日本と哲学 「日本に哲学なし」と言われる。哲学研究者は無数にいるが、哲学者はいない、有名な哲学者についての研究は行なわれているが、自ら思索することが行なわれない、というのである。これは残念なことに(例外はあろうが)真実である。哲学者たちは世界というテクストを解釈してきたが、ほとんどの日本人はその哲学者たちのテクストを解釈しているだけである。 哲学者研究の正当性 確かに、ある哲学者のあるテクストや他のテクスト(同じ哲学者の別の時期の、あいるは、同じ時代の別の哲学者の、等々)との連関を解釈する釈義的な研究は、それ自身まったく正当であるし、そのような哲学者研究に没頭している人間がいてもいい。あるテクストについて、新しい解釈を示して、従来の解釈を修正したり批判したり補ったりすることには、一定のオリジナリティーがある。 だが、もちろん、文献解釈に没頭するにしても、哲学をやる以上、少な
時間がない人のための要約 ◯どうするか?→下記のようなレビュー・マトリクスにまとめる (クリックで拡大) (出典:『看護研究のための文献レビュー: マトリックス方式』p.95) ◯何を与えてくれるか?(ご利益) 集められた論文に散在する情報を秩序だてて整理し比較対照を容易にする 集められた論文の共通点やトレンド、手薄な点などを浮かび上がらせる ◯どうやってつくるのか?(手順) (1)文献を集めて年代順に並べる (2)レビュー・マトリクスへ抽出するトピックを決める (3)文献から情報を摘出してレビュー・マトリクスを埋めていく 文献を集めることの重要性は別に取り上げたことがある。 結論から言えば、参考文献リストは長いほどいい/文献収集が論文執筆にもたらす4つのご利益 読書猿Classic: between / beyond readers しかし数多くの文献を手元に集めたとして、それが机周りの
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