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  • 人間は、「なるもの」とか「であるもの」なんかじゃないんだ。するものなんだ。 - hituziのブログ 無料体験コース

    人間は、「なるもの」とか、「であるもの」なんかじゃないんだ。するものなんだ。 だから たまには人間をしないときが あったって いいし、ネコをやってみたって いいんだ。にゃああああああ。ぐーぐー。 きょうは、こういう人間をする。こんなときには、こんな人間をしてしまう。今度は、あんな人間をしてみよう。そんなかんじだ。 人間になるだって? まだ人間になれずにいる状態にいる だれかが いて、そのひとが人間になる条件をみたすことによって人間であると認定するのですか? 人間であるだって? ところでさ、植物人間ってのは、人間とは べつのカテゴリーとしての「植物人間」なの? それとも、「植物状態にある人間」ということなの? 宇宙人って いうけど、あれも なにをもって宇宙人は「ひと」だというの? その根拠となるのは、脳みそ? すがたかたち? 言語? 文明? 宇宙動物とはいわずに、宇宙人というのは、地球以外の

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    F1977
    F1977 2008/12/23
    「するもの」って「いきるもの」ってことだなと、思いました。人間をいきる、ネコをいきる。いきるってむずかしい、いきてみないと、わからない。人間をネコを、いろんないきかたを、いきて、まなんで、理解したいな
  • ことばのユニバーサルデザインの方向性 - hituziのブログ 無料体験コース

    ユニバーサルデザイン(普遍的設計 ←無理がある訳であっても、ゆるして)は、この社会には いろんな人が生活していることを大前提におく。白人で、若者で、男性で、異性愛者で、健常者で、中流階級以上で、マッチョで……なんていう、特定の人たちだけが生活しやすい社会設計を批判する。老人だろうが、コドモだろうが、妊婦だろうが、どんな身体的特徴をもっていようが関係なしに、だれも無力感をあじあわなくてすむ社会をめざすわけだ。 これは、ことばの表現様式の問題についても いえることだ。 たとえば、文字をかくこと=「筆でしたためる」っていう常識が一般化した社会では、字がかけない人が でてくる。まったく「かけない」ことはなくても、劣等感にさいなまれる人もでてくる。筆がきには、ある文化文化的素養)と肉体資(もってうまれた体)が条件として要求されるからだ。 というメディアにおいても、拡大図書をよむ人がいたり、

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    F1977
    F1977 2008/12/22
    たまたま、自分が複数のコミュニケーションの方法をもつことができるのだとしたら、そのコミュニケーションの方法をもっとふやしていきたいです。ユニバーサルを考えていけば、わたしもユニバーサルになれる。ステキ
  • 自閉者と自分勝手なコミュニケーション - hituziのブログ 無料体験コース

    このあいだね、職場にきてた実習生3人が、めずらしいことに最終日に ぼろなきしてたんですよ。おお、めずらしいなあと。利用者さんをみて、なみだ。職員に あいさつして、なみだ。3人そろって ないてるもんだから、相乗効果。共鳴する感動…。 福祉施設の実習は いやだったけど、いろいろ かんがえが かわったということをおっしゃっておられたようです。 印象的だったのは、自閉症の利用者さんに、わかれの あいさつをしているときで、なきながら こえをかけているんだけど、いわれてるほうは、かおをそむけて、てきとーに うなづいているのでした。いかにも そのひとらしくて、わたしは ほほえましかったのですけれど、実習生さんたちは、すこし さみしそうにしていました。 その利用者さんは、くちうるさく いわれると ほかのひとをつきとばしてしまったり、みみをふさぐ ひとなんですけれど、ひととのコミュニケーションは だいすきな

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    F1977
    F1977 2008/12/20
    自分のしってるコミュニケーションが拒否されたのではなく、誰かのしってるコミュニケーションをしらなかったから拒否されたのかもしれず、そして、それをしれば拒否ではなかたったのかもしれないですね。つながれる
  • かくも「正しい」動物愛護 - hituziのブログ 無料体験コース

    北海道におけるイオマンテの儀式は1955年に北海道知事名により出された通達によって「野蛮な儀式」とされ事実上禁止されたが、2007年4月、通達は撤回された。(「イオマンテ - ウィキペディア」)この「イオマンテ解禁」がニュースサイトで紹介されてるわけなんですけど、一部の動物愛護を議論するひとが、これに「反対の意見をおくろう」というはなしをしている。 野蛮だとか日は先進国なんだからとか、なかなか すごいことをいっている。北海道知事や北海道ウタリ協会などに意見をおくるんですと。はあ。 いやね、あたしだって動物愛護に共感しないところがないわけではないですよ。けっこう厳格なベジタリアン生活も経験しましたし、そのへんのムシも、できるかぎりは ころさないようにはしているつもりです。イオマンテもね、クマをころさずに儀式をとりおこなうことも可能でしょうよ、それは。禁止されてきたもんだから、これまでは そ

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    F1977
    F1977 2008/12/18
    本当にクマのことを考えるなら、本当にアイヌの人のことも考えましょう。クマのことだけ考えてアイヌの人のことを考えないのはアンバランスです。歴史的責任を考えるならアイヌの人のことを一番に考えるべきです。
  • 「人間がわるい」という共犯化 - hituziのブログ 無料体験コース

    「わるいのは人間だ。人間が いなければ環境破壊なんて ないのだから」。 わたしの学部のときのセンセが授業で いうてたことですが、人類のなかには自然と うまく共存してる人たちも いる。それなのに「人間がわるい」というのは おかしいと。……いきなり余談ですが、「自然と共存」という表現自体が近代的で、環境破壊の思想にたつ表現・発想のような気もする。はたして「自然という他者(というか客体)」が いるのだろうかと。たとえば「風景」のように、われわれは その一部にすぎないんじゃないかと(って、文章かたすぎ)。 共犯化という暴力のしくみは、身勝手な「われわれ」意識によるのだと おもう。「われわれの拡張主義」と いいますか(なんで こんな表現つかってんだろ)。あるいは、「大小ひっくるめて無理やり でっちあげてみました的われわれ」(こういう ふざけたのも どうなんだ…)。 無批判に「わたしたち」「われわれ」

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    F1977
    F1977 2008/12/18
    「われわれ」「わたしたち」というときに、「われ」はあとの方の「われ」に、「わたし」よりも「たち」の方に責任の比重をおしつけてしまっているように思います。たとえ全人類の問題でも、かんがえるのはわたしです
  • おたがいのジレンマをさらけだし、みとめあう瞬間 - hituziのブログ 無料体験コース

    の話は やっぱり おもしろいもんだ。もうすこし つづける。 森達也(もり・たつや)さんは、についても あれこれ かんがえをもってるようだ。「1999年のよだかの星」という動物実験をテーマにしたドキュメンタリーも つくってるそうだし。おもしろそうですよ。「他の生命を犠牲にすることでしか生命は持続できないという矛盾」に焦点をあてたとのこと(『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』2003、晶文社、230ページ)。このから ちょっと引用しよう。麻原被告の こどもとの会話のところ。…でもさ、今こうして歩いているだけでも、虫や微生物を人はたくさん踏みつけてるんだよと僕は言った。不殺生を唱える宗教者や菜主義者に、そんな信条を持たない誰もが思いつく質問だ。土を眺めていたアーチャリーは顔を上げ、如何にも辛そうに、しみじみとこうつぶやいた。 「……そうなんですよねえ」(231ページ)この、「そう

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    F1977
    F1977 2008/12/17
    みんなが抱えなければいけない矛盾なのに、それを感じる人だけ矛盾にくるしんで、感じない人はくるしまなくていい、そんな矛盾ってないですよね。誰かが感じている矛盾にわたしもきづいて、一緒に考えていきたいな。
  • 映画『陽のあたる場所から』 - hituziのブログ 無料体験コース

    しずかに淡々と ながれる映画。なにか劇的な変化が おとずれるわけでもなく、みるものに、ぼんやりと印象をのこす。 フランスの精神病院。新人の精神科医コーラ。ひとりの謎めいた患者ロア。一言も はなしをしない。彼女のことをもっとしりたい、わかりあいたいと ねがうコーラ。仲よくなれたような気がしたころ、ある日 やすみあけに病院にいくと、ロアのすがたはなく、退院したという。アイスランド人だったことが わかり、家に かえったのだと。あっさりと退院して すがたをけしたことに じゃっかんの失望感をいだき、アイスランドへ。 わたしはロアのことを理解できた、もうすこしで はなすようになりそうだ、治療が必要なんだと かんがえるコーラ。いきごむ すがたは新人ならではのものだ。 ロアをおさないころから しっている島の医者は、「僕は理解するより生きるのを手伝おうと思う」という。印象的な ことばだ。 わたしたちは しば

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    F1977
    F1977 2008/12/12
    すきだからみせたくない部分があって、みせたくないけど、でもその部分も自分であることも、わかってほしいとおもったり。そんなどちらの自分もいることをもてあましていたり。そのことを、みとめあえたらすてきだな
  • ことばと からだの多様性から、あたりまえ革命へ - hituziのブログ 無料体験コース

    どんなに自分をごまかして うつくしく みせようとも、がんばってみせようとも、ごまかしきれるものではありませんね。 自分に むすばれたゴムをふりきろうとしてみたけれど、やっぱりゴムの力が つよくて ばっちーん、みたいな。 ふりだしに もどる。 みのほどをしる。ところで。浜田寿美男(はまだ・すみお)『「私」をめぐる冒険-「私」が「私」であることが揺らぐ場所から』洋泉社から引用します。第二章 「自閉症という「私」の鏡」のフレーズです。私は、断念ということばは、とてもポジティブなものだと思っています。目の前に高すぎる不可視のハードルがあるときには、断念がなければ、相手を肯定したり、相手の居場所を認めたりすることができません。…中略…cure[治療、なおす-引用者注]を目指すことがそのまま相手を否定することにつながることがあるし、逆に、断念することが関係の回復に直結することもあるわけです。その意味で

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    F1977
    F1977 2008/11/23
    だれかと自分がちがうことに、おどろくのではなくて、ちがっていることが、あたりまえであるということに、まず、おどろいて、あたりまえを、あたりまえにしていきたいとおもいました。あたりまえ革命、いーですね。
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