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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/nanari (8)

  • 2008-01-19 - 七里の鼻の小皺

    一目で、誰もが恋してしまう鳥居みゆき。はじめてみたとき、批評的な判断を忘れた。事後的に(恋した後で)、これがヒステリーの問題なのだと分かる。2chなどで繰り返される、これが擬態(詐病)か否かという議論は、したがって意味をなさない。擬態こそが、ヒステリーの力だからである。そして鳥居みゆきの美しさは、その芸にとって必然的な要素であることが分かる。ヒステリーは、みられることによって成立する病だから(鳥居の対話芸は、いかに精神分析的にみえようとも、依然としてきわめてシャルコー的なものだ)。彼女は美しいから病んでいるのでも、病んでいるから美しいのでもない。美しさを病んでいるのだ。●この病が、彼女の卓抜な演技力に支えられていることは、ほとんど疑いがない。「麻衣子」(http://jp.youtube.com/watch?v=OsyS0te5zJU)にせよ「数子」(http://jp.youtube.c

    Imamu
    Imamu 2008/01/18
    中野ケーブルテレビの鳥居みゆきの出番部分を録画して何度も見てる私がきますたよ。カンニング竹山さんも中野ケーブルテレビでてたし、あの事務所と中野の小劇場は繋がってるみたいやね『美しさを病んでいるのだ』
  • 七里の鼻の小皺 - アイドルについて語るということ

    最近、ハロプロの周辺で起こったいくつかの出来事について、ぼくが何も書かずにいるのを、奇妙に訝っているひとがいるかもしれない(あるいは、こいつそんなにアイドル好きだったっけと訝るひともいるかもしれない。なんでも、好きだよ)。実際、この数ヶ月ほどの間に起こった出来事を、過少に申告することはできないだろう。「結婚」という問題を軽く扱うなら、アイドル恋愛も、不可能になる。アイドル結婚は、かつて物語の出口であった。1980年、山口百恵がステージに置いていったマイクは、曲がりなりにも、ピリオドの石として機能しえたのだ。物語は、かつて閉じる地点をもっていた(キャンディーズが、1978年に普通の女の子に戻りえたのは、「普通ではない」閉じた物語の世界として、アイドルという言説が存在していたからである)。現在のわれわれの問題は、辻希美の結婚が、はっきりとした出口として機能しないということにある。あの記者会

    Imamu
    Imamu 2007/07/18
    天才が動く。重要。結婚:「出口として機能しない」問題/つんく♂(再物語化)/秋元康(相対化)/「物語の対概念としての現実」綾波-広末/アスカ-榎本/「言説生産性」/「演技」弁証法/「美しいものは役に立たない」
  • 2007-03-26 - 七里の鼻の小皺

    昨日、とても軽やかな気分で、プロフィール欄に「加護ちゃん、なんとかふんばれ」と書いて出掛けた。夜、家に帰ってみると、加護ちゃんが解雇されていた。正直、言葉がないし、文章を書く心理状態ではない。とくに加護ちゃんの専門的なファンであったことはないが、しかし、なんと冷たい幕引きだろう。みな、当たり前のことなのだと言う。加護亜依「ファンサイト」のいくつかは、「手を引く」ことに決めたらしい。なかには、ハロプロ全体に「被害」が及ぶからもう顔を出すなと、彼女を罵倒するサイトさえあった。被害者面ってわけだ。ようするに、彼らはアイドルや愛や芸術とは、はじめから無縁の生まれだったのだろう。だが、そうなのだとしても......ぼくはこんな気持ちでは存在しつづけられない。世界は、そこまで愛を楽観視していたのか? 加護亜依が失敗を繰り返さないなどというのは、「誰々はトイレに行かない」式の皮算用に違いない(その皮算用

    Imamu
    Imamu 2007/03/27
    加護ちゃん問題からアイドル問題へ。『ぼくは、「アイドル」を疑っている。「詩人」や「天才」や自分の「性器」を疑うのと、まったく同じように』
  • 2007-02-12 - 七里の鼻の小皺

    対象を失った愛の持続力は、ひとえにわれわれの想像力に係っている。生きられなかった生(星?)の総体に辿り着くには、不在から始まる認識としての想像力を鍛え上げるしかない。「想像力は死んだ、想像せよ」。というのも、われわれが待ちつづける振りをしてきたのは、自らの手で封じ込めた、認識力の全能なのである。●人はまだ、それに名前を与えられずにいるけれど、「自由」や「愛」と肩を並べるだけの重要性をもった概念が、やがて存在する。ぼくは、その概念を探し求める旅を、ひとつの小説として書いている(若い人は知らないかもしれないが、小説というのは、スクールカーストや性の悩みを告白するためのメディアではなかったのだ)。何人かの詩人や思想家、声優、少なくとも、サファイア、高杉勇作、イルリメらとともに。そして、社会に抗してまだこのブログを読みつづけるという、蛮勇を示してくれた、あなたとともに。●自分のもっているものも、も

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    Imamu 2007/02/13
    面白ひ。必読の書。「桃井は、「萌え」という言葉が抑圧されている現状を、好機に変えようとしている。反乱は抑圧された言語において始まる』/『こりん星と千葉に、同時に由来するのだ』
  • 七里の鼻の小皺 お笑いについて

    時間が過ぎていく。昨年は、ちいさなちいさな学位を、ひとつ手にした。なんだかんだと言いながらぼくも、「澄ませば座れた椅子」(イルリメ)の座り方のひとつを、覚えようとしているのだろうか。しかし、少なくとも内面的には、そう単純ではなかった。大学や社会と、自分との間の齟齬に対して感じてきた愛憎は、まったくそういう風ではなかったのだ。どの程度に「うまくやれるか」という関心と同じくらいには、この齟齬から汲み取れるはずの何かを、ぼくは愛しているのだと思う。 いつもよりもさらにオセンチに始まった七里の鼻の小皺、今回はM-1の感想から派生した、ひとつの青春論です。 ■笑いの忌明けのために 2006年M-1グランプリ決勝での、POISON GIRL BANDの変調(ただの緊張でもあるのだろうけれど、それにしても、彼らにしては不用意に言葉が多すぎた)に大きなショックを受けて、しばらくひどく深刻な気持ちにつか

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    Imamu 2007/01/12
    最高に面白い。『「演じていないかの~その場で思いついたかの~」~しゃべくり漫才の理念形』/『漫才が現実的要請のなかに完全に埋没』『同じネタを何度も観ることに耐性を』『集団性~歴史』『現在性から笑いを』
  • 2006-02-24 - 七里の鼻の小皺

    今日、ネットをみていて、こりん星の通貨は優しさだと初めて知って、瞬間的にぼろぼろと泣きだしてしまった。「ミステリー、ホラーやツライ思いや感動があります。とにかく楽しい星」。そうだ。つらい思いもあるんだ。それでいいんだ。「テレビはアニメだけ」だという。そうだ。ぼくは、いけなかった。こりん星が、こんなにも正しい星だということを、今日まで知らないでいた。そこには、どれだけ少ないときにも100人の住人がいて(われわれがその名前を知りえたのが、いまだ35人程度なのだとしても)、優しさを手渡しあいながら、今日もわれわれの遅ればせの到着を待っている。われわれの、最も臆病なこの躊躇、自分の人生を取り戻すことに対するこの恐れさえ、しかろうとはせずに、待っているのだ。みよ、リンコの丘から、妖精たちが小さな手を振っている。りんこスクールでおかし作りと魔法の授業を終えた、われわれの友人たちが、手を取り合って虹の橋

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    Imamu 2006/11/09
    こりん星に関しての最上級レベルの詩であり謌だ「今日、ネットをみていて、こりん星の通貨は優しさだと初めて知って、瞬間的にぼろぼろと泣きだしてしまった」
  • 2006-08-17 - 七里の鼻の小皺

    ■好きだよという気持ち、の断片 二階堂和美『二階堂和美のアルバム』を聴く。鴨田潤(イルリメ)プロデュース作品で、作詞はほとんどすべて鴨田による。二階堂とイルリメの共同作業の歴史の、集大成といった趣きがある。二人の詩人が交わし合う、互いの才能への尊敬の眼差しが美しい。人が作品を作り、発表して、また人がそれをみたり聞いたりするというのは、とても良いことなのではないだろうかと思う。 ほとんどすべてが、ラブソングに聞こえることに驚いた。イルリメのラブソングは、どこか物悲しくて、それでいて、あの耐え難い感傷を抜け出るときの、最小限の希望に開かれている。二階堂和美は、かつてspdill『how to feel the empty hours?』でも歌っていた「日向月」を、今回のアルバムの最後で歌い直している。前の録音バージョンよりも生音が増えている。辛い記憶を乗り越えるときに、われわれが思い出という

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    Imamu 2006/11/07
    最後の段落
  • 七里の鼻の小皺 - 対象をもたない愛(1)――「萌え」・「大切な何か」・『トップをねらえ2!』・『Anisopter』

    対象を失った愛は、涙の国の極限でわれわれに明日を与える。この世では手に入らないものを愛していると自覚しながら、なおこの愛のための抜け道を人生のなかに探すとき、われわれは、結局は一度も与えられなかった世界、輝かしい無償性を受け止めてくれるはずだった世界の可能性を生き始める。「萌える」とは、対象をもたない愛の感情である。その強さは、愛の不可能性を恥じながら、結局は何も諦めきれないだろう自分への矜持を辛うじて持続させようという意思に、遠い理由をもっている。この愛が、自分の心の内に根を降ろしていて、そしてまた、自分自身の他には行き着く先をもちえないだろうという意識のうちに、「萌える」という単語の植物的自発性が慎ましく場所を得ているのだ。「萌える」という言葉については、重要なことはまだほとんど何も言われていない。人々はあまりにもしばしば、この言葉について比喩的に語り、類似性のうちにそれを見失ってきた

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    Imamu 2006/11/07
    「対象をもたない不可能な愛が、現実と接する地点」「一見馬鹿げた愛を、生を書き換える力へと組織していく」「アニメとは、倫理的な意味においては、「空を飛ぶ」力学に他ならない」
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