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ブックマーク / takekuma.cocolog-nifty.com (11)

  • 電子出版ははたして儲かるのか?(1): たけくまメモ

    結論から書けば、今後よほどのことがない限りは儲からないと思います。「トントンにする」だけなら、不可能ではないと考えますが、投下資金と回収のバランスを取るまでには、しばらく時間がかかるでしょう。しかしそれでも、出版界は、電子出版に活路を見いだすしかないというのが俺の考えです。 電子出版といえば、今、俺の周囲では多くの会社や個人作家が参入機会をうかがっていますが、そちらのほうが儲かるから、参入したがっているというわけでもないようです。「紙の」はジリ貧の一途なので、このまま座して死を待つくらいなら、いっそ電子出版に進出して、儲かるかどうかは後で考えたい、というのが実情に近いのではないでしょうか。溺れる者藁をもつかむ、です。 「紙マンガ」の現状はいよいよすごいことになっております。多くのマンガ雑誌は、かりに単行がそこそこ出ていても、雑誌の赤字が単行の利益を大幅に上回っているという状態がもう数

  • まんが・条例のできるまで(1992年作品): たけくまメモ

    今回の都条例改正は、なにやら議決が先送りになるのではという観測が流れていますが、決議は明後日19日であり、また仮に19日に結論出なかったとしても、単に先送りになるというだけなので、予断を許さぬ状況が続いていることは間違いありません。 この種の表現規制を法的に行おうとする動きは大昔からありまして、だいたい15年から20年周期で繰り返される問題であります。90年代初頭にもいわゆる「有害コミック規制問題」が巻き起こったことは記憶に新しいところです。 このときは、1992年に大阪府の「青少年健全育成条例」が改正されました。これは「府知事が有害と認めたマンガを含む出版物やビデオ等を「有害図書」として指定することができるというもので、今回の東京都の条例改正と非常によく似ていました。このときも、マンガ家や有識者の間から「曖昧な基準で表現の自由を制限できる条例は、違憲の疑いがある」として、疑問や反対の声が

  • それでも出版社が「生き残る」としたら: たけくまメモ

    http://www.apple.com/jp/ipad/ ↑appleiPad」公式 ついに噂のiPadの全貌が公開されて、ネットもマスコミも上を下への大騒ぎであります。ここに来て、すでに報道されているアマゾンのKindleをはじめ「電子出版」を普及させるための役者(インフラとデバイス)が出揃った感があります。日ではまだ普及以前の段階ですが、昨今の出版不況を脱出するための突破口は、もはや電子出版しかないというのは、衆目の一致するところではないでしょうか。 さて、かねてから電子出版による「個人出版支援」に力を入れているアマゾンやアップル、ソニー(の米国法人)といった企業は、自社と出版契約を結んだ著者に対して、「印税35%を支払うぞ、いやうちは50%支払う、それならうちは70%だ」という具合に、「印税率競争」をヒートアップさせて著者を引き込もうとしています。日では印税率は通常8~10%

  • 竹熊君、“紙”はもう、ダメだよ…(後編): たけくまメモ

    これから紹介する話は、ごく最近、知人のA君と俺が交わした会話をまとめたものです。登場する人物名はすべてアルファベット表記(イニシャルとは限りません)ないしは記号表記にし、意図的にぼかしている記述がありますが、話の大意はこの通りで、特に金額の数字についてはA君の発言のままにしてあります。 A君は俺と同世代ですが、学生時代にライターデビューし、現在は小さい編集プロダクションの営業と経営に徹しています。社員は社長であるA君と、奥さんのみ。しかし、最近まで常時3~40人のライター・エディター・デザイナー(すべてフリー)を抱えていて、A君が営業をかけて出版社からもらってきたムックや単行仕事を、その都度自分の抱えるフリーから4~5人選んでチームを組んで、丸々一冊を1~3ヶ月かけて編集・制作していました。こうした請負仕事(その中にはA君の企画もあります)を彼の会社では常時、8~10冊は抱えていたので

  • いつからマンガ家の住所は秘密になったのか?: たけくまメモ

    ←「少年マガジン」1972年3月12日号表紙 ええと、このエントリを読んでいる皆さんは、マンガ家の連絡先がどの出版社でもトップシークレットになっていることはご存じですよね。特に近年はプライバシーの保護に社会全体が厳しいですから、作家の連絡先が秘密になることは当然ではないかとお考えの人は多いと思います。でも、かつてはどのマンガ雑誌にも堂々と作家の連絡先が掲載されていたといったら、若い人は驚くでしょうか。 ←同じ号の65P「あしたのジョー」の欄外には、堂々とちば先生の住所が! 左の図版をご覧ください。たまたま俺の部屋にあった「少年マガジン」1972年の12号(3月12日号)を見ると、誌面に堂々とちばてつや先生の連絡先が載っています。ちば先生だけではありません。梶原一騎先生も、赤塚不二夫先生も、作家の連絡先は全部誌面に載っているのです。 72年といえば俺は小学校6年生でしたが、少なくともこの頃ま

  • たけくまメモ : フジでオマイラキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 

    さっき放映されたフジテレビの「プレミア5」という番組で「格差社会」の特集やってたんだけど、例によって「携帯で日雇い派遣」とか、いかにもオタク風な36歳の「ネカフェ難民」とか始まったんで、さっそく2ちゃんの実況板にアクセスしたんですよ。フジ専用の板に。そしたら、歳いったオタクの人が映ったのを見ながら、例の オマエラキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!! ……は実はあんまりなくて、 おまいらキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!! が連呼されてました。やっぱり「オマエラ」が「おまいら」になってましたねみんな。前にこのことに触れたエントリ書いたときも、「おまいら」じゃないのって指摘があったと思うけど、このAAがはじまった2年くらい前は「オマエラ」が主流だったように思う。まあ、そんなことはどうでもいいんですが。 http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2

  • たけくまメモ : 【著作権】とんでもない法案が審議されている

    先週あたりから一部で話題になり始めているので、すでにご存知の人もいるかもしれませんが、著作権法の改定を視野に入れたとんでもない法案が日国政府関係者によって審議されていますので、ご存知ない方のためにこの場で報告したいと思います。 「とんでもない審議」というのは、もちろん俺自身が「とんでもない」と思っているわけですが、もしこの審議に基づく著作権法改定がなされた場合、俺だけではなく、およそ表現行為をするもの全員にとって、プロアマ問わず等しく重大かつ深刻な影響を与えることになるのではないかと思われます。 今の動きをかいつまんで書くなら、「著作権法の非親告罪化」に向けた準備が政府機関によって進行しているいうことです。これまでも現在も、著作権侵害というものは「侵害されたと思う側」が民事裁判に提訴するなり、あるいは刑事告訴をしない限り逮捕することも裁判を起こすこともできない「親告罪」とされているわけで

  • 2月の蚊取り線香: たけくまメモ

    入院中のことなんですけど、まだこれ書いてなかったですね。実はNリハビリセンターに転院して間もない2月3日の夜、蚊が出ましてね。プ~ンと羽音がしたんで最初は脳梗塞の幻聴かと思ったんですけど。その後掌を刺されて痒くなったので間違いないと思い、看護師さんに蚊取り線香(正確にはべープマット)を焚いてもらいました。 いや~2月の、それもなったばっかりですよ。ビックリしました。地球温暖化はここまで来たか? と思いましたけれども、聞いたら、病院って1年中暖かいから蚊が越冬しているみたいですね。でも数日にいっぺんベープマット出してたので、「今年は異常」であったことは確かみたいですが。 それで退院してから無性に映画を観たくなって、『硫黄島からの手紙』を新宿で観た翌日に海老名の東宝シネマズで『不都合な真実』を観たんですよ。大統領になり損ねたアル・ゴアがライフワークとして取り組んでいる地球温暖化の危機を訴えるド

  • あれが“死”か。(2): たけくまメモ

    そういえば先日、ある見舞客から「人生観が変わったでしょう?」と問いかけられた。要するに死の一歩手前を経験したのだから、それなりにものの見方だとか価値観が変化したのだろうと言うのだ。 なるほど、命に関わる体験をして、信心に目覚めたり、それなりに信奉していた価値観がコペルニクス的転換を遂げたという人は多そうだ。俺にも、何かそういった変化が起きたなら劇的で面白いと思う。それで自分の胸に手を当ててしばらく考えてみたのだが、残念ながらまだそういった変化はなさそうだ。少なくとも俺の場合、病気前と病気後で性格や考え方にほぼ変わりはない、とこの場で断言したいと思う。 そうした心境の変化について言うなら、あくまで俺の場合、仕事がスランプに陥った時期のほうが「変化」は大きかった気がする。俺はまだ未経験だが、子供を持っても変化は大きいだろうと思う。そいつが成長するまで面倒をみなければならないという「責任」が発生

  • あれが“死”か。(1): たけくまメモ

    ブログにも既に何度か書いたが、昨年12月19日、俺は2度目の脳梗塞発作を起こして死にかけた。医者や親父の話を聞くと、脳出血も起こしていて当に死の一歩手前まで行ったようなのだが、残念なことに俺はまったく覚えていない。麻酔でぐっすり眠っていたからである。 だから、死の淵をかいま見た人の多くが体験するという、いわゆる「臨死体験」も経験しなかった。もしかすると経験したのかもしれないが、全然覚えていない。勿体ないことである。立花隆の『臨死体験』その他類書をひもとくなら、臨死体験のパターンは世界中でおおむね決まっていて、暗黒の世界にある暗く狭い穴にグングン引き込まれていくと、突然視界が開けて光に満たされた広大な空間があらわれるのだという。人によってはそこは草原であったり花畑であったりするそうだが、なぜか前方に川が流れていて、向こう岸に死んだはずの肉親などが立っていてこっちに向かって手を振っている。そ

  • たけくまメモ : まだ最悪ではない

    たぶん俺は楽天的性格なのだと思う。昨年暮れ、2度目の脳梗塞を発症して開頭手術を行い、意識を取り戻して、最初に思ったことが「まだ最悪ではない」という言葉だった。なぜかといえば、とりあえずはまず、生きているということ。これだけでもう最悪ではない。そして病気は俺から歩行の自由を奪い発語もやや不自由になったが、それでも他人と不都合なく話せるし、論理的思考にも問題はなさそうだ。目も見え、手先も一応動くので、ワープロを打つこともできる。つまり俺にとって、、仕事やブログに復帰するための障害は何一つないということである。 こうなると、俺のもともとの性格である楽天性が首をもたげる。その次にかんがえたことは、なんとかして「たけくまメモ」を再開できないかということと、自分の病気をギャグにできないかということだった。ブログで「脳梗塞のラブリーな言い替え方募集」をしてみようと思ったり。俺もちょっと考えたが、「脳づま

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