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ブックマーク / www.en-soph.org (6)

  • ジャン=フランソワ・ミレー断想 : En-Soph

    会期が終了してからだいぶ月日が経っているにも関わらず、なぜか頭の片隅に残っていて折りに触れては思い出されてくる展覧会というものがある。ひとむかし前、と言えるくらい程良く時間が経過した展覧会ならば、「1970年の『人間と物質』展は伝説的展覧会だ」「1992年の『アノーマリー』の熱気は凄かった」などともっともらしい歴史的価値を授けて語りやすいのだが、中途半端な近過去の展覧会は「歴史」として定位するには日が浅すぎるために、話題としてどうしても蒸し返しにくいところがある。機を逸したアートレビューなど誰も必要としないし、積極的な存在意義もないのかもしれない。だが私はあえてここで、通常のアートレビューに求められるようなアクチュアリティーだとか即時的な価値判断といったものから距離を置き、中途半端な近過去の展覧会や記憶の底に沈殿する美術作品をめぐる雑感の掘り起こしを試みてみたい。美術作品をめぐる思考は

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  • En-Soph

    【エン-ソフ】は、言論と、様々なオピニオンのためのウェブ・スペースです。「不均質な人的集合による、不均質な集合知の場」を目指して、2012年4月から活動を開始しています。≫詳細 前回は杉真維子の第二詩集『袖口の動物』(思潮社、2007)より「他人の手鏡」を集中的に読んだ。阿部嘉昭の「味読」に倣い、一行一行に注意を払いながら過剰な作品分析を試みたつもりだ。しかし最終的に、状況説明のように文脈を補いながら詩作品を読む手法の限界に直面することになった。物的証拠もしくは状況証拠を揃えて類推を働かせ、暗喩の作用を探り、音韻を確認しながら詩作品の「謎」を探る。詩作品の背後に隠れた意味が存在することを前提として、深遠な何かを言い当てようとする。詩を読む動機としてはそれで十分だろうし、痕跡としての「書かれた言葉」から恣意的な解釈を繰り広げる以外に読解の初手はない。だが、まず肝に銘じておくべきは、詩作品の

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  • 在野研究のススメvol.18 : 高群逸枝 : En-Soph

    (↑高群逸枝『愛と孤独』、理論社、1958)。 高群逸枝(1894‐1964)。女性史学者。雑誌『婦人戦線』を主宰した。詩人、フェミニズム&アナーキズム系評論家の活動を経て、婚姻史を中心に、日母系制社会の解明から女性の歴史をたどる女性史学を創始する。主著は『母系制の研究』(厚生閣、1938)、『招婿婚の研究』(講談社、1953)。その他多数。

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  • 在野研究のススメvol.11 : 三浦つとむ : En-Soph

    三浦つとむ(1911-1989)。哲学者・言語学者。人は「科学者」の呼称を好んだ。名は三浦二郎。マルクス・エンゲルスを独学で研究し、弁証法への理解を深める。戦後、スターリンの言語学を批判した時枝誠記を支持し、時枝言語学を批判的に継承する。主著に『哲学入門』(真善美社、1948)、『弁証法はどういう科学か』(講談社、1955)、『日語はどういう言語か』(講談社、1956)、『認識と言語の理論』(勁草書房、1967-1972)。その他多数。

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  • 在野研究のススメvol.03 : エリック・ホッファー : En-Soph

    エリック・ホッファー Eric Hoffer(1902‐1983)。アメリカの社会哲学者。正規の学校教育を一切受けないまま18歳で天涯孤独の身になり、様々な職を転々としたのち、40歳近くから著作活動に入る。〈沖仲士の哲学者〉として知られる。著書に『大衆運動』(The True Believer, 1950)、『現代という時代の気質』(The Temper of Our Time, 1967)、『波止場日記』(Woring and Thinking on the Waterfront, 1968)。その他多数。

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  • 在野研究のススメvol.00 : 大学の外でガクモンする? : En-Soph

    【エン-ソフ】は、言論と、様々なオピニオンのためのウェブ・スペースです。「不均質な人的集合による、不均質な集合知の場」を目指して、2012年4月から活動を開始しています。≫詳細 ポスドク、アカハラ、ワープア、ネオリベ…。既にステレオタイプ化してしまった諸々の前提を確認する必要はもうないだろう。一言、大学は現在危機的だ、といえばいい。そして、もし、二の句として次ぐべきことがあるとしたら、「廃墟と化した大学を嘆くことではなく、廃墟のあとに、いかなる未来図を描くのか」、これで十分だ(藤田尚志「条件付きの大学――フランスにおける哲学と大学」、西山雄二編『哲学と大学』收、未来社、2009)。嘆き悲しみ、他人のせいにするのはもうコリゴリだ。今から始めようとする私の拙い書き物は、この未来図のためのささやかな測量データを提供することを目指している。 未来を構想するためには、過去から学ぶ必要がある。或いは、

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