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増田と人生に関するGriffinのブックマーク (139)

  • 結婚してよかった

    結婚3年目、夫と子供が1人。結婚してから、今この瞬間が完璧で人生で最高の瞬間だと思える時が何度も来る。 それは結婚式や、出産などのイベントの時だけではない。 一緒に御飯をべている時両親が孫をみて喜んでいる時いっしょにオフロにはいった時夜さきに寝ている姿を見る時 毎日のように「あぁもう死んでもいい、今この瞬間は完璧だ。これ以上の幸せなんていらない」と感じる 夜布団に入って目をつむる。もし自分が死んだら子供や夫には会えなくなるのかと考えて少しさみしい気持ちになる。そんな時はもう一度目を開けて、夫と子供の寝顔をみる。手を握ってぬくもりを感じる。いつまでも見ていたいという気持ちを抑えて再度目をつむる 少なくとも私の脳みそが感じる最高の幸せというのが毎日つづいている 独身で得られる時間の自由だとか、お金の自由だとかって当に今ある幸せに比べたらどうでもいい。そんな自由はこっちだって離婚すれば得られ

  • 家族を捨てることにした。

    キングの小説に出てくる殺人ピエロ、ペニーワイズのモデルとなったジョン・ウェイン・ゲイシーは父親から常に完璧を求められ、少しのミスでも罵倒され続けた。 それでも彼は父を愛しており、父が求める完璧なアメリカ人になれば自分を認めてくれるだろうと思い、幾たびの挫折を乗り越え必死に努力して成功した。 福祉施設などを慰問し、子供たちの人気者になり、地元の名士としての地位を確立する。 だが父が自らの事を認めぬままに死んだとき、彼の精神は破綻し、33人の少年を殺害し、アメリカ歴史にシリアルキラーとして不朽の名を刻むことになる。 前置きはさておき、家族と30云年つきあってきてさすがに疲れた。 ここ数年間、精神科やアルコールの手を借りてまでどうにかしようとしてきたが多分もう無理だ。 距離的に、二度と会わずに済む場所で今仕事を探している。 近いうちに何も言わずに引っ越し、電話番号も変え、名前も変えようと思う(

    家族を捨てることにした。
  • 初めて家族と死別したので時系列で覚え書き

    1.救急搬送のとき ・ただごとじゃなさそうだったので救急車を呼んだ。 ・救急車到着、即行病院搬送かと思いきや、「普段服用している薬は?」「持病は?」「保険証は?」とか色々訊かれた。それが死の原因ではないけど、かなり焦ったしイライラした。 ・服用薬のリストを作って、保険証と一緒にわかるところに置いておくといいかもと思った。特にある程度の年齢になったら。 2.死んだとき ・今まで特別病気とかしたことのない人だったので、ただただ急過ぎて意味が分からなかった。 ・死因は大動脈瘤破裂。これと心筋梗塞と脳梗塞とくも膜下出血あたりが突然死四天王みたい。 ・死んでからすぐに「どこの葬儀屋に頼むか決めてくれ、ここで」と言われた。マジか。 ・結局農協へ依頼。 ・シンプル火葬とかのサービスもあるけど、その辺を利用する決断をこの場で下すのは難しい気がした。故人が生前からシンプル火葬希望の旨を周知徹底しておくとかで

    初めて家族と死別したので時系列で覚え書き
  • 父親のガン宣告

    今日(正確には3月11日。震災の日だ・・・)お父さんが大腸がんだと判明。転移してて、お医者さんには1年もたないと言われたらしい。具合が悪いのは知ってたけど、お母さんからメールもらったときもまさかそこまで深刻だとは思ってなかった。「癌だったりして。まさかね。」ぐらいのノリだった。こんな余命宣告受けるほどとは。お父さんは常々「死ぬならころっと家族に迷惑かけず行きたい」「何年も治療とか絶対いや」「絶対お母さんより先に死にたい」って言ってた。それを考えると、お父さん的には理想に近いのかもしれない。(いや、退職後にもっとお母さんと旅行したかったと思うけど・・・)それなのに私の心が全然追いつかない。なんかもうずっと泣いてた。お母さんは空元気だし。それも辛い。私は姉妹の中で一番お父さんっ子だと思う。お父さんは超厳しい人だけど、末っ子の私には結構甘い部分もあったから。姉たちには「ファザコン」って言われたこ

  • 実家が嫌い

    わたしは実家があまり好きじゃない。 タイトルには嫌いと書いたけど、嫌いというほど強烈なものではないと思う。居心地が悪いわけでもなければ、過ごしづらいわけでもない。必要なものだって揃っているし、正直いって十分な暮らしをしていると思う。 でもなんとなくいやだ。夜ベッドに入って、ツイッターを見たり、ブログを見たり、友達とラインをしていて、ああいやだなあと感じることが多い。高校のときはもっとひどかったと思う。家が嫌いで嫌いで仕方なくて帰りたくなくて、学校が閉まるぎりぎりまで何をするわけでもなく教室に残っていた。1日中泣いていたり、1ヶ月ぐらい毎日保健室に通いつめていた時期もあった。 両親にはそのことを伝えていない。 匿名だから書けることもきっとあるだろう。だから今日はどうしてわたしが実家を嫌いなのか書きだそうと思う。これはわたしのまとめだ。わたしのための自分の気持ちの整理のためのまとめだ。でも、誰

    実家が嫌い
  • なつかしいこと。

    昔の恋人からFacebookでメッセージが来ました。 彼は私の初恋の人で、初めての恋人で、私に初めての失恋を経験させた人。私が16歳のときに彼の大学の学祭で知り合い、2ヵ月後にお付き合いを始め、私が社会人になって1年少し経つまでの7年を一緒に過ごしました。1年だけでもいいから同じ学校に通いたくて猛勉強したのに、理工学部と文学部ではキャンパスが違ったのにがっかりしたなぁ。 大学卒業後、彼は就職ではなく、遠くの学校に進学することになりました。地元に帰ってくるのは当にたまにのことになりました。遠かったけれど、アルバイト代をためて、私も何度か会いに出かけました。 彼の卒業と、私の卒業は、ちょうど同じ年の春でした。 私は出版社に就職が決まり、彼は子供の頃からの夢だった職業につきました。なれない社会人生活に奮闘しながらも、夏休みには「落ち着いたら結婚します」と、お互いの親に報告をしました。 駆け出し

    なつかしいこと。
  • 遅れてきた母性

    自分には5歳の息子がいる。 1歳半から3歳半まで、元々精神は病んでいたのだが、あまりに調子を崩して実家に帰っていたので、 義母と夫が育てていた。 子供の人生の半分弱は物理的に触れ合ってないし、電話もしない、文字通り音信不通の状態。 そして、産んでから一度お別れする時まで、正直可愛いと思ったことがなかった。 母親だからという義務感と、子供はお母さんが必要だから、という周囲の言葉で仕方なくやって いたようなもんだった。 で、メンタル面も2週に1度の通院程度で落ち着いて帰ってきたのが1年半前。 子供は割とおとなしい、人見知りは激しいけど、いつもニコニコしている子になっていた。 「ちゃんと育ったんだなぁ」 と、夫と義母に感謝してもし足りないくらい、良い具合に育っていた。 それでも、愛情って意味では??で、くっついてくれば非常にうざったいし、疲れてる時に遊んでと 言われれば即NG出すし、子供より自分

    遅れてきた母性
  • 村上春樹を社会人になって読み返しているとむしろ現実であった

    1Q84を読んでみた。 久しく読んでなかったけど、この人の小説を読むとやっぱ、すこし方向性をもらえるような気がする。 よく、村上春樹は想像の世界に耽溺している現実知らずの青二才だというような良い方をされる。私も思っていた。 しかし5年ぶりぐらいに、多少なり、人生の経験を積んで、小説を読んでみると、 むしろ彼の書いている文章は現実を的確にとらえ、 一貫して、淡々たる努力が生んだ美しい経験や成果への賛歌をうたい、 汚いサボった人間の発する怠惰への嫌悪が綴られているような気がした。 社会人になり、余裕がなくなって、あるいは、もはや発見のない世界だと思って、村上春樹の小説を読まなくなっていた。 だが、久々に読んでみて、 遠くにある、変わらない立ち位置として、美しいものを肯定的にとらえ、 雑踏の中に紛れ込んだ不努力や勇気の欠如を批判する村上春樹の姿勢は、 疲れていた私の心を引き上げ、自分を助けてくれ

    村上春樹を社会人になって読み返しているとむしろ現実であった
  • 危篤のプロ

    親戚のおじさんが危篤状態に陥った。 そもそもおじさんは4年前に余命1ヶ月と宣告されていて、最初の危篤→危篤脱出から3年、今回で3ヶ月ぶり7回目の危篤である。ここまでくると長年連れ添ったであるおばさんですら「もういいよ頑張ったよパパ…」と涙目で苦笑している。 おじさんは危篤を乗り越え退院するたびに身辺の整理をするのだが、なかなかお迎えが来ないので少しずつ身辺のものが増え、先日もまた「身辺整理せんとあかんな!」と笑った。死ぬまでに会いたい人と会うというミッションも「2周目に入った」と豪語し、ついに旧友の方が先に逝ってしまったそうだ。仲間内では「危篤のプロ」とまで言われているという。 今日またおじさんが入院したと聞いて、私たち親族は何かの行事のように集まり、枕元で「またか」「ほんまに危篤なん?」「今度こそ死ぬんやろな」「おっちゃん俺らそんなヒマちゃうんやでー」と軽口を叩いている。 おじさんが、

    危篤のプロ
  • 天職は見つけない方が良い

    僕は漁師の家に生まれた。 当然の様に跡取りとして育てられ僕自身も漁師となり家業を継ぐのが当たり前だと思っていた。 小学校の頃の文集へ将来の夢に漁師と書いていた。 祖父や父から漁師の技術を学び取り、中学校へ上がる頃には多少の波風があろうと岸壁へ船を着けられたり、漁網の補なんてお手の物になっていた。 僕は小さな頃から「力持ちだ」と褒められるのが何故か無性に嬉しくて多少辛くても重いものを調子に乗って運んだりしていた。 家業は毎日筋トレをするようなものだから、その甲斐もあってか身体は同年代の子と比べて大きく筋骨隆々を地で行くような成長をした。 ただ僕は末弟長男であり他の兄弟は全て女兄弟であり、ちょっとだけ気が弱いところがあった。 実家のある場所は田舎なものでヤンキーがハバを利かせており、身体が大きな僕は多少の威圧感があったのかよく喧嘩を売られた。 女兄弟の中で育った僕は殴り合いの喧嘩の仕方なんてわ

    天職は見つけない方が良い
  • 信頼性で結婚相手を選んだ自分の話をする

    前記事 http://anond.hatelabo.jp/20130909165612 -------------------------- (追記) 前記事のコメントで、理想論乙だとか、実践は無理だという意見が多かった。相手を信用せずに結婚を決める人の多さに驚いた。信用していない人との結婚当に幸せなのだろうか。 一方で「信用が大切だなんて、当たり前のことすぎて記事にする必要なし」だとか「難しく考え過ぎ」というコメントも多くあった。 自分も当たり前のことだと思っていた。だから前記事の内容は特に考えてやったことではない。自然とやっている人は沢山いるだろう。でもこの年になって、自分の当たり前と、他人の当たり前は違うことを知った。 結婚というテーマで悩んでいる人は沢山いる。自分もよく相談される。そこで、考え方のひとつの提案として前記事を書いた。 理想の結婚生活の形は人それぞれだ。 ただ、もし

    信頼性で結婚相手を選んだ自分の話をする
  • 結婚も悪くはないかもよ

    http://anond.hatelabo.jp/20130907211741 うちの場合はお見合い、お互いに初めてのお見合いでそのまま結婚。お互いに「まぁ悪くはないしな」程度だったと思う。 結婚はそれぞれパートナーとの組み合わせの問題なのでケースバイケースだと思う。相手による場合もある。必ずしも幸せになれる訳ではない、という事は確実にいえる。 ただ結婚してみて面白いな、と思う事もある。 先日、茨城の大洗に行ってきたんです。ウチの場合、主にプランを立てるのは嫁さんで私は荷物持ち、金を出す担当、もちろん嫁さんのプランニングには不満はまったく言わない。 「常磐線で気軽に行ける旅館でヒットしたの」「○○さん、あんまり歩きたくないでしょう? ゆっくりするプランで」という訳でのんびりする予定で立てたらしい。 チェックアウトも終わって大洗アクアワールド行きのバスを待つ間、ホテルのロビーで待ってたんだけ

    結婚も悪くはないかもよ
  • 弟の結婚生活がおかしなことになっている。

    弟の結婚生活がおかしなことになっている。 たぶん結婚したのが間違いだったような、そういう二人ではある。だけど子供も生まれてるし、間違いだとしてもなんとかうまくやってほしい。 けどそれでうまくやれるなら家庭裁判所とかいらないですよね・・・ ここ数日、頭が煮えている。とにかく吐き出す。 弟は十五年前に私の友人に一目惚れし、その恋はいまだ終わらずに続いてる。 弟は貧相な体格でぼそぼそとうつむき加減に喋る少年だった。いじめられたりはしなかったようだが、クラスでは冷遇されがちで友人は少なかった。 そんな弟が一目惚れをきっかけに体を鍛え始め、ファッション雑誌などを買ってくるようになった。 友人は成績優秀な明るい美少女だったので、少しでもふさわしい男になろうとしたんだと思う。弟の努力は凄かった。 弟は変わった。筋肉がついて体が大きくなったし、表情も変わってよく笑うようになった。他人の目をきちんと見て話が

    弟の結婚生活がおかしなことになっている。
  • 道半ばまで歩いてみて

    http://anond.hatelabo.jp/20130716162838 長文注意。 私自身が大阪出身ということもあり、共感を覚えたので書いてみる。 彼より人生が十数年先行していることを除けば、概ね状況は似ているように感じたのだ。 つまり、いわゆる元増田の記述に昔の自分を見たので、私自身の回顧録的に勝手に文字を綴ってみるわけである。 私は大阪府北部出身だが公立中学は荒れていて、ガラスが割れる、校庭にバイクが乗り入れる、などイベントに事欠かなかった。 中学生当時の私はZやZZを全話みたり、イデオンについて語りたくてうずうずしてるような人間だったので、当然カースト下位だったし、またそれに応えてくれる人間はクラスどころか学年にもひとりもいなかったので、流れ弾に当たらないよう目立たなくして学校に行っていたのを覚えている。 かろうじてゲーム(例えばDQやFF)の話でクラスの人間と言葉を交わす程

    道半ばまで歩いてみて
  • 俺たちが歩む道

    ※追記あり 今日Facebookでたまたま中学の頃の同級生のページを見つけた。 当時のことを思い出しながら懐かしさ半分、好奇心半分で同級生のページを見ていった。 俺の中学校は大阪の南部にある。 関西の人なら分かるかもしれないが柄の悪さで有名だ。 女の担任をグーで殴って辞職に追い込んだり、一晩で校舎中の窓ガラスを叩き割ったりするような学校だった。 一言でいえば動物園。人間のルールは園内では通用しない。 そんな中で俺は三年を過ごした。 中学の頃は非常に内向的で自分に閉じこもりがちだった。周りもヤンキーばかりで馴染めない。普通クラスの端っこにオタクグループがあるらしいが、うちの中学にはなかった。 机に突っ伏して休み時間をやり過ごしては毎日逃げるように学校を去っていた。 当然スクールカーストは最下層。身体的なイジメには合わなかったが、心に刺さる言葉を投げかけられることは多々あった。 正直にいうと当

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  • 俺には知的障害者の兄がいまして。

    http://anond.hatelabo.jp/20130615195013 最近盛り上がってますね。知的障害者関連の話題。 俺には知的障害者の兄がいます。正確には18トリソミーというやつで、知能は3歳時並といわれていますが、29歳の俺の兄です。 彼は長男で、俺は三男です。 子供の頃どう思っていたか弟の自分が言うのもなんですが、子供の頃のビデオなどを見ると無邪気で可愛い。 彼はたまに近所の子にいじめられたりもしてましたが、俺自信生来無気力な性格ゆえか小学生の頃はあまりそのあたりにタッチすることはありませんでした。 中学生くらいになって、兄が健常者でないということを少し意識的に、ほとんど無意識的に隠すようになりました。 近所を兄と一緒に歩くのが嫌でした。時々笑われたり、兄が癇癪を起こして他人を叩いてしまうことに必死に謝るのも嫌でした。 でも兄は愛嬌があり、好かれることも多く、俺も基的には

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  • おっさんが水商売の店に行く理由

    30を超えて、ようやっとなぜおっさんが水商売の店に飲みに行くのかわかるようになってきた。 ここで言っている水商売ってのは、仲間同士でワイワイと2軒目に行くキャバのことじゃないぞ。 仕事終わって、一人でしっぽりと行く、地元のスナックとか、パブの事だ。 店で一番若い子がアラフォーくらいの店な。 地元のおっさんなんかが入り浸っている、冴えない店だ。 20代のお前は、こんな店の存在理由がわからないだろう。 なんでババアの顔見ながらまずい酒飲まなきゃいけないんだ、って思っているだろう。 俺もそう思っていた。 でもな、お前も40になった時、多分あの店のカウンターで、真露飲みながらカラオケ歌ってるぜ・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20代のうちはさ、給料も全部小遣いだし、地元や大学からの友達もいるし、会社の同期とも仲良しだし・・・ 女と飲みに行くのは容易かったよ、俺だって。

    おっさんが水商売の店に行く理由
  • 不妊治療はしんどい。

    30代なかば。 元はといえば男性不妊が原因で、不妊治療中をはじめた。 重度の男性不妊が判明したため最初から顕微授精を行っているが、 一人目は幸運なことに一度の治療で授かることができた。 これに気をよくした私は、二人目、三人目も 治療さえすれば授かることができると考えていた。 一人目が2才になったころ、二人目の治療を始めた。 一人目の治療のときに採卵し、顕微授精させ凍結させた杯がまだ3個あった。 1個目の移植は着床。 成功にも、出産にもなんの疑問も持たなかったが10週ごろ初期流産した。 歩いていると、ぬるっと血の塊が出てくるのがわかった。異様な感触だった。 ただ、このときはほとんど落ち込むことはなかった。 まだ凍結杯が残っているし、 100発100中するという考えのほうが甘いと納得した。 2個目の杯は、着床しなかった。 このときもあまりショックは受けなかった。 いままで2回移植して、2回とも

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  • 男友達が結婚してうつ病になったかもしれない

    友達結婚した相手は、上場企業の部長を務めるお父さんと専業主婦のお母さんに育てられ、 親戚も皆エリートで、何不自由なく育ち、両親とすごく仲良しなお嬢様。 服装は上品清楚系で顔もそこそこ可愛く、言葉づかいも丁寧で、 お嬢様なのに事務の正社員として結婚後もしっかり働いている。 男友達年収もさほど多くない普通のリーマンだったが、会社に近い豪華なマンションに住むようになり、 シャツもスーツも手入れの行き届いたものになって、い物も毎日健康的なメニューの手料理になった。 「どこで出会ったんだよ」「お前にこんな子勿体ねえよ」と友人一同一斉にひがんだよ。 しかし結婚生活の実態は、嫁母が平日毎日家にくる暮らしだったそうだ。 「花嫁修業が済んでいなかったから私が世話しなきゃ旦那君に申し訳ない」 「共働きだから家のことがおろそかになるでしょう、申し訳ないから私が手伝わないと」 と、旦那である男友達に気を遣

    男友達が結婚してうつ病になったかもしれない
  • 偏差値40で大学に入る君たちへ

    もう15年も昔に卒業した大学に卒業証書を貰う事になった。戯れに偏差値を調べてみたら40だった。 15年前の偏差値を知るよしも無いが、当時から3流大学だった事は間違い無いし、それでも大学は非常に楽しかった。 ふと、もしかしたら高校生や浪人生で偏差値40の大学に入学する事に不安を抱いている人もいるかもしれないと思い、ここに吐き出してみる事にした。 少し僕の話をする。いい大学へ入りなさい。いい会社に入りなさい。安定した仕事をしなさい。親が公務員だった事から常日頃からそう言われて育てられた結果、小学校から成績は低空飛行を続け、高校では県下で下から数えた方がいい3流高校へ入学。そのまま推薦で3流大学へ入学という底辺コースをひた走った。 努力無く見栄えだけは整えようと、部活や生徒会の役職をこなしながら教科書の代わりに小説漫画を読み、寝を忘れてゲームにのめり込んだ。というのが僕の小中高だった。 当然

    偏差値40で大学に入る君たちへ