1912年(明治45年)6月1日、茨城県出身の小川菊松は、大口雑誌を扱う大取次の至誠堂から独立し、東京市内を回る書籍専門小取次として誠文堂を創業する[2]。 設立翌年の1913年(大正2年)より出版業に参入。最初の出版物は1913年9月21日付発行の渋川玄耳『わがまゝ』であった[3]。出版業の方が当たったため、1916年(大正5年)頃から取次販売を放棄して出版業に専念することになった[4]。 1935年(昭和10年)、新光社を吸収合併して現社名になる[5]。 合併直後から太平洋戦争時中を除く昭和40年代頃までは園芸植物や熱帯魚の輸入代行及び駅留めでの通信販売も業務としており、ペット関連、理工学や人文科学、デザイン、美術、教育など学術書、及び児童書分野で知られる。 小川菊松は、『最新愛犬読本』『猟犬銃猟射撃事典』『出版興亡五十年』など自著を同社から発行する他、日本の近代出版史に功績を残すも、