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ブックマーク / ashizu.hatenablog.com (10)

  • ヤマカンにおける虚構の身体性の問題――『かんなぎ』から『フラクタル』へ - metamorphosis

    庵野秀明は、2006年、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の制作発表にあたり、極めて挑発的な所信表明を行なった。「この12年間エヴァより新しいアニメはありませんでした」*1。この表明が意味していることとは、『エヴァ』を更新するアニメは『エヴァ』それ自体でしかありえず、「ポスト・エヴァンゲリオン」などというものは存在しない、ということだろう。ここには、アニメの現状に対する庵野秀明の認識が明確に示されていると言える。つまり、『エヴァ』以降も、非常に多くのアニメ作品が作られ、その中には斬新な試みを行なった傑作もあっただろうが、真の意味で新しいアニメ作品はなかったのである、と(もちろん、それではアニメにおける新しさとは何なのか、ということを次に問う必要があるだろうが)。 山寛(ヤマカン)は、これと似たような声明を、『フラクタル』の制作発表にあたって公表したが、ヤマカンの声明は、庵野秀明の大胆不敵な声明

    ヤマカンにおける虚構の身体性の問題――『かんなぎ』から『フラクタル』へ - metamorphosis
    Imamu
    Imamu 2011/02/27
    「『ママはアイドル』の批評的な~中山美穂がアイドルの「中山美穂」役~メタレベルの視点が、テレビの中で行なわれていることは虚構にすぎないと~アイドルが、自分の母親という、ある意味、最も身近な場所を占め」
  • 2009年のベストアニメ作品――ゼロ年代の終わりにアニメの未来について考えてみる - metamorphosis

    アニメ(ブロガー・twitterアニメクラスタたち)の饗宴、あるいは2009年アニメベスト/ワーストのススメ(反=アニメ批評) http://d.hatena.ne.jp/ill_critique/20091220/1261317064 アニメブログ年末合同企画(EPISODE ZERO) http://d.hatena.ne.jp/episode_zero/20091220/p2 上記の企画に参加。 2009年のベストアニメというか、もし仮に2009年のアニメの中からひとつだけ見るべきものを選べと言われれば、僕は迷いなく、『エンドレスエイト』の名前を上げることだろう。『エンドレスエイト』は、『涼宮ハルヒの憂』のアニメのひとつのエピソードとして考えるべきではなく、独立したひとつの作品として捉えられるべきである。 つまり、2009年のベストアニメは『エンドレスエイト』である。以上。 これで

    2009年のベストアニメ作品――ゼロ年代の終わりにアニメの未来について考えてみる - metamorphosis
    Imamu
    Imamu 2009/12/29
    『「憂鬱」で克服の対象だったものがセカイ系という名のパラノイア的な誇大妄想だったとすれば、『エンドレスエイト』で克服の対象になっているのは、日常生活への依存・嗜癖・中毒』
  • 『乃木坂春香の秘密』におけるキャラの問題――お嬢様でもありドジっ娘でもある - metamorphosis

    僕は、このブログで、これまで主として物語という観点からアニメ作品を問題にしてきた。しかし、当然のことながら、物語という観点からだけで、アニメ作品について語るのは不十分であるし、物語という観点だけからアニメを見ていると、ある種の空疎さにぶつかることがある。それは、つまり、非常に多くの作品が、ある種の類型に基づいて物語を展開していて、そこには、物語上の複雑さ(あるいは物語展開上の強度)というものを見出すことが難しいからだ。 そもそも、現在のサブカルチャーにおいて、物語の衰退と同時並行的に、それを代補する形で、(萌え)キャラによる作品強度の獲得という方向性が浮上してきたのではなかったか。こういう文脈においては、現在のアニメ作品を問題にするにあたっても、物語を問題にするよりは、キャラを問題にしたほうがラディカルかつアクチュアルなのではないか、と思うところがある。また、物語を問題にするにあたっても、

    『乃木坂春香の秘密』におけるキャラの問題――お嬢様でもありドジっ娘でもある - metamorphosis
    Imamu
    Imamu 2009/12/24
    『裕人の女性嫌悪は、女性的な見かけの先にある女性の実相に向かっている』『春香がみんなに隠していたのは、自分がドジっ娘であるという、そのキャラクター性~キャラクターには見かけしか存在しない』
  • 歌うことと闘うこと――『マクロスF』に見出される女性的な立場と男性的な立場 - metamorphosis

    現在『マクロスF』の劇場版が公開されているわけだが、僕も今度この作品を見に行く予定なので、その予習を兼ねる形で、この作品についてちょっと書いてみたい。いったいこの作品でどのようなことが問題になっていたのかということを自分なりの視点で少しまとめてみたいと思ったのだ。 『マクロスF』を物語的な観点から見ていったときに注目されるべきなのは、メインとなる三人の登場人物、つまり、アルト、シェリル、ランカという三人の登場人物の関係性である。これら三人の登場人物の関係を恋愛における三角関係として提示するのがオーソドックスな見方であるだろうが、そのようなありきたりの見方を踏襲しても面白くないので、ここでは、あえて別の観点を提出してみたいと思っている。それは、すなわち、これら三人の登場人物を男性と女性とで分けて、男性と女性を対立させるという観点、つまり、アルトをシェリルやランカと対立させるという観点である。

    歌うことと闘うこと――『マクロスF』に見出される女性的な立場と男性的な立場 - metamorphosis
    Imamu
    Imamu 2009/11/24
    「アルト~女性的な立場を克服し、男性的な承認を獲得」「戦闘という過剰((非日常))~歌という別の過剰((日常))」「アルト~一緒になって~場合によっては女装をして(その女性的な立場を引き受けて)歌うこと」
  • 「エンドレスエイト」から立ち上がってくる倫理――平行世界の確率論的な倫理について - metamorphosis

    先日まで、『涼宮ハルヒの憂』のアニメにおいて、八回にわたって、「エンドレスエイト」のエピソードが放送されたわけだが、ネットでの議論を少し見た限りでは、同じ内容の話を何度も繰り返して放送することに対する賛否が主に話されていて、物語内容についての解釈等についてはあまり話されていないという印象を受けた。そういうこともあって、ここでは、「エンドレスエイト」が八回にわたって放送されたことについてはいったん脇に置いて、まずは、その物語内容の側面から、この作品について考えていきたいと思っている。 『涼宮ハルヒの憂』という作品の興味深いところは、複数の視点、複数のパースペクティヴのギャップというものが、非常に上手く提示されているところである。この作品について、そこには、キョンの一人称視点しかないというふうに言うこともできるだろうが、キョンの一人称を取り巻く形で、他の登場人物のパースペクティヴも問題にな

    「エンドレスエイト」から立ち上がってくる倫理――平行世界の確率論的な倫理について - metamorphosis
    Imamu
    Imamu 2009/09/05
    「決断が差異をもたらすのではなく、確率論的な差異が何かを決定づける、というような世界観」
  • 喪失感と諦念――アニメ『WHITE ALBUM』に見出される時代認識 - metamorphosis

    『WHITE ALBUM』のアニメを最後まで見たので、またちょっと感想を書いておきたい。 この作品を見ていて個人的に気になったのは、昭和と平成という時代の違いがどこにあるのかとか、80年代はどういう時代だったのかとか、そのようなことである。このアニメが描いている1986年(昭和61年)という時代、僕は小学生くらいだったが、果たして過去の自分の実感として、このアニメで提出されているような時代の描き方で問題がないかどうか、自分もまたこのような世界を生きていたのかどうか、そういうことがやはり気になるのである。1986年が仮にこのアニメで描かれるような時代だったとして、それから現在まで、果たして時代はどんなふうに推移していったのだろうか、と。 しかし、アニメをずっと見ていて思ったのは、おそらく、このような問いの立て方は間違っているのではないか、ということである。このアニメ作品が舞台にしている時代は

    喪失感と諦念――アニメ『WHITE ALBUM』に見出される時代認識 - metamorphosis
    Imamu
    Imamu 2009/04/05
    物神性「ひとりの人間がその人間以上の存在になることで発揮する魅力」「『WHITE ALBUM』はまさしく80年代の夢を対象化」「アイドル歌手の存在~経済大国と言われた日本の存在と」「時間の有限性」
  • アニメ『かんなぎ』に対する不満――2008年秋アニメについての雑感 - metamorphosis

    今年の10月から始まって現在放送されているアニメ『かんなぎ』は、『涼宮ハルヒの憂』や『らき☆すた』の制作に関わった山寛が監督をしているという点で、現在最も注目を浴びている作品だろうし、僕自身もそのような文脈で期待していたのだが、放送が2ヶ月経った時点での感想を述べてみると、この作品は、いったいどこへ向かっていこうとしているのかという方向性のよく分からない作品だと言える。 もちろん、この作品が、他の無数のTVアニメと比べてみたときに、比較的上質の作品であることは間違いない。オープニングのアニメーションは実に素晴らしい。ナギが歌っているアニメーションのクオリティが高いというだけでなく、間に挟まれる似非アイドル物語の演出も素晴らしい。加えて、オープンングの曲もエンディングの曲も非常にいいと思う。同様に、編の演出でも、注目に値する場面がいくつもあった。 だが、それにも関わらず、この作品を全体

    アニメ『かんなぎ』に対する不満――2008年秋アニメについての雑感 - metamorphosis
    Imamu
    Imamu 2008/12/07
    『ネタ的なもの(ギミック)からベタ的なもの(ドラマ)への移行が、『かんなぎ』ではなく『とらドラ!』において実現されていた』
  • 新海誠における再会と喪失の問題――『秒速5センチメートル』を見て - metamorphosis

    先日、新海誠の新作『秒速5センチメートル』を見てきたので、その感想を少し書いてみたい。 この作品の主題をひと言で言えば、それは、再会だと言えるだろう。しかしながら、ここで問題になっているのは、永遠の魂の存在証明とは別のもの、むしろ、その永遠の魂に加えられた傷であると言えるだろう。このことを、これから、詳しく述べてみたい。 そもそも、再会の主題とはどのようなものか? それは、セカイ系的な文脈で言えば、永遠の魂の実在の証明であると言っていい。例えば、それは、次のような物語の形で示される。ある愛し合っている男女が悲劇的な出来事によって離れ離れになって死ぬ。その魂は別の肉体に宿ることになるが、その新しい生においても、この男女は、再びお互いを愛し合うようになり、再びこの二人は出会うようになる、というものである(新海誠の作品には村上春樹の強い影響を見ることができるが、ここで、『秒速5センチメートル』と

    新海誠における再会と喪失の問題――『秒速5センチメートル』を見て - metamorphosis
    Imamu
    Imamu 2007/03/26
    『逆説的なことながら、永遠化されているのは、むしろ、喪失そのもののほうだ、と言えるかも知れない。』
  • metamorphosis:日常と非日常とを分ける節目の時――『うる星やつら』と『涼宮ハルヒの憂鬱』を巡って

    前回は、アニメを見ることに関わる実存的な問題を少しだけ提起した。そこで問題になっていることは、生活のリズムを刻むこと、平板な世界にいかに起伏をもたらすか、ということである。これは、つまるところ、世界をいかに意味づけるか、ということである。あるいは、日常生活というものをいかにして再構成するか、ということである。 この日常生活の分節化の問題が、今日の非常に多くのサブカルチャー作品に見出されるということが、現在の僕の関心事である。何度も繰り返すことになるが、日常生活そのものを描くことはできないので、こうした作品において問題になっていることは、言ってみれば、日常生活における節目を発見することであるだろう。つまり、何かの終わりであると同時に何かの始まりでもあるような、そうした節目を様々なところに発見することが問題になっているのである。 現在は卒業式のシーズンであるが、卒業式というのもまた、ひとつの節

    metamorphosis:日常と非日常とを分ける節目の時――『うる星やつら』と『涼宮ハルヒの憂鬱』を巡って
    Imamu
    Imamu 2007/03/20
    メタレベル導入-世界の裏側-世界の意味づけを一新-ループ。「問題なのは、そこに非日常をもたらすことであるよりも、日常生活をいかに組織化するか、いかに再編成するか」
  • metamorphosis -可能世界の可能性――タイムリープと時間の不可逆性について

    ツガノガクのマンガ版『時をかける少女』を読んだので、この作品のモチーフから連想したことをいくつか書いてみたい。 僕は、原作の小説を読んだことがないので、このマンガがどれくらい原作に忠実なのかよく分からなかった。しかしながら、この作品のモチーフが現代的であるということには異論がない。従って、この作品が今年アニメ化されたのも非常に納得のいくことである。つまり、過去に戻るというモチーフが極めて現代的だと思うわけである。 よく、ファミコンなどのゲーム機に関連して、リセットということが問題になるが、そこで問題になっていることとは何なのだろうか? それは、もちろん、可逆性/不可逆性の問題である。時間は逆流しない。これは、死の絶対性の問題と関わっているが、しかし、厳密に言えば、やはり性質の異なる問題であるだろう。もし、人間が不死になったとしたら、時間の不可逆性の問題も同時に解決されるだろうか? これは、

    metamorphosis -可能世界の可能性――タイムリープと時間の不可逆性について
    Imamu
    Imamu 2006/10/08
    「現在という謎についての答えを過去に探し求めようという発想」「この世界に出現しえなかった世界の可能性の残滓」
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