司馬遼太郎の「余話として」を、またも紹介する。 今日より正成出づ という町風俗について。 これについては、10年ばかり前、84歳で亡くなられた菅楯彦画伯からきいた。 まだ江戸期のにおいをのこしていた明治10年代から20年代の大阪の下町でのことである。 「そういう貼り紙が、町々に出ます」 といわれたから、私ははじめおどろいた。町々に楠木正成が出るのですか、と聞くと。 「 へい」 と、 品よくうなずかれる 。 菅楯彦というひとは、落款は「浪速御民」というのを用いられている。いかにも婉で古めかしく、古武士のような律儀さを保ちながら生涯大阪の町絵師として過ごされた。 (略) 「町内に長屋々々がごわりますな、そういう町内に必ず一つは寄席がごわりましてな、左様でごわります、別に商売々々した寄席ではごわりまへんで、まあ道楽なひとが自分の家のふた間ほどを講釈師に貸します」 そういうのが、大阪の寄席であっ