ブックマーク / kame710.hatenablog.com (3)

  • 2018.4.4 老い - カメキチの目

    カメキチの目 私は「老いて」とか「歳とって」とよく書くが、それは事実、自分が老人と呼ばれる年齢であるからだ。 老人だと自覚しているからだ。 いくら気もちのうえでは若いつもりでも、「つもり」である。 でも、背筋はのばしていたい。 好きな現代作家に南木佳士さんという人がいます。 歳がいっしょで、モノゴトへの感じ方に共感をおぼえることが多い(いちおう小説という虚構を描いても、多くの題材は自分の実体験をもとにしており、長く生きておれば「そういうことあるなー」「私もそう感じるなぁ」)。 老いた今は、その「老い」の視点から過去をふり返り、あるいは今現在の心境を表したエッセイを書かれている。 最近、『急な青空』というエッセイ集のを読んだ。 その一つに「五十年」というのがある。 【引用】「…そもそも、人生というなにかがあるわけではなく、降っては湧き、前に立ちはだかったり後から突き飛ばしてきたりする出来事

  • 2018.3.21 『存在論的…』④ - カメキチの目

    カメキチの目 前回③は「幸福感」ということだった。 こんどは、「ひきこもり」を「プロセス」(=過程)としてみること、 「ひきこもり」の自分を、③でも少し触れた「ある自己」と「する自己」という二重の視点からとらえることの重要性が説かれていた。 こういう視点も私にはとても新鮮でした。とても考えさせられたです。 ■プロセスとしてとらえる 固定的・静止的・名詞的な、動かないもの(止まっている状態)、として「ひきこもり」をみるのではなく、動くもの、動態的なものとして、動詞的にとらえるということ。 書から引用:「次に確認すべきことは、状態ないし状態像という把握は、あくまで外からの目に「そのように映っている」ということにすぎず、当然ながら「病気」を意味しないということ。 さらには、ここが肝心なところですが、引きこもっている「いまここ」での状態は、それ以前に引きこもっていない状態が先行しているということ

    2018.3.21 『存在論的…』④ - カメキチの目
  • 2018.3.17 プーチン・ロシアほか - カメキチの目

    カメキチの目 (『存在論的…』シリーズの途中ですが、ゴメンなさい) もう3週間にもなる。 ある日テレビが、プーチン・ロシアトランプアメリカの核兵器の小型化など新兵器の開発に対抗してつくり上げた新たな軍事システムを報じていた。 ロシアアメリカを超したとばかり、その功績は自分にあるとばかり、プーチンは大勢の人(その道のエラ方たち?)を立派な会場に集め、新たに開発した軍事システムを大がかりなスクリーンに映していた。 得意満面! そのうち予定の大統領選を控えての人気取りの企みらしいけれど、招待客のほとんどが新軍事システム・兵器のすばらしさに笑みをうかべ、大きくうなずいていた(鳥肌がたつ)。 こんなところをみると、招待客のような性向の人間(現生人類は遺伝子に好戦的性質をもっていると聞いたことが思いだされた)を、プーチンはただ代表しているだけだと思った。ロシアは独裁じゃないもんな。 「独裁」とい

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