2020年9月30日をもってオタクの電脳ブログはサービス終了いたしました。 長らくの御愛好誠にありがとうございました。
アニメ作品の中には明らかに「女の子向け」「男の子向け」のものがあって、それは社会が性別で子どもたちの世界を引き裂いていくひとつの仕掛けになっている――中野円佳さんが自身の「セーラームーンを観なかった」ことによる記憶を振り返りながら考えます。 前回のコラム「アニメの中の大人は『女性=ママ』」で、アニメで描かれる大人の男女に対する子どもの反応を書きました。私自身の子ども時代は、いわゆるセーラームーン世代。ところが実は私は幼少時、女の子たちの間で大流行していたセーラームーンを見せてもらえませんでした。このことがその後の私を大きく方向づける出来事になったと感じています。 私は、親から「女の子らしくしなさい」というようなことを言われたことがありません。小さいころの写真を見ると「スカートのときは足を開かない」という最低限のお行儀すらできておらず、一応スカートを履いていることはあってもまったく女の子らし
子ども向けのアニメで指摘されるジェンダーバイアスの問題。女の子や女性の描かれ方に違和感を覚えたことがある方もいるのでは? 子どもと一緒に人気番組を見て考えたことを中野円佳さんが3回に渡って綴ります。 子どもが見るアニメやテレビ番組を見ていて、女の子や女性の描かれ方に違和感を覚えることが多々あります。数回にわたって書いてみたいと思いますが、今回は大人の男女の登場の仕方です。 気になりだしたのは我が子が3歳のとき。当時のお気に入りはドラえもんでした。妹が産まれてから、夫と息子、私と娘というセットで出かけることが多くなっていました。そのことを息子は「おとこのこチーム、おんなのこチーム」と呼んでおり、ある日久しぶりに私と彼の2人で出かけたときに「きょうはおとこのこチーム、おんなのこチームじゃないね!」と言うので、「別にいいじゃん、どんな組み合わせでも」と返すと、こんな会話になりました。 子「そうだ
鹿児島県志布志市は、この度、ふるさと納税返礼品のうなぎをPRするために動画を制作し、2016年9月21日(水)よりYou Tubeにて動画を公開しております。 あまり知られていませんが、鹿児島県はうなぎ生産量日本一を誇ります。その鹿児島県でナンバーワンの産地が大隅半島の最東部に位置する志布志市です。志布志市の地下水はミネラル分も多く、なんと言っても水量も豊富であるため、うなぎの養殖には非常に適しています。 昨年度の志布志市ふるさと納税額は、7.4億円で全国41位、県内3位でしたが、今年度は、目標を20億円とし、すでに5.7憶円(4-7月実績)と現状、県内トップで推移しています。また、志布志市のふるさと納税返礼品のなかでうなぎが占める割合は約75%と圧倒的な人気を誇っています。 この動画では、うなぎを擬人化し、志布志でうなぎが大切に育てられている様子を描いています。 物語は、真夏のプ
地の上にはこれと並ぶものなく、これは恐れのない者に造られた ――ヨブ記41.33 近代国家を聖書に出てくる大怪獣リヴァイアサンに喩えたのはホッブズであった。ホッブズによれば、人間の自然状態は万人の万人に対する闘争であり、そこに安息は無い。従って人間たちは自らの権利を国家へと委譲する契約を結び、国家の保護を得る。保護と服従の関係が、国家と国民の関係を規定する。国家はその領域において唯一の主権的共同体である。 カール・シュミットは、『政治的なものの概念』において、国際社会を複数のリヴァイアサンが競合する多元的な空間として考えている。国際間においては、国家の国民に対する保護は、他の国家からの保護でもある。むしろ国民は他の国民に対抗するために国家をつくる。国民の結集は、「政治的なもの」によって行われる。つまり、友と敵の存在論的な区別によって行われる。国家の主権者は、政治の概念に即して、国家の敵を正
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのバリー・ブザン名誉教授が、ノッティンガム大学China Policy Instituteのブログに、中国のソフトパワーと統治システムの本質的な矛盾を指摘する論評を寄稿しています。要旨は、次の通りです。 中国の3つの弱点 中国は、ソフトパワーの面で遅れをとっており、それが自身の弱点だということを知っている。国際的な地位の向上、西側との競争、自らの文化と「中国の特色」の防衛に、ソフトパワーを高める必要性を正しく認識している。しかし、ソフトパワーが、主に市民社会から生まれることを理解していない。ソフトパワーについて政府にやれることは、経済面はいざしらず、文化面ではほとんどない。政府が主導すれば、却ってソフトパワーの有効性を損なう。人々はそれをプロパガンダだと捉え、時には拒絶すらする。 中国の問題は三つある。一つは、中国政府は海外で良いイメージを持たれていな
昨年9月、国会で成立した安保法制が来月末、施行される。戦後日本の安全保障政策の転換点となる2016年。日本人は、戦争をどうとらえているのか。これからどうなるのか。 上坂すみれさん(声優・歌手) ゆる~い地盤に乗る平和 旧ソ連が崩壊した年に生まれたからというわけではないんですが、私、旧ソ連が大好きなんです。共産国家は、絶対に実現しない幻みたいなもの。非現実への憧れというか、もしも、ああだったら、と勝手に想像する面白さっていうか。この20年、私の中で共産主義は共産趣味になったんだと思います。 世界では紛争が絶えないけど、日本で戦争というと70年以上も前のことで、想像の対象というか、全く違う時空間で起きた出来事のように感じます。 そんな日本が生んだのが、私も出演している「ガールズ&パンツァー」(ガルパン)=図右=といったミリタリーもののアニメです。ガルパンは華道、茶道と並ぶ女子のたしなみ「戦車道
東京都内の日本記者クラブで会見する国連(UN)の「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」に関する特別報告者、マオド・ド・ブーアブキッキオ氏(2015年10月26日撮影)。(c)AFP/KAZUHIRO NOGI 【10月26日 AFP】(一部訂正)国連(UN)の「子どもの売買、児童売春、児童ポルノ」に関する特別報告者、マオド・ド・ブーアブキッキオ(Maud de Boer-Buquicchio)氏は26日、日本に対し、子どもを「極端」に性的に描いた漫画を禁止するよう呼び掛けた。 先進7か国(G7)の中で唯一児童ポルノ所持を禁止していなかった日本では、昨年ようやく子どものわいせつ写真や画像の「単純所持」禁止を盛り込んだ改正児童ポルノ禁止法が可決され、今年7月に施行された。しかし、新法施行後も性的に挑発的なポーズをとった子どもを実写した書籍やビデオはいまだ広く出回っている上、漫画の児童ポルノ描写
TwitterにこんなRTがあった。 ブレンディのCM。もしもこれが冗談で、日本社会のパロディだとしても、風刺効き過ぎで見ていて辛いレベル。番号で呼ばれる鼻輪を付けた子どもたち、女子校生が乳牛になるのを喜んでるとか...ホラー。電通ですか? https://t.co/KaU8DHAKdk— Midori Fujisawa共訳『候補者ジェレミー・コービン』岩波書店 (@midoriSW19) 2015年10月1日 RTのCMマジでヤバい 「高校の卒業式で名前も無く番号で呼ばれる生徒たちが卒業証書と共に就職先を告げられる。 食肉加工場だと告げられ泣き叫ぶ男子生徒。 胸が大きい事を強調して映される女子生徒はブレンディ行きが決まり校長に「濃いミルクを出し続けるんだよ」と言われる— chloeyuki (@chloeyuki) 2015年10月1日 スポンサーリンク 問題の動画はこちら ブレンディ牛
前世紀末から2000年代には、成人向けの美少女ゲーム、エロゲーがオタク文化の最前線となり、この領域でいわゆる「萌え」表現の様式が大いに発展、整備され、あらゆるオタクジャンルに波及していったのであった。今日ではあらゆるオタクジャンルが「エロゲ化」した結果、エロゲー自体はその役割を終えて、衰退したのだと言ってもよいかも知れない。 古参のオタクなどには、ポルノ中心主義とも言える今日のオタクカルチャーに違和感を表明する向きも見られる。そこには、ほんらい「お色気」的な要素は、客寄せのサービスで、表現作品の本質たりえないはずだという意識もあるように思われる。あるいは、売れないクリエイターが、ポルノで糊口をしのぐというような古典的なポルノのイメージというか。 しかし結論から言えば、広義のポルノこそオタク文化の主題である。ポルノ的欲求は、人間の最も私的な領域に属する事柄であるから、ポルノ表現を前面に押し出
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ジェンダーと「自由」―理論、リベラリズム、クィア 作者: 三浦玲一,早坂静出版社/メーカー: 彩流社発売日: 2013/03メディア: 単行本 クリック: 20回この商品を含むブログ (6件) を見るやや長いが引用する。 レディ・ガガの「ボーン・ディス・ウェイ」は、ポップ・カルチャーにおける「クィア的な態度のこのような主流化傾向が行き着いたひとつの頂点とも言える。大仰な劇場性と奇抜な官能性とが人目をひくPVに反して、この曲の歌詞は、既存の社会秩序への批判でも攻撃でもなく、むしろ応援歌と形容する以外にないような、「健全」でポジティブでしかしパーソナルなメッセージを伝える―「後悔のかげに隠れないで/自分を愛せばそれで大丈夫/あたしはちゃんと正しい方向にむかってる/こういう風に生まれついたんだもの」。ガガのメッセージがクィア・アクティビズムの戦闘的な社会批判やポスト構造主義的なクィア理論のアイデ
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