ヴェルナツキーは1885年、サンクトペテルブルク大学を卒業。ロシアの最後の鉱物学者が1887年に死に、土壌学者ヴァシーリー・ドクチャエフや地質学者アレクセイ・パヴロフ(ロシア語版)が鉱物学を教えていたということもあり、ヴェルナツキーは鉱物学の道を歩むことを決心した。1888年6月20日、彼はスイスから妻ナターシャ宛てに次のような手紙を出している: …応えるべき疑問も持たず、計画もなく、単に事実を収集するだけでは面白くない。しかし、地球上では様々な場所、様々な時点で化学反応が起きている。個々の化学反応が何故起きたのかは判っているとしても、全体として地球が何らかの天の摂理によって変化しつつあると考えることもできる。私はそれを追求することで、化学元素の複雑性やそれらの発生の規則性を発見できるのではないかと考えている… 学位論文のテーマを決めようとしていたころ、彼は結晶学者のアルカンジェロ・スカッ
