タモリと漫画アニメに関するLittleBoyのブックマーク (5)

  • 藤子不二雄A先生「笑っていいとも!」出演! - 藤子不二雄ファンはここにいる

    日(28日・火)、藤子不二雄A先生が「笑っていいとも!」テレフォンショッキングのコーナーに出演されました。 A先生ご入院・手術の報に衝撃を受け心配していただけに、A先生のお元気な姿を拝見できて感無量です。 「文藝春秋」のエッセイで“これからは病気自慢をしていく”みたいなことを書いておられたので、今回はご病気の話が中心になるのかなと思っていましたが、「歳をとって弱った」という表現はあったものの、病気について具体的に言及されることはありませんでした。 A先生がテレフォンショッキングに出演するのはこれが3度目なのですが、タモリさんの興味もあってか、毎度偏の話題になります。 今回も、 “20歳のとき上京して手塚先生にウナギをおごってもらったことがある。ひと切れべたら鼻血が噴き出した” “べることにあまり興味がない” “春先はタケノコ、夏はスイカ、秋はマツタケ、冬場は干した山菜を主にべてい

    藤子不二雄A先生「笑っていいとも!」出演! - 藤子不二雄ファンはここにいる
    LittleBoy
    LittleBoy 2013/05/29
    “タモリさんは芸能界に入ったばかりのころ、A先生と大橋巨泉さんが呑んでいるところへ(略)。A先生はイイ人なんですが、巨泉さんはあんな悪い人(笑)なので、どうしてこの2人が仲が良いのか不思議だった”
  • ZAKZAK

    赤塚さんとタモリ、ロウソクショーやフンドシ姿で共演 山下洋輔が語る“爆笑時代” ジャズピアニストの山下洋輔さん(クリックで拡大) ジャズピアニストの山下洋輔(66)が、2日に死去した漫画家、赤塚不二夫さんとの思い出を語った。1970年代、タレントのタモリ(62)らをともに発掘した“爆笑時代”を振り返る。 赤塚さん初体験は、ぼくが大学生のとき。妹が持っていた「おそ松くん」を読んで、べていたご飯を吹きだすほど爆笑した。 69年に初アルバム「ミナのセカンド・テーマ」を出したときジャケットに赤塚さんのイラストを描いてほしくて、漫画家の長谷邦夫さんを通して、お願いをしたんだ。快く“ベシ蛙”が『きくべし!!』と言っているイラストを送ってくれたんですよ。 私たちが初めてタモリを連れて行ったのは新宿コマ劇場近くの『ジャックの豆の木』という伝説のバーです。筒井康隆さんや赤塚さんたち、論客ばかりがそろう場所

  • これでいいのか サンデー毎日 2000年6/4号

    今週の弔問客 タケカワユキヒデ  先週に引き続き、東京都内、某大学病院の病室である。  〈トゥルル・ルル・ル・ルル・・・・・〉 天使「あ、電話。でも何だか消え入りそうな音ですよ」 赤塚「もしもし。あっどーもその節は。(天使に)おい、オブチさんだぞ」 天使「あの世からブッチホン!」 赤塚「霊界の先輩として相談に乗れって?こっちもこれから弔問客が来るから忙しいんだよ。冷たいって、だって死体だもの。分かった、ちょっと待っててよ」 天使「ブッチホン待たせる人も珍しい」 タケカワ「今日は宝物を持ってきたんですよ」(と、赤塚漫画のスクラップをずらりとテーブルに広げる) 〈タケカワユキヒデ 1952年埼玉県生まれ。76年、ゴダイゴを結成「ガンダーラ」「銀河鉄道999」など多くのヒット曲を生む。無類の漫画好きとして知られる〉 赤塚「すごいねえ!くだらないことばっかりやっていたなあ

  • 赤塚の前に赤塚なし、赤塚の後に赤塚なし

    赤塚不二夫が亡くなってしまった。寝たきりになっていたことを知った日から、いつかこの日が来るだろうということは分かっていたつもりだったけれど、それでもちょっと精神的にくるものがある。それほど赤塚作品が好きだったわけではないんだけれどなあ。どっちかというと、手塚治虫や藤子不二雄の方が好きだ。なんていうか、メインストリートを歩いているタイプの漫画家とはまたちょっと違う、裏街道の様な作品を描いているイメージがあったなあ。 そういえば、赤塚不二夫も手塚治虫・藤子不二雄らと同様に「トキワ荘の住人」だった筈なのに、どうもそのイメージが弱い。たぶん、他のメンバーのキャラクターが濃い口だったからだと思う。イイカゲンで自由気ままな森安直哉とか、マジメが服を着て歩いているようなつのだじろうとか、ラーメン大好き小池さんのモデルになった鈴木伸一とかに比べると、赤塚不二夫はかなり地味だった。いや、それどころか、朋友の

  • 巨星、墜つ - 「Loser's Parade」

    「天才バカボン」などのギャグ漫画で一時代を築いた漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、名藤雄=ふじお)さんが2日夕、東京都内の病院で死去した。72歳だった。旧満州(現中国東北部)出身。葬儀は未定。 ⇒http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080802-00000124-jij-soci 51 名前:名無しさん 投稿日:2005/03/22(火) 00:17:36 タモさんと赤塚不二夫の対談、うろ覚えだけど。 タモさんはデビュー前に赤塚先生の家に下宿し、毎月おこづかいを貰うような 親密な間柄で、師匠としてあげているのは赤塚先生なんだけど、その先生 との対談で、 「俺もその内死ぬよ……」 みたいな事を、(末期がん発覚後なのかな?)を言ったら、タモさんは暫く 黙った後で、 「まぁ、あんたの葬式もムチャクチャなんだろうなぁ。でもまぁ楽しんでやるよ」 みたいな事を

    巨星、墜つ - 「Loser's Parade」
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