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文学とbookに関するKochelのブックマーク (35)

  • Ciel Bleu : 「ダーシェンカ」「チャペックの犬と猫のお話」「園芸家12ヶ月」カレル・チャペック

  • Ciel Bleu : 「チェコスロヴァキアめぐり」カレル・チャペック

  • 「ハンガリー民話集」オルトゥタイ - Ciel Bleu

  • 「百年の孤独」G・ガルシア=マルケス - Ciel Bleu

    [amazon] アウレリャーノ・ブエンディーア大佐が子供の頃のマコンドは、澄んだ川が勢い良く落ちていく川のほとりに、葦と泥づくりの家が20軒ほど建っているだけの小さな村。毎年3月になるとぼろをぶら下げたジプシーの一家がやってきて、アウレリャーノの父のホセ・アルカディオ・ブエンディーアが母・ウルスラの反対を押し切って、なけなしの金で不思議な道具を買い込むのが常。当初は若き族長として村の発展のために尽くしたホセ・アルカディオ・ブエンディーアは、いつしか家の仕事も子供の世話もせず、ジプシーのメルキアデスに贈られた錬金術の工房に篭りきりの生活を送るようになっていたのです... 読もう読もうと思いつつ、ラテンアメリカ文学にはちょっと苦手意識があってなかなか手に取るところまではいかなかったんですが、ようやく読めました。いや、これを読んでもやっぱりラテンアメリカにはまだまだ慣れないなあという感じなのだ

  • アフター・カーニバル: 第一阿房列車(内田百閒)

    (この記事は2004年11月3日に書かれました) 毎度毎度、百閒先生の調子には唖然とする。「ちょっと私用で」と言って出かける人は多いが、「ちょっと無用で」と言って出かける者は百閒先生くらいである。 「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」とくる。「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない」という理屈らしい。しかもその無用の旅に際してはこだわるべき趣旨がある。 1、「一等でなければ乗らないときめた」。決めたって金がなきゃどうしようもないものだが、そういうことは先生強情で「なくてもなんとか乗る」が基である。ただ帰りは「帰る」という「用事」が出来るので一等でなくてもいい。 2、大阪に着いてみたところで用事はないからそのまま外にも出ずに帰ってくる。見物も「用事」になるらしい。この「何にも得るところのない」アホらしさが「阿房列車」である。一体なんのための旅な

    Kochel
    Kochel 2008/12/25
    改めて、正字正かなで讀みたい。
  • Amazon.co.jp: 巴里幻想譯詩集: 日夏耿之介: 本

    Amazon.co.jp: 巴里幻想譯詩集: 日夏耿之介: 本
  • 文庫で読もう、日本文学:日経ビジネスオンライン

    先鋭な短歌、ちょっとひねくれたエッセイなどで、70年代の読者をサブカルチャー的に牽引した寺山。『血と麦』という短歌集などを夢中で耽読したものだった。 きみのいる刑務所とわがアパートを地中でつなぐ古きガス菅 悲しみは一つの果実てのひらの上に熟れつつ手わたしもせず 寺山は競馬を書いて抜群だった。『誰か故郷を想わざる』というエッセイ集の中の一編『競馬』は秀逸だ。走り続けなくては鳴らない哀しい宿命の星の下に生まれたサラブレッドの生涯を、競馬場のダフ屋、おかま、などが登場して追っていく。華奢な脚を怪我したら、たちまち、肉として売られていくサラブレッドたち。 キタノオーザは菊花賞に勝った花形だった。ひたいに白い流れ星があり、鹿毛で見事な美丈夫、左の股下にHの烙印がある。Hとは北海道日高に生まれ育ったしるし。いわば「栄光のマーク」を持った馬だ。 ところが、一向に出走の機会もなく年老いていった。厩舎では

    文庫で読もう、日本文学:日経ビジネスオンライン
    Kochel
    Kochel 2008/12/23
    寺山修司には余り関心を払うことがなかったけれども、このお話は讀んでみたいな。
  • 「夜のガスパール レンブラント、カロー風の幻想曲」アロイジウス・ベルトラン - Ciel Bleu

    [amazon] ある日ディジョンの火縄銃(アルクビューズ)公園のベンチに座っていた「私(ベルトラン)」は、貧困と苦悩を全身に纏ったような哀れな男に出会います。同じベンチに座って読書をしていたその男のからひとひらの押し花が地面に落ち、「私」がそれを拾い上げて男に返したことがきっかけで、話し始めた2人。芸術を探し求め、そして見つけたという彼は、「私」にそのことを語り聞かせ、持っていたを読むように渡して去っていきます。それは「夜のガスパール。レンブラント、カロー風の幻想曲」というでした。 夭折した詩人・ベルトランの散文詩集。没後忘れられていたこの作品集はボードレールによって見出され、マラルメをはじめ多くの詩人に影響を与えることになったのだそう。ラヴェルのピアノ曲「夜のガスパール」も、ここからなんですよね。ラベルのこの「夜のガスパール」は「オンディーヌ」「絞首台(ジベ)」「スカルボ」の3曲

    Kochel
    Kochel 2008/12/22
    讀んでみたい。ラヴェルのほうは、少し古い録音だけどギーゼキングがとても良いと云うので私はそちらを聴いてみたい。
  • 俳句を遡る - 僕が線を引いて読んだ所

    僕たちが俳句を読んだり、作ったり、生徒に教えようとしたりするときに生まれる疑問には、様々なものがあります。 ・俳句にはなぜ「季語」が必要なのか? ・「切れ字」とは何か? ・俳句は「文語」で書くべきか、「口語」で書くべきか? ・俳句は「歴史的仮名遣い」で書くべきか、「現代仮名遣い」で書くべきか? ・俳句における「挨拶」とは何か? などなど… 俳句のはじまる場所 実力俳人への道 (角川選書) 作者: 小澤實出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版発売日: 2007/07/28メディア: 単行 クリック: 1回この商品を含むブログ (3件) を見る『俳句のはじまる場所』は、これらの疑問に対して納得のできる答えを導き出すため、俳句をその「源流」まで(すなわち「俳句のはじまる場所」まで)遡り、具体的な作品に即しながら、丁寧な考察を積み重ねて行きます。歴史を学ぶことによってはじめて現在を正

    俳句を遡る - 僕が線を引いて読んだ所
  • 内容が難しいけどおもしろい小説:アルファルファモザイク

    編集元:ニュース速報板より「内容が難しいけどおもしろい小説」 1 留学生(東京都) :2007/11/10(土) 19:50:16 ID:ANZs8a240 ?PLT(35072) ポイント特典 “不読”の名作が完売御礼!? 不朽の名作といわれながら、難解すぎて“読まれない作品”の代表格とされるフランス人作家、マルセル・プルーストの長編小説『失われた時を求めて』。そのコミック版(白夜書房)が11月20日に発売されるが、初版はすでに予約分だけで完売状態。大胆に要約された文章としゃれたイラスト…。古典新訳ブームに続き、翻訳コミックも古典の新しい読まれ方となるか?(舛田奈津子) 「この作品は“言葉の怪物”。原典を読むのは地図なしで深い森に迷いこむようなもの」。コミック版の日語訳を手がけた学習院大学フランス語圏文化学科の中条省平教授はこう解説する。 1913年に刊行された同作の特徴は、7編

  • ハイカラな小説、教えてください! | 生活・身近な話題 | 発言小町

    こんにちは。 最近になって菊池寛の「無憂華夫人」を読み、すっかりその世界観にはまってしまいました。彼の作品は読みやすく、魅力的な登場人物が多く、お気に入りの作家になりました。 明治・大正・昭和初期の大衆文学で、みなさまのオススメ小説はありますか? できれば、侯爵や伯爵などが登場する絢爛豪華なものや、銀座など当時の町並みが出てくるもの、当時のべ物が描かれているもの、などを読んでみたいと思っています。

    ハイカラな小説、教えてください! | 生活・身近な話題 | 発言小町
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  • 活字中毒R。

    「週刊SPA!2007.2/6号」(扶桑社)の「文壇アウトローズの世相放談・坪内祐三&福田和也『これでいいのだ!』」第226回より。 【坪内祐三:著作権ってさ、文芸・音楽・美術は作者が死んだあと50年間有効でしょ。それを今、日文芸家協会が、三田誠広('77年に芥川賞を受賞した小説家)を中心に70年間に延長しようと運動してて、反対派とモメたりしてるんだよ。 福田和也:勇気あるよね〜。自分の作品が死後に残ると思ってるんだね。 坪内:思ってるんだね。 福田:三田さん、今、著作権を放棄してもなんの実害もないでしょ。 坪内:それがさ、著作権の保護期間を70年間に延ばすべきだって人たちの主張が、スゴイ奇妙な論理なんだよ。それこそ、金井恵美子も『一冊の』で批判してたけど。なんかさ、「若くして著者が死んだときに、残された子の生活が……」って言うわけ。だけど、親が死んだときに子供が0歳だったとしても、

  • Amazon.co.jp: 寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫 Aム 1-1): ローベルトムージル (著), Musil,Robert (原名), 静也,丘沢 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: 寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫 Aム 1-1): ローベルトムージル (著), Musil,Robert (原名), 静也,丘沢 (翻訳): 本
  • きらきら草紙 | 新かな/新字はイヤダカラ、イヤダ―別冊太陽の百間特集

    新かな/新字はイヤダカラ、イヤダ―別冊太陽の百間特集 内田百けん―イヤダカラ、イヤダの流儀 (別冊太陽) この商品をレビューしたブログ一覧» 評価: --- 平凡社 ¥ 2,415 (2008-08) ふたたび百間の旧かなに拘ってみたい。試しに『第二阿房列車』の「雪中新潟阿房列車」の冒頭の一文を各社版から引いてみる。 先ずは福武文庫版(1991年11月刊)から。 上野新潟間の急行七◯一、七◯二列車、「越後」と云うのに初めて乗ったが、その出足の速い事、走れば揺れる揺れ方が律動的で、線路の切れ目を刻む音も韻律に従って響いて来る様に思われた。 何度も書いているが、百間の生誕百年の1989年以降に出た文庫は、全て新かな/新字に改訂されており、当然福武文庫版は新かな/新字が使われている。以下、中村武志の説明である。 1989年は百間の生誕百年であった。これを

    Kochel
    Kochel 2008/12/09
    正字正かなで百間先生が讀みたい!(`・ω・´)