大型連載の第40回は、日本人11人目の宇宙飛行士、大西卓哉氏(42)。2016年7月から113日間、国際宇宙ステーション(ISS)に長期滞在し、国内出身の飛行士では初めて米国補給船「シグナス」のキャプチャ(把持)などを行い、日本の有人宇宙活動に大きな足跡を残した新世代飛行士だ。異次元の空間に魅せられた男の礎は、その青春時代にあった。
2018年現在、増加の一途をたどるゲームの容量。もはや1本で30GBを超えるようなソフトも当たり前で、例えば昨年発売されたPCゲーム「シャドウ・オブ・ウォー」に至っては、97.7GBもあります。 これに対して、昔のファミコンソフトの容量は微々たるものでした。全世界で4024万本が売れたという「スーパーマリオブラザーズ」はたった“40KB”。現在の携帯電話で撮影した写真が当然のように数MBあることを考えると、驚きの低容量です。 たったの40KBで作られているスーパーマリオブラザーズ。ちなみにこの画像も約40KB RPGの「ドラゴンクエスト」ですら、初代の「1」はわずか64KB。「2」が128KB。「3」が256KB、ファミコンでのラスト作であり、5章からなる「4」ですら512KBにすぎなかったのです(※1)。 (※1…当時からのファンなら「ドラクエ3が2メガ、ドラクエ4が4メガ……」という風
日本のSF作家「小松左京」の公式サイトです。 (The official site of a SF writer of Japan "Sakyo Komatsu".) 1995年5月20日 毎日新聞掲載「大震災`95」より たった十秒間のできごと それは、「たった十秒間」のできごとだった。 --あの震源地明石海峡、マグニチュード7・2の「兵庫県南部地震」の激しい揺れは、そんな短い間だったのだろうか? 私自身は、実感的には、最初の激しい上下動から、引き続いて襲ってきた強烈な、みそすり運動型の横揺れが一応収まるまで、最低二十秒ぐらいは続いたように感じられたのだが……。震源地にもっと近い所に住んでいた友人は、「三十秒」は続いたと、直後に語った。 だが、地震計に記録された「主震」の持続時間は、「十秒間」を示しているのだ。 一月十七日の午前五時四十六分五十二秒までは、神戸市、そして阪神間は、西空に傾
コナミが所有していた「プレーヤキャラクタの姿や視界の範囲をこのゲーム空間を区切る壁や床の存在にかかわらずモニタ上に表示する特許」が失効し、ゲームファンから「3Dゲームのカメラ挙動が劇的に改善されるかも」と期待する声があがっています。この特許は1996年5月15日に出願され、今年の5月15日に、ちょうど20年の有効期間を終えています。 特許の正式名称は「ビデオゲーム装置及びビデオゲームプログラムを格納したコンピュータ可読媒体」。文献の詳細は、特許情報プラットフォームの「特許・実用新案番号照会」にて、「H08-120607」で検索すると読むことができます この設計はもともと3Dゲーム(特に三人称視点のもの)で、壁際でも快適にキャラクターを動かせるようにするためのものでした。3Dゲームではしばしば、キャラクターが壁を背にした場合、カメラとキャラクターの間に壁が割り込んでしまい、肝心のキャラクター
元NASAのフライトディレクター、ポール・ヒルは、NASAの管制センターは緊急時には静まりかえると語った。 Paul Sean Hill 元NASAのフライトディレクター、ポール・ヒル(Paul Hill)は、スペースシャトルや国際宇宙ステーション(ISS)のさまざまなミッションで、リスクの高い仕事を経験してきた。 ヒルは、管制センターでトラブルに直面した際に、冷静さを保つ方法を紹介してくれた。 データに集中すること、衝動を抑えること、「恐怖心」を一定のレベルに保つことなど、緊急時にとるべき方法について話を聞いた。 2001年、NASAの管制センターでフライトを指揮していた時に起こった重大なトラブルを振り返ると、ポール・ヒルは今でもこう思う。 「危なかった。全員を死なせるところだった」 だがその時、スペースシャトル「ディスカバリー号」が国際宇宙ステーション(ISS)へ向かった2001年3月
皆さん「日本郵船 氷川丸(以下、氷川丸)」をご存じでしょうか。横浜・山下公園から見えるあの大きい船。実物、あるいはテレビや雑誌などで一度は目にしたこと、聞いたことがあるでしょう。 横浜港の特設桟橋に係留保存されている氷川丸 氷川丸は1930年(昭和5年)に、横浜船渠(せんきょ)で竣工(しゅんこう)された日本郵船の貨客船です。横浜船渠は今の三菱重工業 横浜製作所に当たります。全長163.3メートル、総トン数1万1622トン、船速18.38ノットと、当時としては日本郵船 浅間丸型(1927年竣工、全長170.68メートル、総トン数1万6947トン、船速18ノット)に次ぐ大型客船として、日本の主要港と北米シアトルを結ぶ航路に就航しました。そして、太平洋戦争が始まる直前の1941年11月に海軍の病院船として従軍。触雷(機雷に触れてしまうこと)で3度も被害を受けたものの、沈没することなく生き残りまし
2011年3月11日、午後2時46分。三陸沖を震源とする大地震が日本を襲いました。死者約1万6000人、負傷者約6000人、行方不明者約2600人(2011年9月11日時点)に及ぶ大惨事に発展した。 こうした中、自衛隊は「10万人体制」を展開。約1万9000人を救助しました。救助された約2万8000人(2011年3月20日時点)の7割に相当します。これは、自衛隊が発災から72時間で3万人近い部隊を現地に集めたことが効を奏したから。その背後には、火箱さんが辞任を覚悟で決めた「即動」が大きな役割を果たしました。 火箱:当時、私は陸上自衛隊(以下、陸自)で幕僚長(以下、陸幕長)*を務めていました。救助部隊を少しでも早く現場に急行させるため各部隊に出動を命じました。災害に遭った人の生存確率が高いのは発生から72時間と言われています。危機的瞬間には手続きの万全さより迅速・実効性ある行動が勝ると思い、
ロンドン(CNNMoney) 英国の新興企業「オックスフォード・スペースシステムズ」(OSS)が、人工衛星などを軌道投入するのに必要なスペースを減らすべく新たな方法を考案した。着想源になったのは折り紙の繊細な技術だ。 OSSは2013年、マイク・ロートン氏が立ち上げた。ロートン氏は「スター・ウォーズ」や「スター・トレック」といったSFシリーズを見て育った「宇宙おたく」を自認している。 OSSは人工衛星向けに展開式のアンテナなどを設計・製造しており、独自技術によって、従来の宇宙技術で使われてきたものよりも軽く、場所を取らないという。 次なる一歩は打ち上げコストを減らすため、可能な限り小さなスペースに構造物を収納する方途を見つけることだ。 OSSはそこで古来の折り紙の技術に着想を求めた。 ロートン氏は「折り紙は数学に基づく部分が非常に多い。宇宙では予測可能性や、物体の振る舞いについての分析が好
現在の国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所はこれまでに、組織や構成員・所掌課題をScrap & Buildしながら、飛行機→ロケット→高層大気観測→天文衛星→惑星探査へといつも新たな領域へ挑戦してきました。今後目指すべき中心的課題は、「宇宙の始まりと銀河から惑星に至る構造形成の解明」と「太陽系と生命の起源の解明」です。地球大気に遮蔽・埋没されてしまう波長域:γ線・X線・紫外線、赤外線・マイクロ波を宇宙から直接的に観測し、地上望遠鏡と連携して137億年の宇宙の歴史に迫ります。太陽系宇宙を構成する多数の天体に直接的に探査機を送り込み、その場観測やサンプルリターンといった手法を駆使して、46億年の太陽系宇宙の進化を探求します。これら課題を解決するために「宇宙機及び宇宙輸送システムに関わる宇宙工学技術の革新」を目指します。 大規模で精巧な宇宙事業を実行するに当たり、大学共同利用システ
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