。わたしに必要な しごとだと おもった。施設であっても。施設であっても。 面接に いって数時間後、「どうされますか?」と電話がきた。「やります」と こたえた。 知的障害者の施設に 3年と1ヶ月ほど つとめた。きょうで、有給休暇も おわる。これで退職。 いろんなことが あった。いまだに つらいこともある。 うしろがみを ひかれるし、かえってきてねと いわれ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く