いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は「八日講」について書いてみたいと思います。 日蓮の御書で『四条金吾殿御返事』(弘安5年1月、真蹟は高知要法寺に断簡が現存)と言うものがあります。 ここでは四条金吾並びに鎌倉在住の日蓮門下らが、毎月8日に釈迦仏の誕生日を祝う「八日講」を行っていることに対して、日蓮が褒め称えているのです。 具体的に御書を引用してみましょう。 「抑(そもそも)八日は各各の御父・釈迦仏の生れさせ給い候し日なり、彼の日に三十二のふしぎあり・一には一切の草木に花さき・実なる・二には大地より一切の宝わきいづ・三には一切のでんぱた(田畠)に雨ふらずして水わきいづ・四には夜変じてひる(昼)の如し・五には三千世界に歎きのこゑなし、是くの如く吉瑞の相のみにて候し、是より已来(このかた)今にいたるまで二千二百三十余年が間・吉事には八日をつかひ候なり。 然るに日本国・皆釈迦仏を捨て