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はてなエコー, 二次創作少女たちのポストモダン - ケータイ小説に見る彼女たちの記号的消費誰もが動物である、ということ/全ての物語は順列組み合わせであり、似ているこの議論での「オタク」における萌えの消費と「少女たち」におけるリアルの消費についての対比ということ自体については、そこまで驚いた、というわけではない。というか、そういう要素の消費形態だけを問題にするならもう少し広げることができるし、それはほんらいはポストモダンという言葉を使わなくても成立する議論ではないか、と思った。昨日の日記でちょうど書いていたんだけど、それら問題にされているような物語は、つまりは事物・事件を「ガジェット*1」として用いることによって成立している物語であるように思う。ある事物をテーマとして語るための物語でなく、物語を語るためのガジェット、物語に従属する設定、という水準にあるという点でそれらの物語は共通している(何
唐突ですが、今年はヤンデレの年だそうです。 sixtysevenの日記 - やはり今年はヤンデレか たまごまごごはん - 「ヤンデレ」を楽しむためのいろいろな視点。 成程、今年流行っている作品を見ても、ヤンデレヒロインは枚挙に暇がありません。 漫画「未来日記」ではヒロインにストーキング殺戮少女が置かれ、ひぐらしのなく頃には鉈を持った少女が「偽なり!」(意訳)とのたまい、アニメ的エロゲをアニメ化した某スクイズにおいては鮮血の結末(のこぎりプシュー、或いは屋上からうふふぐしゃ)を誰しもが期待してたりしています。 ヤンデレヒロインの跋扈。これは神話に起源を見る事が出来るように、最近に始まった事ではありません。 実は、日本文学にもそんなヤンデレが好きな方に是非読んで欲しい、私の好きな作家がいます。 坂口安吾という作家です。 彼は無頼派の作家の一人として、エッセイ『堕落論』小説『白痴』などの作品が有
対象を失った愛は、涙の国の極限でわれわれに明日を与える。この世では手に入らないものを愛していると自覚しながら、なおこの愛のための抜け道を人生のなかに探すとき、われわれは、結局は一度も与えられなかった世界、輝かしい無償性を受け止めてくれるはずだった世界の可能性を生き始める。「萌える」とは、対象をもたない愛の感情である。その強さは、愛の不可能性を恥じながら、結局は何も諦めきれないだろう自分への矜持を辛うじて持続させようという意思に、遠い理由をもっている。この愛が、自分の心の内に根を降ろしていて、そしてまた、自分自身の他には行き着く先をもちえないだろうという意識のうちに、「萌える」という単語の植物的自発性が慎ましく場所を得ているのだ。「萌える」という言葉については、重要なことはまだほとんど何も言われていない。人々はあまりにもしばしば、この言葉について比喩的に語り、類似性のうちにそれを見失ってきた
11月4日、「アキバ・ロボット運動会」会場にて、「ハヤカワSFセミナー・SFにおける人間とロボットの愛の歴史」と題してSF作家の山本弘氏による講演が行なわれた。司会は早川書房「S-Fマガジン」編集長の塩澤快浩氏。 山本氏は今年5月、ロボットや仮想現実を扱ったSF『アイの物語』(角川書店)を出版した。舞台は数百年後、機械に支配された地球。アイビスという名前の戦闘用女性型アンドロイドが人間の少年に対して「物語」を語るという形式をとった連作短編集だ。ロボットが知性を獲得していった経緯や、なぜ人類が衰退していったのか、アイビスがなぜ女性型で戦闘用ロボットなのかといった謎は、徐々に明らかにされる。バラバラの時期に発表された短編を一本のストーリーとしてまとめたこの作品は、SFファンや評論家たちから高く評価されている。 人間そっくりのロボットを作りたいという物語は、昔から繰り返し語られてきた。「ロボット
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