古代の豪族、物部氏(もののべし)の武器庫だったとされる石上神宮に伝えられてきた 「七支刀(ななつさやのたち/しちしとう)」 は、全長74.8cmの刀剣で、百済(ペクチェ※)で製造されたと考えられています。刀身の両側からは枝が3本ずつ互い違いに出ており、実用的な武器ではなく、祭祀(さいし)的なシンボルとして用いられたと考えられています。 刀身の表と裏には、60余文字ある銘文(めいぶん)が金象嵌(きんぞうがん)で施されています。解釈には諸説あり、鉄剣のため腐食した部分があって読み取れない部分もありますが、「百済王が倭国(わこく)に献上した」あるいは「百済王が臣下たる倭国に渡した」と解釈されています。また、銘文の冒頭には「泰□四年」と象嵌されていることが確認でき、これを東晋の元号「太和四年」(「太」と同じ発音である「泰」の字を使用)のこととして、369年に鋳造されたと解釈するのが一般です。 また