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経済に関するHi-Fiのブックマーク (5)

  • 既得権の社会学 - 社会学者の研究メモ

    再び教科書のための頭の整理のメモです。 最近は社会学でも「既得権」という考え方に反応する人が増えているような気がします。これも先日のエントリでちょっと触れた「社会学者の構造改革派バイアス」の表れにみえなくもないです。が、社会学を救うというわけじゃないのですが、今回はちょっと別の視点から論じてみます。 ここでは、レントについて、社会学的な概念を使うとどういうことが言えるのか、ということを検討します。(その他の面での既得権の話(機会不均等の話など)---こちらの方が流の社会学には親和的なんでしょうが---はしていません。) まずはおさらい。レントとは、簡単に言えば市場価格から乖離して上乗せされた価格の部分のことです。レントによって、その事業への新規参入が阻止されたり、あるいは逆に退出をコントロールしたりします(準レント)。で、レント・シーキングとは、レントを獲得するための政治的・社会的活動で

    既得権の社会学 - 社会学者の研究メモ
  • 民間には力があるのに、政府がジャマしていることが日本の問題 - モジログ

    Kudo Publishing's BLOG - 後言再録(第5回)(2008.01.05) http://blog.kudo-publishing.com/?eid=737071 <なぜ、いつの時代も税金の無駄遣いがなくならないのか? 他人のお金だから。 公衆トイレがいつも汚れているのはなぜか? しょせん、“他人のトイレ”。 しかも、知人・友人のものでもない。不特定多数の人のトイレだ。自分の家のトイレならすぐきれいにする。 しかし、公衆トイレが汚れていてもきれいにしようとする人は少ない。 結果、汚れに汚れが積み重なって、公衆トイレは果てしなく汚れていく――“公的資金”で清掃しない限り――こうした人間の質に照らせば、「なるだけ小さな政府で」という方向性は間違っていない>。 <今から思えば、36年前の自民党総裁選は大きな分水嶺だった。 自民党内部の戦いだったので、当時は見えづらかったが、大

    Hi-Fi
    Hi-Fi 2009/11/27
    田中角栄はニッポン全体をひとつの「法人」のようなものとして捉えていたのではなかろうか。「当時」はそれがあるていど機能していたと。
  • 市場とは「自分の欲しいものにしかカネを出さない人の集まり」である - モジログ

    市場とは、「自分の欲しいものにしかカネを出さない人の集まり」である。お情けでカネを恵んでくれる人などどこにもいない。 この「自分の欲しいものにしかカネを出さない」という「真剣勝負」が、市場の質である。スポーツの試合と同様、それが「真剣勝負」だからこそ、みんなが欲しがるもの、必要としているものは何かを考え、いい商品やサービスを作ろうと努力する。そこから富や価値が生まれてくるのだ。 この「真剣勝負」は、「弱者救済」とは相容れないものだ。スポーツの試合で、相手に譲っていたら試合にならないのと同じだ。市場は「真剣勝負」の場であり、「自分の欲しいものにしかカネを出さない」というシビアな態度こそが「公正(フェア)」なのであって、それが富や価値を生み出す。 社会を成立させる上で「弱者救済」はもちろん必要だが、それは市場という「真剣勝負」の場にはそぐわない。市場の外でやるべきなのだ。 いまの日の問題は

    Hi-Fi
    Hi-Fi 2009/11/25
    それにカネを払ったんだからオマエはそれが真剣に欲しかったんだろと言われても困る。なんだか酷いデザインの安家電に囲まれて今そう思った。
  • 「必要とされている仕事」と「必要とされていない仕事」 - モジログ

    「必要とされている仕事」とは、わたしたちが欲しいもの、必要としているものを、作ったり売ったりする仕事である。 形のある商品でもいいし、サービスでもいい。とにかく、わたしたちが欲しい、必要としているものを生み出したり、広める仕事は、「必要とされている仕事」である。 逆に、誰も欲しいと思わず、必要としていないものは、作ったとしても売れない。これは「必要とされていない仕事」である。 世の中には、「必要とされている仕事」と、「必要とされていない仕事」がある。「必要とされていない仕事」には誰もお金を払わないはずなので、来は存続しえないものだ。しかし、日には「必要とされていない仕事」がたくさんあり、存続している。 「必要とされていない仕事」が存続しているということは、それに対してお金を払っている人がいるのである。これは不思議なことだ。「必要とされていない仕事」に、誰がお金を払うのだろうか。 「必要

  • 見えるものと見えないもの9章 クレジット - kurakenyaのつれづれ日記

    今日はバスティアの9章をアップします。 ついでに、たまには経済学者のハシクレらしく、小さな解説を試みてみましょう。 バスティアの作品は、すべてが一般均衡の考えに基づいているため、 不況時においても、すべての生産要素は完全に利用されているという状況が前提になっています。 例えば、これはマクロ経済学でいうところの、均衡動学だといえると思います。 ケインズ主義者は、不況時には生産要素は活用されていない=有効需要が足りないからだ、と主張します。 これは例えば、現在の自動車生産や半導体生産を見れば、 確かに生産キャパシティよりも少ない量しか生産されていないため、政府の出動となるわけです。 おそらくほとんどの功利主義的な経済学者にとっては、 不況時に政府が出動することが国民の効用を増大させるのかという問いが重要なのですが、 これは現在のように、すべての政府が協調的に財政出動をする場合には検証しようがな

    見えるものと見えないもの9章 クレジット - kurakenyaのつれづれ日記
    Hi-Fi
    Hi-Fi 2009/06/28
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