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2010年5月24日のブックマーク (5件)

  • 情報圧縮論 と 物語への信仰 - 残さず味わってたべましょう

    14:24◇情報圧縮論 やる夫が徳川家康になるようですhttp://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/135e913ad65b8e70a5107cd716652c2c◇情報圧縮論 魔王×勇者「物語」界隈の文化の醸成というか、技術の向上というか、あるいは「受け手」の練度も含めて、来手がとどかないはずの「すごい物語」が、比較的簡易に手を届かせる技術があるんじゃないかという仮説の話です。(※ちょっと気をつけて欲しいのは「情報圧縮論」を使ったから才能が低い人…という話ではないです。その技術が使われるかどうかは才能に関係ない)もう少し細かく言えば、その「作り手」の主武器となる才能やあるいはワン・アイデアでもいいのですが、それらを「すごい物語」に昇華するために他に必要な才能の部分を借りてくる…。それが今、借りて来やすい形で転がっているかも?(「情報圧縮論」の中でモジュールとか呼ん

    GiGir
    GiGir 2010/05/24
    圧縮と高密度化は相反しないです。高密度化が要請されたからこそ圧縮技術が発展し、圧縮技術が発展することで更なる高密度化が、というところはある。
  • まおゆうとはてなー - novtan別館

    まおゆう(魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」1)がはてなー界隈で大人気。主に、その中で描かれる問題解決の手法とそれへの賛同、批判について。 僕もまとめの最初のページが面白かったので、半ば飛ばし読みだけど全部読んだ。感想としては、面白い、以上のなにものでもなかったけれども、それは単に読み物として読んだからかもしれない。もちろん、よみものなんだから、内容を吟味し、そこに表現されている思想についてあれこれ考えることが必須ではないし、表面上の物語を楽しむだけでよいんじゃないかと思っている。 でも、これで大激論になるところがはてな界隈らしい。そういやTogetterってはてなっぽいよね。ソーシャル議論マークみたいな。 まあ、なんとなく議論になる理由はわからんでもない。どうにも、田中芳樹っぽい感じの現実へのアンチテーゼというか、ちょっと違うか、別の道筋と言うか、というのをフィクションにこ

    まおゆうとはてなー - novtan別館
    GiGir
    GiGir 2010/05/24
    id:BigHopeClasic 皮肉でもなんでもなく、作品のもつ毒の濃度なんて過去の作品を参照するしかないとは思うが
  • 歴史とはまったく逆のこと書いてある…。あまりにもひどい…。自然権獲得の努力について。 : ねこねこブログ

    2010年05月23日 21:52 歴史とはまったく逆のこと書いてある…。あまりにもひどい…。自然権獲得の努力について。 過去の克服―ヒトラー後のドイツ 人権読 (岩波ジュニア新書) 人種主義は個人の自然権を疑問視し、異質なものの排除の要求をひそませている。 (石田勇治「過去の克服―ヒトラー後のドイツ」) まおゆうを讃美している人のブログ、ひどすぎます。さっき見て、驚愕しました。歴史的事実と全く逆のことが書いてある。これはあまりにもひどいよ…。自然権というのは、「自然権=普遍的人権」と考えて頂いて大丈夫です。 1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか? http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100521/p1 自然権の確立が、ホロコー

    歴史とはまったく逆のこと書いてある…。あまりにもひどい…。自然権獲得の努力について。 : ねこねこブログ
    GiGir
    GiGir 2010/05/24
    この指摘は正しい。しかし「まおゆうを絶賛してる人」という一般化は勘弁願いたい
  • 「まおゆう」に見るポストモダン文学

    迷亭水鏡@同人噺家 @m_suikyou 「まおゆう」のまとめを読んで、「ノベルゲーム文体を読み解く素養の有無」ってのが自分の中で響いているなあ。「地の文の描写がほとんどなく、ほぼ会話で進む」というのが「ノベルゲー文体」と自分の中では考えている。そして、このノベルゲー文体は既存の小説のあり方と真っ向から対立している。 迷亭水鏡@同人噺家 @m_suikyou 自分にとって、ノベルゲー文体は敷居が高い。それは会話の間にある描写を想像する力が弱いからだと分析する。既存の小説では、地の文によって登場人物の心理や情景の描写が行われているため、人の動きを追うことができる。しかし、ノベルゲーにはそれ(描写)がほとんどない。 迷亭水鏡@同人噺家 @m_suikyou もっとも、一般のノベルゲーでは人物のイラスト・背景によって地の文の描写に置き換わっている。しかし、「まおゆう」に代表される2ちゃんの物語ス

    「まおゆう」に見るポストモダン文学
    GiGir
    GiGir 2010/05/24
    落語との共通点の指摘は面白い
  • 魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その1) - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

    【情報圧縮論】【脱英雄譚】 【魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」目次】 http://maouyusya2828.web.fc2.com/menu.html http://maouyusya2828.web.fc2.com/ (※既読者向けです) ■「情報圧縮論」序 さて、予告しました前回の続きです。ここでは僕が「物語」を読んで行く遊びに使っている「情報圧縮論」をからめた話をして行きたいと思います。「情報圧縮論」って何だ?という事で先に以前書いた記事を提示しておきます。しかし文章構成から後でまた引っ張り出して説明します。 【情報圧縮論:やる夫が徳川家康になるようです】 http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/135e913ad65b8e70a5107cd716652c2c また、以前僕は「情報圧縮」を絡めた別の「先の物語」の話として「魔法先生ネギま

    魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」~「情報圧縮論」から観える構造(その1) - 今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)