以前書いた「知識の呪い」というエントリにラノ漫さんがリンクしていただいたおかげで、再びアクセスをいただいています。そこで、最近読んだ似たような話をちょっとご紹介。 様々な業界で、同業者の群れをリードするようになった「アルファドッグ」な企業を紹介した本『アルファドッグ・カンパニー』を読みました。その中に、コネティカット州で自転車販売業を手がける Zane's Cycles (ゼインズ・サイクルズ)の話として、こんなエピソードが登場します: ジラードは現在店長を務めており、ゼインが採用した他の従業員と同じく、自転車のエンスーではない。こんな風に言う。 「エンスーが店員だと、とにかくお客さんを混乱させてしまいがちです。なぜって、自分の自転車の知識をひけらかして、お客さんを説き伏せようとしますからね」 エンスーとはエンスージアストの略で、熱狂的愛好家の意味(よく車が大好きな人に使ったりしますね)。
様々な検討を行っていく過程で、どうしても細部にこだわってしまい、全体が見えなくなることがあります。特に検討期間が長い場合、複雑な事象の場合には、検討が深まるにつれて様々なケース・バリエーション、オプション、前提条件など、網羅性の追及をするにあたって発見される複雑な要素に気をとられ、どうしても分析や結論付けが「細部にこだわるが、全体が見えず」また「詳細なのだが、網羅性があるかどうかわからない」という内容になります。特に分析等の上流工程の経験が浅い人によくありがちな傾向です。 このような状態になった時には、殆どの場合が対応方法自体を明確に理解できないほど袋小路に入っています。従って、現状のアプローチや資料に対する小手先の対応策でなく、具体的に根本から考え方を構築しなおす指示が必要になります。その場合には、一度作成した資料をすべてご破算にする必要があります。 では、上記のような状態でまず何をすべ
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