ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (64)

  • おわりと はじまり。 - hituziのブログじゃがー

    2007年の3月の なかごろ。1月に せっかく就職できたのに 3ヶ月の契約ということになってしまったので、ハローワークに いった。 ハローワークで条件をしぼって検索すると、語学学校で朝鮮語を おしえる非常勤の しごとと、福祉の しごとが あった。講師のほうは、「どーせ おとされる」と おもって、うけなかった。福祉の しごとは「知的障害者 厚生施設」としか説明がなかったけれども、おおー!と おもった。わけあって、わたしには ちょうど よかった。わたしに必要な しごとだと おもった。施設であっても。施設であっても。 面接に いって数時間後、「どうされますか?」と電話がきた。「やります」と こたえた。 知的障害者の施設に 3年と1ヶ月ほど つとめた。きょうで、有給休暇も おわる。これで退職。 いろんなことが あった。いまだに つらいこともある。 うしろがみを ひかれるし、かえってきてねと いわれ

    おわりと はじまり。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2010/05/01
    これからは「hituziのブログどすー」になるんかなー^^
  • 漢字は、まちがえるのが あたりまえ。 - hituziのブログじゃがー

    漢字の よみまちがいで ひとを ばかにする反動保守を ゆるさない。 - hituziのブログじゃがーの つづきです。 うえの文章と あわせて よんでください。 ともだちに『カナ ノ ヒカリ』2009ネン、ナツ ゴウ(944ゴウ)を もらった。 『カナ ノ ヒカリ』とはザイダン ホウジン カナモジカイの機関誌です。購読すると2部もらえるので、購読している ともだちに もらっています。 さて、つぎの文章を 紹介します。 フジワラ タダシ「首相の漢字力不足と文化審議会の認識不足」『カナ ノ ヒカリ』944ゴウ、2-3ページ フジワラは、麻生太郎(あそう・たろう)が「国会答弁などで 漢字の ヨミを たびたび まちがえたことが 報道され、話題に のぼった」こと、その「マチガイ」を 紹介し、つぎのように かいている。 これについて、首相は「マンガ ばかり よんで いるからだ。」などと 批判され、また、

    漢字は、まちがえるのが あたりまえ。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/12/13
    あるオモニは画数の多い漢字のことを「うるさい字」と言われます。ほんまに漢字って、読み方、書き順、部首、筆法、送りガナ等々「うるさい」ことだらけです。あと漢字書けても「麻生」くらいアホなんは山ほどいます
  • フライパンで グラタンをつくる。 - hituziのブログじゃがー

    こんばんわ。出張料理人の あべちゃんです。 最近は 職場(福祉施設)で料理するのが ひそかな たのしみになっています。なんか、「専属のコックになれば いんじゃないの?」という こえまで いただいております。 きょうは、かぼちゃのグラタンを つくりました。フライパンで やきました。 フライパンで コーンスターチ(要するに、でんぷん)と牛乳を まぜたものを 加熱し、しばらく こねる。それを 容器にいれる。とろとろの状態で かたまる。 おなじように、かってきた「かぼちゃのポタージュ」を とろとろに かためる。 じゃがいもと かぼちゃを ゆでる。みずを きる。 ハムと たまねぎと えりんぎを よく いためる。塩味を つける。 ペンネを ゆでる。 フライパンに すこしの油とバターを しいて、うえのものたちを もりつける。加熱して、ふたを する。 途中で 全体にチーズを ふる。さらに加熱する。 皿に

    フライパンで グラタンをつくる。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/11/13
    わー。
  • きょうと、おおさか。 - hituziのブログじゃがー

    9月26日と27日に立命館大学(りつめいかん だいがく)で 障害学会があったので、京都と大阪に いってきました。 障害学会のようすについては、できたら くわしく感想を かきます。おあいしたかった ひとたちと おはなしできて よかったです。まだ なにも きめていませんが、来年の春から きょうとに ひっこすことにしました。そのため、すこしでもネットワークを ひろげておきたかったのです。 ちょっとだけ くびくびカフェに おじゃまして、そのあと吉田寮(よしだりょう)の おまつりを見物しました。 学会 ふつかめ、昼やすみに 初対面の ひとと「天皇制を つぶそう」とか、「戸籍制度は いらない」という はなしを して もりあがって、たのしい時間を すごしました。なぜか「あべ やすし」に みおぼえが あったらしく、たぶん常野雄次郎(つねの・ゆうじろう)関係ではないかと おもって いってみたら、やっぱりそう

    きょうと、おおさか。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/09/30
    ひらがなーきすとでベジタリアンなhituziさんに、漢字の先生やってもらって、お肉食べさせて、ビール飲ませてしまってゴメンなさい。hituziさんよりオモニたちの方が漢字をよく書けてたことは、内緒にしておきますねー。
  • 連続体を 分断するイデオロギーを たたきのめす。 - hituziのブログじゃがー

    いろんな はなしを します。 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー いろいろと反響を いただきました。 さて。わたしが気になるのは、民族的少数派が どのように主張しようとも、「民族的なもの」として色づけられる。それにたいして、社会の多数派による議論は、「民族的に色づけられる」ことなく、「正論か、だめな議論か」という点で評価されるということでした。この非対称な関係が、気になるわけです。 「ヤマト人」「和人」と いわれて、ぱっとくる ひとは、ほとんど いないと おもいます。わたしも そうです。なにが なんだかです。けれども、それは そのように名づけられてこなかったからではないでしょうか。もし、日常的に「ヤマト人」や「和人」と よばれつづけていれば、自覚を もってみたり、あるいは違和感を もってみたりする。そして、そのようなカテ

    連続体を 分断するイデオロギーを たたきのめす。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/05/15
    「名前」をつけておきながら、その中身には無関心なのが「多数派」なのですよね。名づけられた方は、その中身も自分で作っていかなくてはいけない。そうして作りあげたら、ほらキミたちと私たちはちがうといわれます
  • 多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー

    ヤマト人は にげる。「民族は つくられた概念で、実体は ない」と相対化する。おきなわ人に「ヤマト人」と よばれても、アイヌ人に「和人」と よばれても、そんな実感はないし、民族意識など もっていないと いえてしまう。 国家において、「民族」を 意識させられるのは、いつもマイノリティである。差別制度が、日常的な差別が、マイノリティに「民族」を 意識させるのだ。 それを 指摘し、多数派日人に「ヤマト人」や「和人」という名前を つけてみても、「名前のない多数派」は にげてしまう。「民族意識など、幻想にすぎず、そして わたしは「ナショナリズムに反対する」」のだと。そんな態度が良心的だと、なぜ おもえてしまうのか。 多数派は、名前を つける側である。そして、多数派は名前を もたない。多数派は、名前を つけられるのを いやがる。自分たちは、だれかにたいして、くりかえし やっていることなのにだ。 民族は

    多数派には名前がない(ヤマト人=和人として、その責任を ひきうける)。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/05/10
    名前をもつことは、とてもむずかしいことだと思いますが、そのなかで、ゆれうごきながら、自分の名前をさがしつづけることが大切だと思います。また、誰かを名指すだけでなく、誰かのゆれにもきづいていきたいですね
  • 不平等な関係が「本名と通名」のジレンマを うみだす。 - hituziのブログじゃがー

    名? |liangのブログ まず、うえの記事を ごらんください。 いろいろな論点があるわけですが、ひとつ たいせつな点が論じられていないように感じました。それは、日社会において、多数派である日人は「名と通名」のジレンマを かかえていない。それにたいして、少数派である朝鮮系の住民だけが「名と通名」のジレンマに なやまされている。その非対称性が問題だということです。関係が不平等だということです。 少数派には通名がある。多数派には通名がない。 その不平等な関係に問題があるのですから、 そもそも「名」という名辞そのものがいかがわしくないか。当の自分どうように。というのは、もっとも「いかがわしい」ものを 放置してしまっているように感じます。もっとも、liangさんには とっくのむかしから わかっていることなのだと おもいますが。この記事で liangさんが とりたてて かいておられない

    不平等な関係が「本名と通名」のジレンマを うみだす。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/03/27
    通名だと、誰かに会うたびに「在日」だとカムアウトするかしないかの局面に出会い続けるので、一回ドンと本名に変えたほうがラクかと思いつつ「在日」である前に個人を見てほしいという思いもあります。ジレンマです
  • なんのための構築主義か(少数派のアイデンティティについて)。 - hituziのブログじゃがー

    「われわれ」を想像する権利 - Danas je lep dan. うえの記事の、最初の部分に違和感がありました。全文は うえのリンク先を よんでください。一部分だけ引用します。 前に書いた 真に他民族を尊重するということ - Danas je lep dan. の補足のようなもの。 ぼくは前々から構築主義※1を支持しながらアイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持している事について矛盾があるのではないかと感じていて,その二つの立場の整合性を取ろうとしたのが前掲エントリなんだけれど,図書館で雑誌をパラパラとめくっていたらしっくりくる表現を見つけた。 ※1:構築主義と源主義の違いについては,質主義と構築主義 - Danas je lep dan.を参照。 「構築主義を支持」するなら、「アイヌなど少数民族の民族復興運動をも同時に支持」するのは「矛盾」でしょうか。そんなことはありません。

    なんのための構築主義か(少数派のアイデンティティについて)。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/03/13
    いちばんのり!
  • 工業的な農業と ゆったりした農業の共存。そして、飢餓を うみださない国際社会へ。 - hituziのブログじゃがー

    有機栽培を 支持するのは、消費者の「の安全」などというもののためではなく、なによりも「生産者の生活環境の保全」のためであるべきだ。消費者の「の安全」のために農薬を つかうことを 批判するのは おかしい。もちろん、農薬を つかいすぎることは よくないことだろう。けれどもそれは、農業に たずさわる ひとたちの生活環境だけが悪化してしまうのを さけるためであるべきだ。の安全はその結果でいい。有機農業は たいへんなことだ。それを わかっておく必要があるし、農薬も、いま容認されている基準値さえ まもっていれば、じゅうぶんに安全であるということを 理解する必要がある。山下惣一(やました・そういち)は「農業というのは有機だけでも無機だけでもない」という。おっしゃるとおりだと おもう(山下「私が有機農業をやらない理由(わけ)-「世直し装置」としての役割を期待して」『季刊あっと』2008年 12号、8

    工業的な農業と ゆったりした農業の共存。そして、飢餓を うみださない国際社会へ。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/01/25
    工業化するということは、規格化するということですよね。生産手段や生活様式を規格化していく。それは規格から外れた人や物を、生産や生活から切り捨てる。誰かの生の規格は、その人自身で決めれる世界にしたいです
  • 遺伝子組み換え作物、知的所有権、そして農薬。 - hituziのブログじゃがー

    遺伝子組み換え作物と知的所有権(生産者を 支配するもの)。 - hituziのブログじゃがー うえの記事の つづきです。 エリック・ミルストーン/ティム・ラング『料の世界地図』丸善という すばらしいがあります。こので、「遺伝子組み換え作物」の問題が、つぎのように解説されています。 バイオテクノロジー企業は、遺伝子組換え料の研究による遺伝子と遺伝子組換え作物の利用を制限することによって、投資への見返りを確保しようとしている。企業は、利用の制限を次の二つの方法で行っている。 まず、企業は自社で発見した遺伝子と自社で栽培する遺伝子組換え作物と種子の特許を取得する。これによって、企業は20年間、“発明”への商業開発を独占することができ、使用者に特許使用料や許可料金を請求することができる。特許を受けた種子から作物を栽培している農家は再び種をまくために、種子を購入するにしても、種子を保存するに

    遺伝子組み換え作物、知的所有権、そして農薬。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/01/25
    人間が自然をコントロールするということは、結局は一部の人間がたくさんの人の生活をコントロールすることになるのですね。そして、どこかの地域の人たちだけが苦しむという、不自然な災害をもたらしているのですね
  • 飼料米の可能性(コメを 家畜の えさにする)。 - hituziのブログじゃがー

    では糧自給率について、おおきく誤解されている。それは、先進国は料を 輸入する側で、第三世界は料を 輸出する側だというものだ。じっさいのところは、佐久間智子(さくま・さとこ)「糧自給と自由貿易」『オルタ』2008年 7・8号で つぎのように説明されている。 実際、世界の糧輸出国上位10ヶ国のうち、9ヶ国までが先進国である。特に穀物に関しては、輸出全体の7割以上を先進国が占めている。逆に、糧純輸入国である先進国は、日韓国台湾、イスラエル、スイス、ノルウェーなど数ヶ国に過ぎず、先進国の中では少数派だ。途上国と言われる地域でも、南米のブラジルやアルゼンチン、メキシコ、チリ、アジアではタイやベトナムのように、中所得国とされる国々のなかに輸出大国が存在する一方、…中略…最貧国のほぼすべてが純輸入国である。(18ページ) 米を たくさん たべる。 - hituziのブログじゃがー

    飼料米の可能性(コメを 家畜の えさにする)。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/01/25
    飼料米は、日本の生産者を助けるだけでなく、世界中でおきている食糧危機を防ぐ可能性もあることを知りました。また、季節と共に緑、黄色と風景がかわる田んぼのある景色は美しいと思います。その風景も守りたいです
  • 屠場(とじょう)労働者は、はたして笑顔で いられるのか。社会全体の問題だ。 - hituziのブログじゃがー

    いつも屠場(とじょう)労働者の みなさんが 笑顔で いられますように。 - hituziのブログじゃがー うえの記事は、たくさんの好意的な反応を いただきました。それは、はてなブックマーク - いつも屠場(とじょう)労働者の みなさんが 笑顔で いられますように。を みても、おわかりいただけるかと おもいます。 うえの記事のように、ストレートに表現すれば、屠場で しごとを している ひとを 差別するということが、いかに「天に つばを はく」行為(自分自身に はねかえってくること)であるか、わかっていただけるということでしょう。うえの文章に かいたとおり、「この社会で 肉を たべている たくさんの ひとたちがいる。そこにニーズがあり、屠場という空間が あ」るのですから。 さて。屠場労働者の笑顔のために、必要なことは なにか。リストに あげてみましょう。 屠場がタブーでなくなること。差別がなく

    屠場(とじょう)労働者は、はたして笑顔で いられるのか。社会全体の問題だ。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/01/20
    労働そのものがしんどくて笑顔でいられないということとは別に、労働から離れた場所で、ある労働をしているということで笑顔でいられないということが問題なのですよね。それは本当に、社会全体の問題だと思います。
  • 食料危機は なぜおきるか。 - hituziのブログじゃがー

    その地域での主は、その地域で つくるのが重要なことです(ここでいう「地域」は、国家などの規模だと かんがえてください)。なぜか。 そして、この世界では主である穀物を 輸入に 依存している地域がある。それは なぜなのか。 ここに、南北問題がある。 日でも、コメ騒動がおきた。1993年のことだ(1993年米騒動 - ウィキペディア)。タイ米が おいしくないという、たいへん失礼な声が でてきたのを、よく おぼえている。 ひとつ、しらなかったことがある。それは、あのとき、タイ米の輸入に せりまけた地域があったということだ。日が 突然 輸入した あの米たちは、いつもは どこに とどいていたのか。佐久間智子(さくま・さとこ)「糧自給と自由貿易」『オルタ』2008年 7・8号を みてみよう。 冷夏によってコメ不足に陥った日は国際市場からコメを買い漁り、挙句の果てにタイ米などを大量廃棄していた

    食料危機は なぜおきるか。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/01/20
    無国籍料理というジャンルがありますが、私たちはいつも多国籍、他国籍の食べ物を食べているのですね。そしてそれは、多国の、他国の人々が食べるはずの自国籍の食べ物を奪っているということなのですね。反省します
  • エビを たくさん たべるということ。 - hituziのブログじゃがー

    村井良敬(むらい・よしのり)『エビと日人』岩波新書が でて、21年が たちます。1988年に出版された このは、2007年に読編が でています。村井良敬『エビと日人II ―暮らしのなかのグローバル化』岩波新書です。 『エビと日人』を みてみましょう。 えび業界の「現場」の人びとは、大ていのこと、大ていの問題や矛盾を知っている。しかし、現場の声は、いつの間にかかき消され、最終的に「儲かるか否か」だけが、輸入業者の判断基準になってしまう。 乱獲、くず魚投棄、トロール漁への抗議、マングローブ林の破壊、黒変防止の薬剤投与……、こうした事実を「現場」は知りぬいている。だが私たちには、大事件でも起きないかぎり伝わらない。消費者である私たちは、なるべく多くの情報を得て、消費行動をしたい。消費の背後に不公正や搾取、とりかえしのつかない生態系の破壊、あるいは生活の破壊などがあるのを知ったら、その消費

    エビを たくさん たべるということ。 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/01/12
    エビを食べる消費者は、エビという生産物を消費しているのではなく、エビの養殖地でくらしている生産者の人々を消費しているのですね。「エビと日本人」は、名著だと知りつつ読んでいませんでした。読みます。
  • 質問に質問で こたえてみる。 - hituziのブログじゃがー

    はてサの皆様に質問がございます。 - はてな匿名ダイアリー 楽しく拝見させていただき、非常に勉強となっています。 日ははてサの皆様に質問がございます。 よく、ネット右翼の皆様は弱者救済を自己責任論で完結させようとしていらっしゃいます。 この辺の理屈は非常に単純明快でわかりやすいものがございます。 おそらく、私が愚考いたしますに、「俺ら頑張ってきたんだから楽するなんて許さないよ」という心境がございますのでしょう。 皆様は大変努力なされてきたのでしょう。一学生の私はただただ敬服するばかりです。 私にはその考えはとても理解しやすいものです。 対するはてサの皆様は弱者救済を声高に叫んでいらっしゃいます。 慈愛の心に満ち溢れる、自然と出てきた主張でありましょう。 人なのですから、助け合いの心は大切ですよね。 しかし、どのような行動にも「理由」はあるものだと私は考えております。 皆様なりの思うところ

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    F1977
    F1977 2009/01/11
    「救済」ではなく「共存」「共生」をもとめているのです。「救済」に対して「自己責任」で対応するなら、「共存」「共生」に対するものは、なんですか?「排除」です。誰かを「排除」する社会には理由なく反対です。
  • 社会運動に資格は いらない。 - hituziのブログじゃがー

    だれかを 非難したいなら、相手の矛盾を 指摘するのが てっとりばやいようです。「おまえは えらそうに倫理を かたるけれども、おまえは こんなに わるいじゃないか。」「だから おまえには倫理を かたる資格などない。」「社会問題を 論じる資格がない。」 ほんとうに、あちこちで みられる非難です。 ですが、まってください。 あなたは一体、なにものですか? そうやって非難してみせる あなたは、どこで なにを しているのですか? あなたは、だれのために そういってみせるのですか? 相手のため? それならいいでしょう。 でも、もしそれが 相手を 非難することで自分の立場や責任を といなおすことなく 安心するためだったら? 自分から 問題を きりはなすためだったら? そのとき わたしは、はっきりと いいます。いいかげんにしてくれ。そうやって安易に安心するのは うごいてからにしてくれ。 そうです! 社会運

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    F1977
    F1977 2009/01/08
    希望をもつことに、資格はいらないのですよね。資格があっても希望がなければ、みんなが希望をもてる社会にならないと思います。みんなが希望をもてる社会をめざして、まずわたしが、あなたが希望をもちましょう。
  • ウェブの常識、ヤスクニの非常識。 - hituziのブログじゃがー

    リンクは自由。これはウェブの常識です。 ところが、どうだろう。靖国神社(やすくに じんじゃ)のウェブサイトは。 転載・リンク条件 リンクの設定について リンクをご希望の際は、内容に同意の上、貴サイトの内容・URL・氏名・連絡先・リンクの趣旨を靖国神社広報課まで、文書若しくはFAXにてご連絡下さい。なお、当社からの回答があるまでリンクの設定はご遠慮願います。 設定はホームページのトップ頁「http://www.yasukuni.or.jp/」となります。 リンクは貴サイトからの片側のみを原則とします。相互リンクについては現在、神社関係団体に限らせていただいております。 以下に該当するサイトからのリンクは一切お断り致します。 靖国神社または第三者を誹謗中傷、名誉毀損、また財産、名誉、人格権、プライバシーの侵害をしている、またはそのおそれがあると当社が判断したもの 靖国神社の評判・信用を損なう

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    F1977
    F1977 2009/01/05
    じゃあ、無断合祀も禁止にしてほしいですよねー。
  • ひとは、社会で そだつもの。 - hituziのブログじゃがー

    坂口安吾(さかぐち・あんご)は、「戦争論」という評論で つぎのように のべています。 家も、又、垣の一つだ。何千年の人間の歴史が、この家の制度を今日まで伝承してきたからと云って、それだから、家の制度が合理であるとは云えない。 …中略… 家の制度があるために、人間は非常にバカになり、時には蒙昧な動物にすらなり、しかもそれを人倫と称し、能の美とよんでいる。自分の子供のためには犠牲になるが、人の子供のためには犠牲にならない。それを人情と称している。かかる能や、人情が、果して真実のものであろうか。 …中略… 家の制度というものが、今日の社会の秩序を保たしめているが、又、そのために、今日の社会の秩序には、多くの不合理があり、蒙昧があり、正しい向上をはばむものがあるのではないか。私はそれを疑るのだ。家は人間をゆがめていると私は思う。誰の子でもない、人間の子供。その正しさ、ひろさ、あたたかさは、家の

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    F1977
    F1977 2009/01/04
    親があってもなくても、家があってもなくても、社会があれば、ひとはそだつことができるのですよね。自分の家の中で、自分の家族の命だけでなく、社会というおおきな家の中で、みんなの命を守ってそだてていけたらな
  • コミュニケーションに正解は ありえない。だから、 - hituziのブログじゃがー

    自閉者と自分勝手なコミュニケーション - hituziのブログ 無料体験コース コミュニケーションに障害はありえない - hituziのブログ 無料体験コース 自分のコミュニケーションを観察する - hituziのブログ 無料体験コース 自閉症と主体性。 - hituziのブログじゃがー うえの記事の つづきを かきます。 ときに、「わたしは障害者と接したことが あんまりなくて、どんなふうに接したらいいのか わからない」という声を きくことが あります。たいせつなことだと感じると同時に、不思議な発想だとも感じます。 『認知症と診断されたあなたへ』医学書院 - hituziのブログじゃがー うえの記事で紹介した ことばに「人は病い一般を生きるわけではありません」というのが あります(『認知症と診断されたあなたへ』25ページ)。 これは、とっても たいせつな視点です。これは つまり、「一般的な

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    F1977
    F1977 2009/01/03
    自分のコミュニケーションがまちがいなのかどうか、それもであって、せっしてみないとわからないのですよね。まちがいをおそれずに、ちがいにきづいて、正解じゃないかもしれないけど、まちがいでもないかもしれない
  • 『認知症と診断されたあなたへ』医学書院 - hituziのブログじゃがー

    小澤勲(おざわ・いさお)/黒川由紀子(くろかわ・ゆきこ)編『認知症と診断されたあなたへ』医学書院 すこしまえに よんだですが、いいです。とはいっても まだ半分しか よんでいませんが。 このを つくった背景を、おざわさんは つぎのように解説しています。 このは、共編者の黒川さんが教えておられる学生さんが、ゼミで「認知症に関するには、啓蒙書もあり、専門家向け、ケアスタッフ向け、家族向けのものもあるのに、なぜご人に向けたがないのですか」と問われたことから計画されました。 おざわさんは、「たしかに、誰よりも不安で、悩み苦しんでおられるに違いない方に向けたが、これまではなかった」、「認知症と診断された方に、まず読んでいただくようなも必要なのでは、と考えました」としています(7ページ)。このは「認知症をかかえるあなたの、日常生活に役立つガイドブックを目指している」ということです(8

    『認知症と診断されたあなたへ』医学書院 - hituziのブログじゃがー
    F1977
    F1977 2009/01/02
    わすれることに不安やおそれをかんじているひとの、不安をわすれさせてあげるような、おそれをとりのぞいてあげるような、そんなことばをわたしたちや社会がしって、おぼえていかなければならないのだとおもいます。