やよいと寓話の親和性。 同じことが、やよいにも言える。寓話を通してこそ描かれてきたやよいの多さ。それは、寓話というフィルターを通さなければ、まともに向き合って表現することすら難しいものを、やよいが抱えているであろうことの裏返しだ。 そうして、やよいならではの寓話作品が生まれ続ける。それ自体は素晴らしいこととして、ではしかし、その寓話性をはぎ取った時、やよいを表現できるのだろうか、そういうやよいとどうすれば向き合えるのだろうか、という問いは、やよいを巡って存在し続けるのだろうし、私にも答えはわからない。 【ノベマス】ガラスの靴【短編】 (12/2/1) この動画自体を今の話の中のどこに位置づけられる、というようなことはあまり考えていないけれど、今書いておくかと思ったのは、この動画を、というよりこの動画についたコメントを見ていたのがきっかけである。 関連記事 巷で噂の合作 (2012/04/2