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2009年4月10日のブックマーク (2件)

  • 海外の文学作品を聖書の理解なしに読める?

    海外の文学作品はだいたい聖書からの引用が入っていたり, その宗教観が根底にある言動・振る舞いするから, 話の筋とは直接関係ないとしても分からないことが多い. カラマーゾフとか罪と罰とか読んでいても首を傾げる場面が多い. ただの小説として読むだけなら十分楽しめるけれど, 当に理解しようと思うとどうしても壁にぶつかる気がする. ドストエフスキーは人気あるし評価も高いけれど, 作品を賛美する人はどれ程度理解しているんだろう? 作品について解説している書籍があるから それを読めばいいのだけれど,それらを読んでしまうと そういう読み方しかできなくなってしまう. といって全ての作品を自分で研究するのは無理. そもそも研究することが目的ではない.哲学者ではなく 哲学研究者になってしまうのと似た感じだろうか. 仮に時間をかけて聖書を読んで頭で理解したとしても 自分がそのように信仰を持って生きていくとは

    海外の文学作品を聖書の理解なしに読める?
    HDPE
    HDPE 2009/04/10
    聖書は文学のバイブルだ
  • キリスト教と文学 - finalventの日記

    増田海外の文学作品を聖書の理解なしに読める? 私の場合、どういう運命か、先の世の契りや深かりけむか、10代後半から20代前半に、それなりに聖書を読んだ。よく読んだ部類ではないかな。それ以降も読むか。共同訳は全然なじめないし、あれだったら、自分の聖書理解はかなり違ったか。 そういえば、ひょんなことでコイネグリークまで勉強して、気になる部分は原典でたしかめもしたものだった。 若いころは、当然、信仰とか生き方に関連していたが、だんだんその思いは抜けてきている。日人にありがちな「キリスト教を卒業した」とかでは全然なくて、なんというか、長くなじんでそれが自分になっている以上どうしようもない。 で。 聖書というのは、ある若い時期、人生への刻印として読むという経験がないと、わからないものではないかなとは思う。わかれともまるで思わないが。ある程度、わかるという感じがつかめると、ああ、そういうことかとい

    キリスト教と文学 - finalventの日記
    HDPE
    HDPE 2009/04/10
    母が一番好きだった賛美歌