1970年代が日本の少女ヌード写真のブームの幕開けであって、それ以前に存在したものは少ない。1943年にドイツ語から日本語訳された『子供のからだとその養育』[5]のような医学書や保健体育関連の資料を、一部のマニアが 「少女の裸体を見る」という本来の用途以外の目的で愛好していたようである[6]。 日本における少女ヌード写真集は1969年、12歳の梅原多絵(黒田多絵)[注 1]をモデルとした剣持加津夫撮影『ニンフェット 12歳の神話』(ノーベル書房)[注 2]を嚆矢とする[1][7]。ただし『12歳の神話』そのものはロリータ・コンプレックス(ロリコン)を意識したものではない[1]。自然の中のおおらかなヌードでナチュリズム的感覚が前面に出た、エロス的要素の少ないものであった。もともと剣持は妊娠中絶問題、性教育、青少年麻薬問題の専門家であり[7]、前年の1968年にノーベル書房から『成熟への導き