海外の文学作品はだいたい聖書からの引用が入っていたり, その宗教観が根底にある言動・振る舞いするから, 話の本筋とは直接関係ないとしても分からないことが多い. カラマーゾフとか罪と罰とか読んでいても首を傾げる場面が多い. ただの小説として読むだけなら十分楽しめるけれど, 本当に理解しようと思うとどうしても壁にぶつかる気がする. ドストエフスキーは人気あるし評価も高いけれど, 作品を賛美する人はどれ程度理解しているんだろう? 作品について解説している書籍があるから それを読めばいいのだけれど,それらを読んでしまうと そういう読み方しかできなくなってしまう. といって全ての作品を自分で研究するのは無理. そもそも研究することが目的ではない.哲学者ではなく 哲学研究者になってしまうのと似た感じだろうか. 仮に時間をかけて聖書を読んで頭で理解したとしても 自分がそのように信仰を持って生きていくとは
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