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2008年7月9日のブックマーク (4件)

  • 本を読む人、雑誌読む人―科学/研究について図書館情報学的に考える - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

    なんか最近、twitter上で色々な分野で研究をしている人が議論する場面に遭遇したり、あとからそんな場面があったのを知って悔しがったりする日々が続いています。 「データでガツン」論争 http://sakstyle.tumblr.com/post/40444598 歴史学・科学・「データでガツン」 - klovlr@はてな 「データでガツン」論争・補遺 - klovlr@はてな 批評家ら科学へ http://klov2.tumblr.com/post/41360819 文系理系から教育制度へ http://klov2.tumblr.com/post/41416330 (id:sakstyleやid:klovさんなど、まとめてくれている方がいて大変助かります) この中でもたびたび出てくるし、ここに載ってないようなところでも、文/理の2分法や人文科学・社会科学・自然科学の3分法について議論され

    本を読む人、雑誌読む人―科学/研究について図書館情報学的に考える - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
    Imamu
    Imamu 2008/07/09
    「主に本を読む/書く人」-人文科学/「主に雑誌論文を読む/書く人」-自然科学/「どっちも同じくらい読む/書く人」-社会科学///しっくり。理工学(建築学科も)の質問は論文単位。人文は図書単位or事項調査でNDLとwebcat。
  • くびき - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ

    ぼろぼろになって打ちひしがれてみじめなまま汚泥にその肢体をたゆたわせる末路までが、アイドルヲタの生の一連でも、その存在を肯定する。聞こえのよい妄言だろうか。許容されうる限りでの社会のモデル、ロールプレイへの帰還を半強制的にか約束されて、アイドルとそのヲタはどうにもぬるい眼差しの中、一時の宇宙遊泳のため切り離される。感化院への隔離。最初からその結末は押さえられている。だとすれば、上に肯定されたアイドルヲタの生は、一つのテロルになりうる。 いえ、なに、両立なんてできますよ。バランスの問題なのです。アイドルという言葉やヲタという言葉を勝手にこり固めて盛り上がらないでください。それらは十二分に社会的なのですから。社会において社会化するプロセスにおける儀礼的な他の概念と何ら変わりはないのです。アイドルヲタはただの趣味です。特別視神聖視しすぎているのです。肩肘張らないで、ポップにやりましょう。 放って

    くびき - 女のコファシズム−あふたーあうしゅびっつ
    Imamu
    Imamu 2008/07/09
    『偶像が必然的に信の対象である限りで、アイドルを信じるという言い方は、トートロジーだ』「アイドルは人間であり人間でない」>「アイドルだって人間である」
  • 祝再発!椎名林檎ラストアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」とは何だったのか? - Devil's Own

    加爾基 精液 栗ノ花 アーティスト: 椎名林檎出版社/メーカー: EMIミュージックジャパン発売日: 2008/07/02メディア: CD購入: 4人 クリック: 116回この商品を含むブログ (50件) を見る 椎名林檎がベストアルバムを出すとは感慨深い。ある意味ではレディオヘッドよりも感慨深い。椎名林檎が死んで5年ほど経つ。何を言ってるんだ椎名林檎なら生きてるぞ、と大半の人は言うかもしれないが僕はあれは幽霊だと思っている。ベスト盤やB面曲のコンピなどの「入門編」が次々リリースされる中、ひっそりとこのラストアルバムが再発された。発売当時流行していた悪しき規格CCCDを外した通常盤でのリリースだ。事変以降の林檎しかしらない中高生諸君よ、ベスト盤もいいが、まずこっちを買え。買うときっと後悔するだろう。しかし3000円分の元を取るつもりで我慢して聴くんだ。多感な君たちにはこのアルバムを独りで聴

    祝再発!椎名林檎ラストアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」とは何だったのか? - Devil's Own
    Imamu
    Imamu 2008/07/09
    「このアルバムは本当に呪われている」『「自作自演屋」というペルソナは自己と他者をコミットするための処世術だったのだ』
  • 「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground

    さて、藤井誠二『殺された側の論理』(講談社、2007年)に収録されている座談会で、小宮信夫が「中世の時代は被害者に復讐する権利や決闘という方法」があったけれども近代国家になると被害者からは力が奪われて、「当初は被害者の代わりに国が復讐する役割をして」いたが「いつの間にか国は秩序を乱すという理由で加害者を罰するというようになった」と発言している(252-253頁)。これは「被害者及び死刑」でも取り上げたように、しばしば見られる見解なのであるが、果たして小宮はどういった根拠に基づいて言っているのであろうか。仮にも犯罪社会学者という専門家の言うことであるから無根拠であるはずがなかろうと思うが、とりあえず自分なりに確かめられる部分は確かめようと思い、法制史の教科書をところどころ読み直してみた。 概説 西洋法制史 作者: 勝田有恒,山内進,森征一出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2004/

    「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground
    Imamu
    Imamu 2008/07/09
    「刑罰は社会全体の治安維持という一般的法益を確保する目的のためにあった。~復讐が自由だったという事実そのものが、きわめて限定された階層についてのみ言える」/日本の中世の自力救済や喧嘩両成敗法・仇討ち