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学校に関するJack_all_rightのブックマーク (2)

  • 『社会性』は天から降ってきはしない - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)

    内田先生の所で、教育再生会議一次報告案についてのエントリとコメントを読む。 内田先生は、再生会議の報告案の根底にあるのが〈グローバリズム〉の亡霊であろうと指摘しておられる。これに対してDr.Waterman氏がコメントしているのがなかなか面白かった。 Waterman氏は、内田先生の「教育には独自のルールあるべし」という論を批判し、「教育の場に学校の外の「世間のルール」を導入することは必ずしも悪くはない」とされる。その論拠となっているのは 大学の自治とか、世間と離反した教育の世界が存在意義を持っていた時代や状況があることは認めるが、教育の最大の意義は子ども達が社会性を獲得して生き抜く下地を与えることにあると思う。 という点である。現在はそういう時代でも状況でもない、だから「社会性を獲得して生き抜く下地を与える」ために「世間のルール」を導入することも「悪くはない」だろう、ということだ。 言い

    『社会性』は天から降ってきはしない - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)
  • 独学に勝る勉強はない(1): たけくまメモ

    ※追記:最初にアップしてから少し書き足してあります。 今回書こうと考えているのは、「学校の勉強」についてです。俺は、自分が高卒だから言うのではないですが、「学校の勉強」というのは、当は小学校の六年間で充分ではないかと考えてます。俺自身、胸に手を当ててみても、47年間の人生当に役に立った、と思えるのは小学校で習った「読み書きソロバン(算数)」だけで、これには感謝しています。 でも中学以降の勉強となると、因数分解なんてすっかりやり方を忘れてますし、英語も中二レベルくらいからだいぶあやしい。それ以外の学科の内容もほとんど忘れちゃってる。高校の授業も同様です。中学高校の勉強も、大学以降に気で学問しようと考えたら絶対必要なんだと思いますけど、すべての人間が学者になるわけではない。俺ばかりでなく、ほとんどの人には「受験勉強」以外の意味はあんまりないのではないでしょうか。 でも学校をさぼった記憶

    Jack_all_right
    Jack_all_right 2007/11/28
    つまり才能を運がつかまえてくれるまで、努力を続ける必要がある。そしてその持続には楽天性が必要だと。なるほど。ただ、では独学に勝る勉強はないというのをこの日記で掴むことが出来なかったかも。視点が違うか。
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