稀代の悪役レスラー・ダンプ松本の半生をモチーフにしたNetflix配信ドラマ『極悪女王』が大きな話題となっている。作中でも扱われている1980年代の全日本女子プロレスの人気は凄まじかった一方で、その栄華は振り返ってみれば一瞬の夢のような短さでもあった。あまりに華やかだった“全女”と、それを作った“松永一族”の栄枯盛衰を、キーマンの証言で振り返る。《全2回の2回目/前編を読む》 クラッシュ・ギャルズの引退後、会場に閑古鳥が鳴いた全日本女子プロレス(全女)は、他団体との「対抗戦」に活路を見出そうとした。 長きにわたり、国内唯一の女子プロレス団体として市場を独占していた全女だが、1986年に秋元康プロデュースによる「ジャパン女子プロレス」が旗揚げ。90年代に入ると大仁田厚のFMWに女子部門が設置されたほか、前述のジャパン女子から分派したLLPW、JWPなども誕生。そこで対抗戦が始まったのは、多団