建築と歴史に関するJuliusCaesarのブックマーク (5)

  • 東京新聞:九段会館取り壊しへ 歴史見つめた80年に幕:社会(TOKYO Web)

    東日大震災による天井崩落事故で多数の死傷者を出し、閉館した東京都千代田区の九段会館が取り壊されることになった。一九三四年に軍人会館として建設され、三六年の二・二六事件では戒厳司令部が置かれた歴史を持つ会館だった。老朽化もあって震災後の営業再開はできず、「帝冠様式」と呼ばれる特徴ある建物が姿を消す。取り壊し後は、民間資による新たなビル建築が予定されている。 (新開浩) 会館は鉄筋コンクリートづくり地上四階、地下一階。「帝冠様式」の外観は、洋館ながら日の城のような屋根が特徴だった。戦後は一時、連合国軍総司令部(GHQ)に接収された。土地と建物が国に返還された後、五三年から日遺族会に無償で貸し出され、同会がホテルや事務所を運営してきた。 震災が発生した二〇一一年三月十一日、専門学校の卒業式の最中に天井が崩落。女性講師二人が死亡し、約三十人が重軽傷を負った。日遺族会は翌四月、ホテルの営業

    JuliusCaesar
    JuliusCaesar 2014/05/25
    やはり帝都の真ん中で実用に耐えない建築が生き残るのは不可能なのだろう。
  • 取り壊し寸前・社会文化会館を訪問してきた - Valdegamas侯日録

    はじめに 以前、毎日新聞日曜版で連載され、単行化された興味深い日政治ものの企画として『権力の館を歩く』がある。近代以降、特に戦後の日政治権力のありか…官庁、有力政治家の私邸、政党部などを、現地取材と御厨貴先生の洒脱な文章でつづったものだ。ただの平板な名所旧跡訪問というわけではなく、間取りや外装といった、建物の構造に込められた意図や、政治の「距離感覚」がわかる、という点で、非常におもしろく、興味の尽きないとなっている。 権力の館を歩く 作者: 御厨貴出版社/メーカー: 毎日新聞社発売日: 2010/07/31メディア: 単行購入: 7人 クリック: 203回この商品を含むブログ (26件) を見る さて、同企画で扱われた建物の一つに、東京は三宅坂の社会文化会館がある。現在は社会民主党の党部(全国連合)が入る地上7階地下1階のこの施設は、日社会党が1964年に完成させた、彼ら

    取り壊し寸前・社会文化会館を訪問してきた - Valdegamas侯日録
    JuliusCaesar
    JuliusCaesar 2013/01/07
    政治の場だったという歴史はあっても保存するほどの価値はないか。
  • <大名古屋ビルヂング>「ヂ」の文字、半世紀…30日に閉館 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    名古屋駅前のランドマークとして半世紀の歴史を歩んだ「大名古屋ビルヂング」(名古屋市中村区)が、老朽化のため30日に閉館する。高度経済成長とともに時を刻み、時代がかった名称を掲げた屋上の看板は多くの市民や観光客に親しまれてきた。15年秋に高層ビルに生まれ変わる予定だが、市民らから「名称を残してほしい」との声が寄せられている。 【ビル壁面に感謝のメッセージ】大名古屋ビルヂング:50年の歴史に「THANKS」 ◇市民ら惜しむ声 ビルは三菱地所の所有で、1960年に着工、62年から65年にかけて順次開館した。59年9月の伊勢湾台風で被災した東海地方を視察した三菱地所の渡辺武次郎社長が「名古屋のためにやるべきことがあるとすれば、これだという感にうたれた」と決意したという。高さ41メートル、地上12階の建物は当時は中部最大で、1階の大理石の内装など高級感も話題になった。 水野隆夫さん(70)=

    JuliusCaesar
    JuliusCaesar 2012/09/30
    大名古屋ビルヂングが開館した1962年に名古屋市は周辺町村と合併している。「大名古屋」にはその思い出もあるのだろう。
  • 幕末に建設された文明開化の音がする「横浜旧根岸競馬場」廃墟 : カラパイア

    かつて神奈川県横浜市((現在の中区根岸台))に存在した根岸競馬場は、幕末の1866年、横浜の外国人居留地における娯楽施設として建設され、翌年から競馬に使用された、まさに文明開化の象徴とも言うべき建物だった。 1888年より馬券の発売が行なわれ、1905年より明治天皇から御賞典が下賜されエンペラーズカップ(のちの帝室御賞典、現在の天皇賞)が始まった場所でもあるのだが、第二次世界大戦の激化に伴い、横浜競馬の開催は1942年限りで休止された。

    幕末に建設された文明開化の音がする「横浜旧根岸競馬場」廃墟 : カラパイア
    JuliusCaesar
    JuliusCaesar 2012/05/23
    廃墟をどう「保存」するかというのは難しい。何もしなければいつか崩壊するが、手を加えすぎても味わいがなくなる。
  • 戦前の建築が残り、戦後の建築が消えていく、という不条理:日経ビジネスオンライン

    文中のイラスト(一部除く)はクリックすると拡大表示されます。 「昭和モダン建築巡礼」というコラム名を見て、「戦前の洋館を訪ね歩く話かな?」と思った人がいるかもしれない。残念ながらそれはちょっと違う。いや、むしろそれとは正反対かもしれない。ここで「昭和モダン建築」と呼んでいるのは、戦後につくられたモダニズム建築のこと。レンガ積みのノスタルジックな建物ではなくて、コンクリート打ち放しだったり、総ガラス張りだったり、金属板で覆われていたりするような建物のことである。 そんなの興味ないと言わず、せめて今回だけでも読んでみてほしい。実は近年、戦後のモダニズム建築、特に高度経済成長期につくられたものが猛烈な勢いで取り壊されているのである。“モダニズム建築危機の時代”なのだ。 例えば、建築家・磯崎新の出世作である「大分県医師会館」は1999年に解体。村野藤吾設計の「名古屋都ホテル」は2000年に閉館

    戦前の建築が残り、戦後の建築が消えていく、という不条理:日経ビジネスオンライン
    JuliusCaesar
    JuliusCaesar 2008/08/28
    ここでは昭和レトロブームは起こっていないのか。
  • 1