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*favに関するGenのブックマーク (13)

  • Diamanda Galas

    DIAMANDA GALAS' MUSIC RETURNING TO STREAMING SERVICES EVERYWHERE!Click to read Bandcamp's "Guide to the Discography of Diamanda Galás, Avant-Garde Oracle." » U.S. FILM PREMIERE: SCHREI 27Screening March 28-30 at Performance Space 122 (New York City), with a special talk with Diamanda on March 30. »

    Diamanda Galas
    Gen
    Gen 2009/01/25
  • Raw Grooves #3

  • Discover the Covers #1

  • 坂のある非風景 本棚を晒さない

    棚を見てみたいというトラックバックが詩のサイトの方にきた。心揺々として戸惑ひ易く - 棚を晒す 夢を語るのは裸になることよね、金井美恵子。棚を晒すことは、夜見た夢を語るのとおなじで、裸になるよりも恥ずかしいことだと、その他の人からも聞いたことがある。そういう観点からは、もちろん白昼に、目覚めていて見ている夢のほうがはるかに恥ずかしい。棚は、その、昼間に見ている夢に属する。 私の感性や知性が無防備にも反射されている書架。それどころではない。さらに棚は防御なのだし、防御によってさらにあからさまな弱点をさらけ出す。理論で武装する者は理論が弱点であり、知識で武装する者は知識に弱い。 しかし、書物とは美しい形式である。ただ並べられ、読まれなければ読まれないほど。 あなたといっしょになれば、この棚がわたしのものになるんだって思った、と女は言った。女は、書棚と結ばれようとしていたのか。書棚を

    Gen
    Gen 2008/11/11
  • 坂のある非風景 : 愛することは失い続けることなのか

    「さて失恋から立ち直るためにはその原因についてあれこれ考えないようにするのがいちばんで、具体的にはどうすればよいかというと」と、書きはじめられている。 彼または彼女と歩いた道を、一緒に行ったレストランを、よく聴いた音楽を、相手を思い出させたり連想させたりする一切のものを避けること。もう彼または彼女からかかってくることなどない(でも、かかってくるかもしれないという希望を捨てきれない)携帯電話も新規で契約し直したりとか。まあ、こんなこと書かずとも、みんな知っていることばかりか。 そして自分が失ったのは愛ではなくて一人の人間なのだと思うこと。 そうなのか、失恋は、まるで災厄のように考えられているのかということに、改めて気づかされる。たしかに忘れることは、私が私の過去とともに生きるひとつの方法である。そして忘れようとすることは、その過去への強固なしがみつきを表している。だとすれば、けっして忘れない

    Gen
    Gen 2008/11/11
    "喪失によって、失ったものは、完全な私の愛の対象となってしまう。喪失にしがみつく行為こそが、愛の対象を作り出す作業であり、喪失を通して、私は私の愛の対象と結ばれる"
  • 坂のある非風景 理解しないことによる理解へ

    僕はただ単純に常識から考えるのです。つまり、他人の苦痛が、どれだけわかるかということ。他人の苦痛がわからないから、医者や看護婦は的確な処理ができる。他人の苦痛は絶対にわからないから、家庭生活も可能なのでしょう。 吉隆明との対談で江藤淳が語っているのは、痛みを理解することではなく、病を理解することがその痛みを取り除く、という法則といってもいいような事実である。医者は患者の痛みを理解しない、だから手術も平然とできる。それは共感なき理解、<理解しないことによる理解>と呼べるものだ。あるひとが苦痛を訴え凭れかかってきたとき、共感的理解によって共に倒れるか、共感なき理解によって支えとなるかといったふたつの愛の分かれ道がそこにある。これを小説と批評の対立と見てもいい。あるいは第三項、共感なき理解によって共に倒れるか。それだとあまりに太宰的か。 「はしごたん騒動」の中で大野さんの記事を読んだ。「彼女に

    Gen
    Gen 2008/11/11
    "あるひとが苦痛を訴え凭れかかってきたとき、共感的理解によって共に倒れるか、共感なき理解によって支えとなるかといったふたつの愛の分かれ道がそこにある"
  • 坂のある非風景 泡沫のように生滅せよ

    小学4年生の子どもが作文の問題をしていて、ただ、誰かになにか言われてうれしかったことを書けばいい、そういう他愛ないものだったが、子どもは、悪口を言われてくやしかったことは何度もあるが、なにか言われてうれしかったことは一度もないと言って、そこで止まってしまった。 この設問は「物語」の作成だった。きわめてイデオロギー的な、つまり合社会的な文脈で、生活の中からむりやりに「よい話」を作り出させようとする意図がぷんぷんと匂った。誰にだって「うれしかった」ことくらいあるだろう、そういう常識と呼ばれる物語の強制である。 わたしたちは誰でも、めいめい日常のあいだに物語を語り、聴き耳をたて、ひそかにじぶんでも物語を作りながら生活している。それぞれが物語にかこまれ、物語をのこし、物語をべ物みたいに呑みこんで、日々を繰返す。だが不思議なことに、この日常世界には物語めいたことが少なすぎるとおもっている。生活の繰

    Gen
    Gen 2008/11/11
    "物語の本質は、作品化されることにあるのではなく、一瞬語られて、二度と思い出すことのできない消失の運命につき従う、そこにこそあるのではないだろうか"
  • electric stimulus to face -test3 ( Daito Manabe )

    Daito Manabe:Direction,programming and composition supported by Masaki Teruoka and Katsuhiko Harada: device Taeji Sawai: sound design Rhizomatiks

    electric stimulus to face -test3 ( Daito Manabe )
  • 花原史樹

    花原史樹
  • http://www.edelmangallery.com/galleryartists.htm

    Gen
    Gen 2008/10/14
    素晴らしい。
  • Artists - Stills Gallery

  • 江ノ電沿線は毎日がラブラブなんだ。 -

    少女漫画やドラマの舞台に江ノ電がどんだけ出てくるのか知らないのですけど、おれの想像では漫画・ドラマに出てくる電車の9割は江ノ電で、そんで必ず高校生どもがラブい状況に陥っていてて、じゃあ地方在住のおれはどんだけ江ノ電沿線に住みたいと思ったことかっていう。 ただちょっと懸念があって、あれだけ毎月、毎週のようにカップルが成立していては江ノ電沿線のフリーの女子高生が底をついてしまうのではないかという点なのだが、だがいつまでたっても江ノ電沿線フォーリンラブは終わらないこの事実。 となると考えられるのは二つ。江ノ電沿線には女子高生が無尽蔵に蓄えられているスポットがあるか、あるいは、江ノ電の路線が日々延び続けていて沿線女子が増加しているかのどちらかなのだろう。 一つ目の可能性もなくはない。沿線での女子高生出生率がカップル堕落率を上回っていればよいのだから。ただそうするといずれは江ノ電はカップルで飽和し、

    江ノ電沿線は毎日がラブラブなんだ。 -
    Gen
    Gen 2008/09/13
    陽が明けたら藤沢から鎌倉まで闊歩するぜ!
  • メレ子と地球の歩き方 - 沙東すず

    「俺この前バックパック一つでインドに行って来てさー、日とはあらゆる意味でもう別天地な訳。交通ルール一つとっても違うのよ。日ではクラクションって(中略)そういう所に行くとホント今までの価値観が崩されるっていうか、人として柔軟に(中略)…俺は当にこのインド旅行で成長したと思う(結論)」 メレ子は着座十分にして座るべき席を間違えたことを悟った。鶏の軟骨唐揚げ苦虫和えを無表情に噛み潰す。今かの女の隣で武勇伝を滔々と披露し続ける男、こういう地球の歩き方野郎には全くろくな奴がいない。 (楽しむ為でなく成長する為に旅に出るとは旅に失礼であろうに。何が失礼って、そういう目的意識の奴に限って成長して帰って来た試しがない。要するに価値観を破壊される快感と漠然たる成長なるものを混同しているのである。そもそもいつから成長は自己申告制になったのか。宴会で隣り合わせただけの女に平凡な武勇伝を語るという自慰、要す

    メレ子と地球の歩き方 - 沙東すず
    Gen
    Gen 2008/08/30
    読んでる自分が恥丘を歩く主人公になったかのよう。赤面。迫力ある文章だなぁ
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