僕はしばらく前までプログラミング言語についての議論を戦わすのが好きな人間だった。 今でもそういう会話が嫌いではないとはいえない。というか好きか嫌いかで言うと好きな方かもしれない。今でもそういった会話、「何とか言語はこういうとこがいけない」「それに比べると(俺の使っている)○○言語はうんたらかんたら」というトークは、茶飲み話としてはそうとう楽しいと思う。酒の席で語るにはもってこいの話題だ。でも、それは職業としてエンジニアをやるいい大人がツバを飛ばして語るような話題ではない、と思う。 なぜそう思うか、と問われれば答えは明快で、その言語を使うコンテキストを無視して言語の優劣を語ることには意味がないと思うからだ。 非常に大雑把な括りをさせて貰えば、いわゆるスクリプト言語および動的な型付けを行う言語は、「少数の一定水準を越えたチームが最大限の効率を発揮するために設計された言語」だと思っている。 例え
「人々は活気に溢れていた」「温かい時代だった」『ALWAYS 三丁目の夕日』第3弾も公開され、ますますブーム沸騰中の「昭和」にもの申す! 過去を懐かしむことは決して悪いことではない。しかし、昭和ノスタル爺の懐かしみ方は常軌を逸している。昭和は本当に良かった時代なのか!? “昭和ブーム”の浅薄さを検証し、その後ろ向きな懐古主義がもたらす弊害について考えてみた。 【昭和懐古主義派の主張】 ◆都内でも自然が残って、山里も綺麗だった……。とても生きやすい時代だった 昭和ノスタルジーで語られる生活環境といえば、まだ雑木林や原っぱ、あるいはザリガニ釣りをするような池や川が残っていたというもの。都心部でも、空気はそれほど汚れておらず、夕日や星空が綺麗に見えるなど、都市化と自然がまだ調和していたというが、スクリーンではわからぬものもあるのでは!? 【実際は……】 ◆環境に対する意識が希薄で汚物も有害物質も
過去を懐かしむことは決して悪いことではない。しかし、昭和ノスタル爺の懐かしみ方は常軌を逸している。昭和は本当に良かった時代なのか!? “昭和ブーム”の浅薄さを検証し、その後ろ向きな懐古主義がもたらす弊害について考えてみた。 【昭和懐古主義派の主張】 ◆今は(ホリエモンとか)利益追求でカネに目がくらんだ企業が多いが、昔は節度があってマジメに頑張っていた 「利益のことしか考えないIT長者やヘッジファンドに、食品偽装や耐震偽装……企業のモラルが昔に比べて全然なってない!」と憤る昭和ノスタルジー信奉者。「昔は社長も社員も一丸となって、世の中が少しでも豊かになるように懸命に努力した。結果的にそれが高度成長をもたらし、日本の礎をつくったのだ」とのことだが……!? 【実際は……】 ◆ヒ素ミルク混入事件や雑な売血も問題化 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台は昭和30年代だが、当時の社会状況を検証した
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く