座りションなんてオスとしてのキバを抜かれたようなものだと思っている。 立ちションは便器まわりを非常に汚す。気をつかってやっても汚す。半パンで立ちションするといかに自分にも跳ね返っているかが分かるだろう。 俺は座ってするようにした。尿の「ここは二手に別れよう」にも悩まされれず非常に快適だ。便器の外に飛ばさないように気を使わなくていいのがうれしい。 座れよ男!
![座りションは女々しい](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
「ドラゴン桜」が書かない本当の日本の底辺 : 人類応援ブログ 読みました。 学力の二極化はずいぶん前から言われてた問題で聞いたことがあったけど、上記リンクの記事中に「本当の底辺層は可視化されていない」という部分にはっとした。 でも良く考えると、底辺層の人からしても高学歴層の人の実態については見えていないんじゃないかと思う。 だって高学歴層の人たちの姿ってテレビなんかで取り上げられて見える化してるとはいっても、それはテレビの中の話であって日常生活の共通体験みたいなのが何一つとして存在しないから。 俺は生まれも育ちも田舎者なんですけど、そこに住むほとんどすべての人たちは教育環境に選択の余地がほとんどないと言っていい。 保育園や幼稚園を卒園すると、それぞれの校区の公立小学校に入学し、また既定の公立中学に進学する。 高校受験でやっと選択の余地が出てくるけど、ほとんどは地元の公立高校(5校くらい)か
ネットで誰もが発言できるようになった。僕もブログをやってて少し人気が出てきたからわけるけど、記事が多くの人に見られると100%批判や非難があるんだよね。もちろん色んな意見があるべきだけど、目立てば「目立ってるから」という理由で叩く人もいるし、記事を読まずにタイトルだけで批判する人もいるし、無造作に悪意をふりまいているようなのもいる。そういう感覚は、ネットをある程度やってる人からすればなんとなくわかると思う。 このエントリーでは、何かに批判する人を批判したいわけじゃない。何にでも批判できる自由は、心ない言葉を好んで投げつける輩がいるという事実を差し引いても、大切にするべき権利だろう。僕だってブログ内でけっこう批判的なことを言ったりする。 ネットで勢いよく叩かれることを「炎上」とか「燃えた」とか言うけど、昔の炎上はアクセスが集まりすぎてブログのサーバーが落ちるというDoS攻撃みたいな感じだった
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