2013年7月18日のブックマーク (22件)

  • 石原立也 - Wikipedia

    2005年 AIR [監督 OP・ED絵コンテ・演出 1.6.12話.総集編.特別編前編.後編絵コンテ・演出(6話の絵コンテは武康弘と共同) 9話絵コンテ] 2006年 涼宮ハルヒの憂 [監督 OP絵コンテ・演出 2話脚・絵コンテ・演出 10話脚 14話絵コンテ・演出] Kanon [-2007年、監督 OP・ED絵コンテ・演出 1.24話絵コンテ] 2007年 CLANNAD -クラナド- [-2008年、監督 OP絵コンテ・演出 1.4話絵コンテ・演出 8話絵コンテ(石立太一と連名)] 2008年 CLANNAD 〜AFTER STORY〜 [-2009年、監督 OP・ED絵コンテ・演出 1話.総集編絵コンテ・演出 22話絵コンテ(山田尚子と共同)] 2009年 涼宮ハルヒの憂(2009年新作分) [団長代理(総監督) 16.22話絵コンテ・演出 24話脚] 2011年 日

  • 吉田玲子 - Wikipedia

    法政大学文学部卒業後の1992年、セシールシナリオ大賞(オリジナルビデオ)にて『B級パラダイスへ行こう』が佳作、NHK中国四国ラジオドラマコンクールでも次々と佳作を取り、創作ラジオドラマ脚懸賞募集では『悪役志願』で入選。ラジオドラマ各受賞作は次々とオンエアーされる。 1994年、『ドラゴンボールZ』第244話「狙われた西の都!止まれ魔人ブウ!!」にて脚デビュー。90年代後半は『おジャ魔女どれみ』シリーズや『おじゃる丸』などに参加。その後2002年には、スタジオジブリ作品の映画の恩返し』の脚を手がける。同じくジブリ作品の『ハウルの動く城』(細田守版)では、当初脚として参加し脱稿していたが、制作が頓挫したため、お蔵入りとなった。 2014・2017・2021・2023年、東京アニメアワードアニメ オブ ザ イヤー部門において計4回、原作・脚賞を受賞した。

  • 山田尚子 - Wikipedia

    幼少期は『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』、『スタジオジブリ作品』をよく好んで観ていた。また、小学生の頃より絵を描くことが好きで、『ドラゴンボール』や『機動警察パトレイバー』、『ハイスクール!奇面組』などの絵を模写していた[6]。 高校時代はテニス部と写真部に所属[6]。京都造形芸術大学に進学後は特撮部に所属していた[6]。学科での専攻は油絵だったが、3年次にて「キャンバスでは自分がやりたい表現は出来ない」と感じ、立体造型の製作に着手。皆が絵画に取り組む中、発泡プラスチックを削っていたという。 2004年、京都アニメーションにアニメーターとして入社[7]。2005年『AIR』にて初原画。2007年『CLANNAD -クラナド-』第8話「黄昏に消える風」、第12話「かくされた世界」の演出補佐を経て、第17話「不在の空間」で演出デビューを果たす。 2009年、若手ながらテレビアニメ『けいお

  • 新房昭之 - Wikipedia

    新房 昭之(しんぼう あきゆき、1961年9月27日 - )は、日のアニメ監督、アニメ演出家、元アニメーター、作画監督。福島県伊達郡桑折町出身。血液型O型。別名義として「帆村壮二」「椎谷太志」「Magica Quartet」などがある。 構成作家としては、原作のあるアニメを手掛ける際には「原作者の言いたい事柄は原作者にしか分からない」「原作者が考えていることをそのままアニメにするのではなくて、あくまでも原作のファンが見たいと思えるようなアニメを作る」「原作者がファンの為に直々に作った様な構成にする」という考えから原作者を脚会議に同伴させることを心がけている[3][4]。映像作家としては、 奥行きのない平面構成を基としたレイアウト 赤や黒を基調とし極端にコントラストをつけた奇抜な色遣い カットごとのアスペクト比の変形 あおり構図 十字架やステンドグラス・石像などのシンボリックな小物 文

  • 大沼心 - Wikipedia

    千代田工科芸術専門学校を卒業後、オフィス蒼に動画マンとして入り、アニメーターとして活動を始める。やがてフリーとなり原画マンとして活動後、演出家に転じる。 演出家として駆け出しの頃、新房昭之監督作品に参加。その際、新房が演出に求めるデジタル処理の要望に応えられたことがきっかけとなり、彼が監督を務める作品の主力スタッフとして数多くの作品に関わることとなる[1]。 2007年、『ef - a tale of memories.』の監督を務め、これが事実上の初監督作品となる[2]。その後、2009年放送の『夏のあらし! 〜春夏冬中〜』を最後に新房作品から離れ、『ef - a tale of memories.』を含めたシャフト作品の下請けを行っていたSILVER LINK.で監督を任されるようになる。 2015年現在は、SILVER LINK.所属のアニメーション監督として、活躍中である。 自らA

  • 錦織博 - Wikipedia

    錦織 博(にしきおり ひろし、1966年5月20日 - )は、日の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、脚家。京都府出身[1]。日アニメーションを経てフリーとなってからは数多くの作品に演出・監督として参加している[1]。 小学校の高学年の頃、劇場版『銀河鉄道999』のムックに載っていたスタッフ構成やアニメの機材、制作手法の記事を見てアニメの技術的な部分に関心を持つ[1]。劇場版2作目の『さよなら銀河鉄道999』が公開されると、金田伊功の画集『金田Special』に掲載された同映画の原画に衝撃を受けて作画や美術にも興味を持つようになる。また同時期に出ていた安彦良和や杉野昭夫などの画集も買う[1]。 中学生になると『銀河鉄道999』の原作の完結とともにアニメへの興味も失せ、しばらくアニメから離れる[1]。 高校時代、美術部の友人に付き合って買った宮崎駿の『風の谷のナウシカ』のコミ

  • 谷口悟朗 - Wikipedia

    この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "谷口悟朗" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2022年8月) 映画学校には「新聞配達」の奨学金制度を使い、学業と共に務めた。監督に興味を持ち始め、実写では20代で監督になるのは無理だがアニメならなれるとの話を聞き、アニメーションの世界に入った人物。結局、20代で監督にはなれなかったが、現在では監督として様々な作品に携わっている。 メディアに顔を出すのを控えていたが、サンライズ初のNHK作品となった『プラネテス』で原作者の幸村誠が取材を受ける際に、幸村が一人で最前線に送り込まれることを避けるためにアニメスタッフの代表として表

  • 水島努 - Wikipedia

    長野県松美須々ヶ丘高等学校卒業。高校時代には自主映画を制作していた[3]。高校卒業時は音楽教師志望だったが、浪人し続けたため進学を断念、1986年にシンエイ動画に就職する。当初の志望から後に作詞・作曲を手がけるようになる。1986年の『ドラえもん』「けしきカッター」の制作進行でアニメデビュー。以後、『エスパー魔美』『チンプイ』などで制作進行を務めた後、1991年に『美味しんぼ』の第120話「ジャンボ茶碗蒸し」で初演出を担当。『美味しんぼ』で勝手なことをやったことから(人曰く)企業内失業の状態に陥る。制作進行に降格して『ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!』を担当したのち、1994年の映画『クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』にて監督である郷みつるが周囲の反対を押し切って演出助手として起用。その流れで同年から『クレヨンしんちゃん』のテレビシリーズに参加した[4]。1998年12月25

  • 水島精二 - Wikipedia

    東京デザイナー学院(現・東京ネットウエイブ)卒業後、東京アニメーションフィルムに入社。『ドラえもん』『おぼっちゃまくん』の撮影の傍ら、撮影監督の熊谷正弘に師事したのち、格的に演出を目指すため、サンライズへ制作進行として勤務する。退社してゲーム用ムービー制作に従事したのち、アニメーションへ移行する。 ほとんどの監督作品では三間雅文が音響監督を務めている。また、大半の作品に出演している小西克幸の他、一度自身の作品に起用した声優を後の作品でも積極的に起用している。 絵コンテや演出では「ミズシマセイジ」、または「ミズシマセイヂ」の名義を用いることがある。 同業者かつ同姓である水島努と血縁はない。しかし、両名とも「実は彼とは兄弟である」といった冗談を飛ばしたことがあり、Twitterでは努を「兄者」と呼んでおり、努からは「兄貴」と呼ばれている。 PUFFYのファン。駄目元でアニメの主題歌歌唱を依頼

  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

    BLOGOS サービス終了のお知らせ
  • 「申し訳ありませんがお休みさせてください」?なんで有給取るのに謝るの?|イケハヤ大学【ブログ版】

    先日多摩大で授業をしていた際、生徒の一人が申し訳なさそうな顔で「先生ごめんなさい、ちょっと授業抜けさせて下さい…」と懇願しにきました。どうやら家族の体調が悪くなったようで、電話をする必要に駆られたようです。 謝る必要なんてない なんというか、こんなところに突っかかるのも変な話ですが、「謝る」のは違うでしょう。家族の体調が崩れたのは、自分のせいではありませんし、授業を抜けるのは、当然のことです。 謝る必要なんてないので、「ちょっと家族の体調が優れないようなので、授業を抜けます」と報告していただければ、それでOKです。ホント、謝る意味がわかりません。 相手は急いでいるわけで、その場でそんな説教をするのもズレています。なのでこのブログで書いておきました。読んでいてくれると嬉しいなぁ。いいんです、謝らないでください。 申し訳ありませんが、お休みさせて下さい? 思い返してみると、この手の「休む→申し

    「申し訳ありませんがお休みさせてください」?なんで有給取るのに謝るの?|イケハヤ大学【ブログ版】
  • 『<物語>シリーズセカンドシーズン』七夕短冊まとめ

    タワーレコード アニメ @TOWER_Anime タワーレコードが運営するアニメ情報アカウントです。アニメに関連するインフォメーションをゆるゆると呟きます🙂 ※店舗によって特典の有無や商品の在庫状況は異なります。オンラインや各店舗など、ご購入(ご予約)先に直接お問いあわせをお願い致します。 ※お誕生日ツイートは長らくお休み中です🙇‍♀️ tower.jp/genre/anime

    『<物語>シリーズセカンドシーズン』七夕短冊まとめ
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

    BLOGOS サービス終了のお知らせ
  • 宇宙エレヴェーターは20年以内に実現する!

  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

    BLOGOS サービス終了のお知らせ
  • [コラム]"自転車保険に入らないと怖いらしいわよ、嫁子さん!"

    ※釣り解説ではありません。また、人間関係にはフェイクがあります。 この地裁の判決がテレビで放映されたのを見て義母が「我が家も自転車保険に入らないと!」とハッスルして困っています。どうしたらいいでしょうか。 【関西の議論】母親驚愕「息子の自転車事故の賠償金9500万円」の“明細”は…(1/3ページ) - MSN産経west - どういう判決かというと、当時小学5年生だった息子が起こした自転車事故について、その母親に対して監督不行き届きであったという損害賠償訴訟で母親側が敗訴し、地裁から約1億円の賠償を命じられたというものです。 この事件が注目されているポイントはいくつかあるのですが、1つ目は賠償金額が自転車事故で想定されるものとしては1億円程度と高額であること、2つ目は事故を起こした息子ではなく、保護者である母親に対して監督責任があるとして損害賠償命令が下ったということでしょうか。近頃は、自

    [コラム]"自転車保険に入らないと怖いらしいわよ、嫁子さん!"
  • ブラック企業を見せしめにしたいなら「証券営業」から始めたらどうか

    参議院選挙を前に、自民党が提言していた「ブラック企業名の公表」は結局公約に盛り込まれないことが判明して話題になった。労働基準法違反で線引きしていたら、ほとんどすべての企業がブラック扱いされ、しかもその多くが無名の零細企業ばかりで「見せしめ効果」がないと考えたのかもしれない。 それでも「ブラックな有名大手企業をさらしあげるべきだ」という声があるが、そんなことならワタミやユニクロ以上に疑いようのない「ブラック職種」があるから、そちらを覗いて見たらどうだろう。それは「証券会社の営業」である。 値上がりの見込めない株は「クズ客」に売りつける 金融業界は、高給と安定性、知名度から就活生に人気である。2013年度の「日経就職人気ランキング」でも、トップ10がすべて金融業界という輝かしい結果となった。 しかし意外に思われるかもしれないが、リクルート調査による「就職人気企業ランキング」で、証券会社は過去3

    ブラック企業を見せしめにしたいなら「証券営業」から始めたらどうか
  • Category:シリアルキラー - Wikipedia

    殺害行為を主目的に行う連続殺人者(シリアルキラー)及び犯人がシリアルキラーに該当すると思われる事件に関するカテゴリ。通常の連続殺人事件はCategory:連続殺人事件参照。

  • 北九州監禁殺人事件 - Wikipedia

    事件の犯人であるМ・Fは1961年(昭和36年)4月28日生まれ[9]。福岡県北九州市小倉北区出身[9]。福岡拘置所に死刑囚として収監されている[10]。 実家は畳屋で[9]、7歳の頃に父親が実家の家業を引き継ぐため福岡県柳川市に転居した[9]。経済的には裕福な家庭であり、母親と祖母に甘やかされて育った。小学校の全学年でほとんどの教科の評定が「5」であり、学級委員長や生徒会役員を務め、中学1年時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝し、部活ではキャプテンを務めたが、当時から虚言癖があり、教師からの信用は低かった。 実際に小中学生時代の同級生への取材では「彼が弁論大会で優勝した記憶は無い。部活のキャプテンは人が強く望んだため押し切られる形であった、チームプレイが出来ずレギュラーではなかった」また別の同級生からは「成績は良かったがズバ抜けているわけではなく、進学先も中程度の学力であった

    北九州監禁殺人事件 - Wikipedia
  • 日本の新左翼 - Wikipedia

    の新左翼(にほんのしんさよく)では、日政治史で新左翼と呼ばれている政治思想や政治運動、政治勢力について記す。新左翼の対比語は既成左翼で、日での既成左翼は旧日社会党や日共産党などを指す。 1950年代、ソ連では1953年のスターリン死去後、実権を握ったフルシチョフによるスターリン批判(1956年)や、ハンガリー動乱(1956年)など、既存の社会主義体制を揺るがす事件が立て続けに起こり、ソ連中心的な社会主義秩序が弱まった。 これに反応して、日では、反スターリン主義やトロツキズムの広がり、六全協(1955年)での日共産党の武装闘争路線の放棄による武装闘争を支持する学生党員らの離反などによって、既成左翼である日共産党や日社会党とは異なる勢力が誕生し、新左翼と呼ばれるようになった。 このようにして生まれた日の新左翼は、1960年代の世界的なスチューデント・パワーの台頭の一部と

  • 西成暴動 - Wikipedia

    第24次暴動(2008年6月) 西成暴動(にしなりぼうどう)とは、大阪大阪市西成区のあいりん地区(通称釜ヶ崎)で日雇い労働者が起こした暴動の総称。釜ヶ崎暴動ともいう。 暴動の現場となっているあいりん地区は、東京の山谷などとともにドヤ街(寄せ場)として有名な地域である。 日雇い労働者の労働条件は決して良くはなく、手配師及びそれらを束ねる暴力団などにピンハネされるなど、積した感情が高まっており、暴動発生の温床となっていた。最初の暴動は1961年に発生している。その頃の暴動は、ある意味「自然発生的」な暴動事件であった。 そして1970年代に入ると、 日の新左翼が窮民革命論を掲げてドヤ街に乗り込み、日雇い労働者を煽動するようになった。第9次暴動から第21次暴動までの13件の暴動は70年代前半に集中している。その頃になると扇動者による計画的な暴動になってきている。 1973年6月の第21次暴動

    西成暴動 - Wikipedia
  • 深川通り魔殺人事件 - Wikipedia

    深川通り魔殺人事件(ふかがわとおりまさつじんじけん)とは、1981年(昭和56年)6月17日に東京都江東区森下二丁目(深川地域)の商店街路上で発生した通り魔殺人(無差別殺人)事件[4]。 覚醒剤を濫用していた元寿司店員の男が職に就けず、生活に行き詰まったことを「自分を解雇したり、採用を見送ったりする寿司店経営者たちのせいだ」と逆恨みし、商店街で通行人を無差別に襲撃[4]。包丁で路上を歩いていた通行人4人(主婦+幼子2人の母子3人を含む)を刺殺して主婦2人に重傷を負わせたほか、別の主婦1人(軽傷)を人質に取り、逮捕されるまで7時間にわたり近くの中華料理店に立てこもった[4]。 刑事裁判では、犯行時の被告人Kの精神状態(責任能力の有無・程度)が最大の争点となり、東京地裁は1982年(昭和57年)12月に「来なら死刑に処すべき犯行だが、犯行時は心神耗弱状態だった」として、被告人Kに無期懲役判決