2008年12月20日のブックマーク (3件)

  • 彎曲していく日常

    66 余事記載 http://666999.info/matu/data0/gainen66.php 裁判所に提出した文書の中で、裁判所が考える現実の構成にとって不要である要素は、裁判所にとってどうでもよいできごとであり、審理の対象になることはない。当事者の発言の一部が審理の対象にならないのは裁判所にとって(そして同じ法的常識を共有する弁護士にとって)当然のことなのだ。 「私の提出した文書にある「~を含む仮装被告団」の表現を余事記載であるとして私に削除を要求したので拒否すると、裁判官が決定で削除したこともある。」「~を含む仮装被告団」というものが松下以外のひとり以上の特定の個人を含むものであり、その名前による文書であるなら、裁判官が勝手に削除するのは正当ではないように思われる。それとも、特定の個人(匿名であっても)が存在しないと思われたから削除されたのか、ここの文章だけではなんともいえない

    彎曲していく日常
    F1977
    F1977 2008/12/20
    田中さんという人は、犠牲者・被害者の「忘却」を利用して、そうでない自分たちの「忘却」を免罪しようとしているように思います。「無名性」を利用して、むしろ名がある人から、名を奪おうとしていると思います。
  • 自閉者と自分勝手なコミュニケーション - hituziのブログ 無料体験コース

    このあいだね、職場にきてた実習生3人が、めずらしいことに最終日に ぼろなきしてたんですよ。おお、めずらしいなあと。利用者さんをみて、なみだ。職員に あいさつして、なみだ。3人そろって ないてるもんだから、相乗効果。共鳴する感動…。 福祉施設の実習は いやだったけど、いろいろ かんがえが かわったということをおっしゃっておられたようです。 印象的だったのは、自閉症の利用者さんに、わかれの あいさつをしているときで、なきながら こえをかけているんだけど、いわれてるほうは、かおをそむけて、てきとーに うなづいているのでした。いかにも そのひとらしくて、わたしは ほほえましかったのですけれど、実習生さんたちは、すこし さみしそうにしていました。 その利用者さんは、くちうるさく いわれると ほかのひとをつきとばしてしまったり、みみをふさぐ ひとなんですけれど、ひととのコミュニケーションは だいすきな

    自閉者と自分勝手なコミュニケーション - hituziのブログ 無料体験コース
    F1977
    F1977 2008/12/20
    自分のしってるコミュニケーションが拒否されたのではなく、誰かのしってるコミュニケーションをしらなかったから拒否されたのかもしれず、そして、それをしれば拒否ではなかたったのかもしれないですね。つながれる
  • 「歴史=物語」の倫理学―《痕跡》と《出来事=他者》のあいだにある「主体」について― - 過ぎ去ろうとしない過去

    歴史」をとりあえず「記述された歴史」という狭義の意味で定義してみよう。次に、この「記述された歴史」が、実際に起きた出来事としての歴史と等しいものかどうか検討してみよう。たとえば史料において、われわれは戦国時代の日には織田信長という人がいたことを知る。しかし、もちろん同時代には彼以外にも何千万ものの無名の人々がいたのであって、しかし彼らについては、われわれはおそらく永遠に知ることができない。また、「言語論的転回」*1を経た今日では実際に起きた桶狭間の合戦と史料に記述された桶狭間の合戦の間には、どんなに信頼できる史料だろうとなお、埋めることのできない差異があることは常識である。 以上のことから、「歴史」は「物語」*2であるという言説が産まれる。それはある種の人々、たとえば「新しい教科書をつくる会」のような人々にとっては都合の良いナショナル・ヒストリーを構成するための言い訳であり、このような

    「歴史=物語」の倫理学―《痕跡》と《出来事=他者》のあいだにある「主体」について― - 過ぎ去ろうとしない過去
    F1977
    F1977 2008/12/20
    犠牲者の経験を引き継ぐことが、肝要なのです。たとえ「痕跡」しかなくても、私たちの心と体に刻みつけること。辛く苦しい作業ですが、二度と同じ歴史をくりかえしたくないと思うなら痕跡を刻み引き継ぎ続けましょう