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ま、こんなもんでしょ……。 土曜日にやっていた「テレビ朝日が伝えた伝説のスポーツ名勝負」は基本的にはとてもおもしろかった。近鉄対ロッテにおけるジョークすれすれの神がかった大試合。リーグ優勝がかかった7時間を超えるダブルヘッダー。まるでマンガ「アストロ球団」のよう。これは泣けた。 しかしアリ対猪木のあのスタンスはどうか。いわゆるがんじがらめのルールのなかで懸命に真剣勝負をやった猪木。この猪木ベビーフェイス説に乗っ取った物語が大いに不満だった。そのあたりは大傑作「1976年のアントニオ猪木」が詳しい。 アリという超スーパースターに無理難題をつきつけられる猪木という物語。それがのちに猪木側がこしらえたストーリーなのは格闘ファンの間で有名だ。猪木は超エゴイストの人でなしであり、しかし過去のあらゆるカリスマ政治家や宗教家と同じくらいの天才アジテーターで、偉大な肉体表現者でもあった。そして関わった人間
グレイシー柔術の創始者であるエリオ・グレイシー氏が29日(木)、ブラジル・リオデジャネイロで亡くなった。95歳だった。グレイシー柔術を扱う雑誌の公式サイト『GRACIEMAG.com』などが伝えている。 エリオ氏は、日本人柔道家・前田光世がグレイシー一族に教えた柔術の技術を基に、現在のグレイシー柔術を築き上げた創始者。総合格闘技(バーリ・トゥード)のパイオニアでもあり、日本人では柔道家・木村政彦、加藤幸夫と対戦。43歳の時、自らの弟子だったヴァウデマー・サンターナと戦い、3時間以上の激闘の末敗れ、現役を引退した。 “400戦無敗”で知られる三男のヒクソン・グレイシー、六男のホイス・グレイシーの父親としても有名で、ブラジリアン柔術十段で柔術の象徴的存在として敬われていた。また、08年2月からはヒクソンを会長とする全日本柔術連盟(JJFJ)の相談役も務めていた。 【関連】 伝説の「猪木
DEEPマットで鈴木みのるvs.ミノワマンのプロレスラー対決が実現! 2月10日に開催される「DEEP&CMAファン感謝祭2009」(東京・後楽園ホール)の対戦カード発表会見が16日、都内・DEEPジムにて行われ、鈴木みのるとミノワマンによるプロレスルールでの一騎打ちが決定した。会見にはみのるとミノワマンが出席し、早くも両者の間にはピリピリとした空気が立ち込めた。 当時所属していたパンクラスで先輩(みのる)と後輩(ミノワマン)の間柄であったためか、ミノワマンは終始緊張した面持ち。「今回、鈴木さんと試合をすることになりました。ルールは相手の土俵のプロレスルールで勝負したいと思います。これがプロレスデビューだと思って、自分自身のプロレスをぶつけたい」と消え入りそうな声で切り出すと、さっそくみのるが噛みついた。「美濃輪と一緒に(パンクラスで)やっていて、それから離れて何年か経つけど、俺のこと
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081121#p7 のとおり GONG(ゴング)格闘技2009年1月号 出版社/メーカー: イースト・プレス発売日: 2008/11/23メディア: 雑誌この商品を含むブログ (5件) を見る※ようやく最新号のはまぞうがでたので差し替えた 今回、ゴン格は井上雄彦が出たり(いきなり漫画界のトップが登場かよ!)大槻ケンヂのインタビューがあったり、石井父が出たりとすごい角度から話が出ているのだが、ひとつ何か印象に残っているのが、2Pと決して長くは無い、坂口征夫インタビューだった。 まず、引退云々に関しては、格通の、父親である坂口征二インタビューも関係しているので NHBニュース( http://blog.livedoor.jp/nhbnews/ )とダブルポストで。 ■坂口征夫 格闘技通信の坂口征二インタビューで長男に触れ「もうすぐ
北京五輪柔道男子100キロ超級金メダリストの石井慧(21)=国士舘大4年=が3日、大阪市内で行われた後援会の祝賀会で、総合格闘技への転向を正式に表明した。石井は10月末に全日本柔道連盟に強化指定選手の辞退届を提出。注目を集めた進路問題は、現役金メダリストのプロ転向という前例のないかたちで決着した。 石井は祝賀会の席上で「今日をもちまして柔道をやめ、プロ格闘家に転向することが決まりました。これから努力して、総合格闘技の世界でチャンピオンになりたいと思っています」とプロ転向を表明した。 石井は全柔連の幹部に10月初めにプロ転向の意思を告げていた。転向表明をこの日まで持ち越した理由について「気持ちは早く決まっていたが、みなさんの前で、自分の口から告げたいという気持ちがあった」と話した。 石井は大阪府茨木市出身。国士舘大2年の2006年4月、柔道日本一を決める全日本選手権を史上最年少の19歳4カ月
* 画像提供: 長めのカーリー・ヘアにアゴひげなど、いかにもテキサス州出身男といった雰囲気で人気があった、元世界ミドル級チャンピオン、まだ37歳のエヴァン・タナーが、8日カリフォルニア州のパロ・ヴェルデの乾燥しきった山岳地帯で、変わり果てた姿で発見された。 2005年2月から6月まで世界ミドル級チャンピオンに君臨したが、タイトル初防衛を果たせずその後2年ほどブランクを味わった。復帰を賭けて挑んだ2008年3月の岡見勇信との対戦でも敗れ、同年6月を最後にリングに上がることをしなくなった。 その後は食べ物も口にせず、人とも会わず、お酒まみれの日々を過ごし、あるいは自然界と触れ合うようにふらっと出かけたりしていたエヴァン。唯一ブログだけが自分表現の場となり、その辺りの心の中の闘いも、ブログでは正直につづられていたという。 ただし、同じ場所に6ヶ月以上住むことを好まない性格でもあったようで、マネー
割り込みで、オリンピックネタ。 タイトルの件だけど、ふと疑問に思って、録画して繰り返し見てみたがよくわからない(角度も悪い)。2ちゃんネタにしてみたが、どうも的確(と自分が納得出来る)回答がない。インタビュワーも誰も突っ込まない。 自分は、1)相手の左腕に対して、変形の腕ひしぎ肩固め風に、肘あるいは肩を極めていたように見えた。それに対して、出た異論。 ※後注:この名前間違いです。追記4参照。 2)その前の転がるモーションで頭を打っていた。 3)その前の転がるモーションで首が極まっていた(これは反則らしい)。 が、いずれも、その後の内柴が押さえ込みに入った体勢に入ってからも、しばらくは相手選手が、内柴の左足の裾を右手で引っ張って抵抗しているので、素直に肯定し辛い。数秒後に、内柴に抱え込まれた逆の左手が伸びきり、その瞬間、裾を引っ張っていた右手を離し、内柴の左足を叩き、直後に床を叩いている。勿
先日の「DREAM.5」で行なわれた秋山成勲vs柴田勝頼。戦前から柴田が勝つ目は薄いとは思っていたものの、出る前に負ける事考えるバカがいるかよ! 時は来た、それだけだ! という格言もあるので黙って観た。秋山は、当たり前のように柴田を下した。 オレが柴田に期待していたのは、勝つことではない。一瞬でもいいから、秋山のナマの顔を引き出して欲しかったのだ。 柔道時代は知らないが、総合デビュー後の秋山の試合はすべて見てきた。秋山という男、リングの上ではほとんど「裸の顔」を見せたことがない。秋山は、対戦相手を見ていない。眼中にない。いや勿論格闘技であるから、秋山だって相手のことは見ている。しかし、そういうことではないのだ。 秋山は、たとえば川尻達也が五味隆典を見ていたようには対戦相手を見ない。秋山は「思い」をこめて相手を見ない。秋山にとって、対戦相手はただ「対戦相手」というノッペラボーにすぎない。秋山
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