人間というのは、往々にして他者の中に自分を投影して見たがるものだ。特に、悩んでいる人というのはそうだ。人が、誰か他人の中に悩みを感得するというのは、往々にして自分に悩みがある時だ。「この人は、こんなことでこんなふうに悩んでるんじゃないか?」そんなふうに想像する時は、往々にして、自分がそのことで悩んでいるのである。 id:kawangoさんは悩みがあるのではないだろうか?そしてまた、いみじくもご自分で仰ったように、「逃避したい現実がある」のではないだろうか?だから、ぼくの中に現実から逃避している人物像を見た。kawangoさん自身をぼくに投影して、ぼくを媒介にして、kawangoさんご自身の内面をご覧になったのである。 そういうことは、往々にしてある。特にぼくに対しては、そういうことをする人が、往々にしている。人は、ぼくの中によく自分自身を見出す。多くの人が、ぼくを通してそこに自分を感得する
人並みにメリケンの歴史と文化を識っていたつもりであったが、まさかここまでとは思わなかった。 町並みはシムシティ+ディズニーランド並みにお手軽だし、スポーツ*選手*はおすもう*さん*や格闘*家*並みの不可侵性を備えてるし、過去の栄華を今に伝える枠はミュージカルやモノクロ映画や原野に生きる野生動物の生態になるし、脈々と受け継がれる伝統工芸の枠はエジソンやフランクリンによる革新的発明の讃頌になってるし。 考えてみればアメちゃんの先祖が活躍した舞台はショービズと科学であり、国の伝統を守る行為はショービズと科学を進展させる行為に繋がるのだな。こう解釈すれば、これらの分野を支える個々のアメちゃんは日本における伝統文化の担い手と同等の地位を保っていることも頷ける。ハリウッド出身の大統領や州知事なぞ観世流の家元が政治家もやっているような印象を與え、新規分野を開拓した科学者なぞ竹千筋細工の元祖を名乗る工房の
HQ9+はクリフ・ビッフルによって作られたジョーク向け難解プログラミング言語である。実用言語ではない。 HQ9+は4つの命令だけで構成されており、それらは'H'、'Q'、'9'、'+'という単一の文字で示される。HQ9+はチューリング完全ではなく、プログラミング言語としては不完全であるが、プログラミングの例題としてよく取り上げられるいくつかの問題に対しては極めて効率的である。 [編集] 仕様 Hコマンドは文字列"Hello, world!"を出力する。 Qコマンドはプログラムのソースコードを出力する(参考:自己出力プログラム)。 9コマンドは『99 Bottles of Beer』(アメリカの数え歌で、プログラミングの例題でよく利用される)の歌詞を出力する。 +コマンドはアキュムレータをインクリメント(1だけ増やす)する。 HQ9+のプログラムは、例えば次のようになる。 HHQ+HQ++
関東ローカルな話題で恐縮です。一枚のカードでJRも私鉄もバスも乗れるというPASMOなるカードがこないだ発売されたんですね。そしたら予定よりも多く売れすぎたとかで品切れになってしまって、ただいま発売制限中というトホホな事態になっとります。まあ俺は発売してすぐだったから問題なく買えたんですが。 俺の場合、普段は小田急線中心の生活してるんですけど、週一で通ってる多摩美はJR横浜線の橋本にあって、バスにも乗るのでPASMO買ったわけですよ。全部一枚で済むから便利だと思って。で、PASMOは私鉄各社がメインで発行してるんですね。そしたらそれに対抗したのか、JR東日本が発行しているSUICAというのが、この春から私鉄もバスも乗れることになって「どっちでもいい」みたいな状況になってきました。 ユーザーとしては本当にどっちでもいい話なんですが、俺は去年からSUICAも使っていたので、2枚持っているとちょ
近頃ニュートンのことをよく考えるのですけど、彼は地球上にいてラッキーでした。だってりんごが落ちた。 もし彼が星やその他の物体の影響が無視できるほど空虚な空間にいたとしたら、「万有引力」を見つけられたかどうか、はなはだあやしい。だってりんご落ちない。 ところがある日、通りの向こうから彼女がやってきて「こんにちは」と言いました。 彼は胸がキュッと苦しくなり、手にしていたりんごを取り落とすのですけど、それまで微動だにしなかったりんごは彼女の質量中心に惹かれて落ちはじめます。 りんごは彼女の体に落下することなく、彼女の背中側をぐるりと回って再び彼のもとへ向い、彼の50cmそばを弧を描いて通過し、また彼女のほうへと落ちてゆきます。 まっかなりんごは二つの質量間で永遠に落ち続け、その軌道は二人の質量体の結びつきを象徴するかのようでした。 彼はその力を「恋」と名付けました。そのためその空虚な空間では「万
1.まず第一に、あなたは○○なんですか? 2.○○は実際に抑圧されているんですか?抑圧と呼んで捉えるに値する圧力なんですか? 3.社会的に、というマクロな視点と、あなた個人が、というミクロな視点を履き違えてませんか? 4.そもそも、あなたが本当に望んでいるのは社会的抑圧構造の改善なんですか?あなた個人の適応の改善ではないのですか? 5.マクロな社会の改善とミクロな自分の改善が食い違う時、それでもあなたはマクロを選べる程度にはご立派なんですか? 社会がどうなのか・マクロでどうなのかといった問題は、あなた自身の適応に関する問題とは必ずしも一致しない。一致しないのにそれらに固執したところで、あなた自身の適応を長期的に変化させる可能性はまずあり得ない。にも関わらず、自らの願望への問いかけや自らの処世の見直しには背中を向け、他人達がどうなのかやマクロがどうなのかを論じ続ける人達は、一体いつになったら
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く