はじめに 日本オリジナルの #鬼門 の考え方。平安京創都のころはまだそのような考え方はなく、東西南北に広がる都を #四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)と四角の #都市斎場 で守るという考え方でした #慈覚大師円仁 #猿田彦 #神猿 目次 王城守護・鬼門のコンセプト 四角を守る都市斎場 猿田彦神と神猿(まさる) 本文 王城守護・鬼門のコンセプト 北東(丑虎)の方向が 鬼門 というのは、日本オリジナルのコンセプトで、平安京に都が遷って、しばらくしてからの話。 都の東北、天台宗の比叡山延暦寺が、その存在価値を高めるために、天文方位学の中に、王城守護の鬼門の考え方を導いたのが始まりです。 恐山を開いたり、遠野七観音を置いたりした、稀代のアイデアマン、慈覚大師・円仁(第三代座主、794~864)が始めたものと考えています。(昨秋の東北行きは、慈覚大師の足取りを追うのも目的のひとつでした。) アラハバキ解
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