-渋沢栄一と「青い目の人形」展開催にあたって- 1927年、アメリカから、日米の親善を願って約12,000体の可愛い人形が、太平洋を越えて日本に贈られたことを知っていましたか?その目的は、排日移民問題が過熱する日本とアメリカの児童たちの間に、友情交流を結ぶことでした。この人形交流を両国に呼びかけたのが、アメリカの宣教師シドニー・ルイス・ギューリック、そして日本側で人形の受け入れに尽力したのは、渋沢栄一でした。日本では、当時流行していた童謡の効果もあり、「青い目の人形」と呼ばれ人々に親しまれました。 ギューリックは、1888年に来日してから20年間、大阪、松山、京都で布教や教育に携わった親日家でした。 ギューリックは、日本には古来から五月人形や雛祭りといった人形文化が根付いていることに注目し、「good-will between America and Japan.(日米間に親善)」を築くた