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日本語が亡びるときに関するMACKEY32のブックマーク (17)

  • 日本語は奇跡の言葉:水村美苗(小説家)(1)(Voice) - goo ニュース

    語は奇跡の言葉:水村美苗(小説家)(1) 2009年2月20日(金)09:00 取材・構成 尾崎真理子(ジャーナリスト、読売新聞文化部記者) たとえ世界経済が多極化へ向かおうとも、「英語」という文化の“貨幣”はますます一言語だけ強くなる。日語、ならびにフランス語やドイツ語ロシア語さえも、21世紀を生き延びていくのは難しい――。そう予言する作家・水村美苗さんの評論『日語が亡びるとき』(筑摩書房)をめぐって、盛んな論議が巻き起こっている。 いずれは英語を第二公用語とするために、日は国民総バイリンガル化をめざして、英語教育を強化すべきか、あるいは「国語」を固守すべきなのか。それにしてもなぜ、多くの日人は、かくも英語が苦手なのだろう……。 さまざまな難題に、豊富な学識と異文化との狭間に立った体験から答えを示しつつ、水村さんはインターネットによって加速する文化のグローバリズ

  • 違う目から見た「日本語」 - 日々の色々・The colour of the sun

    はじめまして、「しお」と言います。5年前から日に住んでいるカナダ人です。趣味自転車でぶらぶらすること、東京の路地裏を歩き回ること、カフェを発見すること、ブログを読むこと、言語について考え(すぎ)ること、翻訳すること。暗い映画が好き。納豆が嫌い。 「The colour of the sun (日々の色々)」というこのブログは、私たち3人の友達の、自分の言葉ではない日語で、自分の国ではない日について一緒に考える、調べる、議論するところです。母国語ではない日語が私たちの共通語。この「外国人の共通語としての日語」、またこの「ズレた視点から見る日」というのが、不思議に聞こえる、不思議に思えるかもしれない。でも「不思議」だからこそ「面白い」、そこがこのブログの出発点です。 日語と外国語 (岩波新書) 作者: 鈴木孝夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1990/01/22メディア:

    違う目から見た「日本語」 - 日々の色々・The colour of the sun
  • 「日本語が亡びるとき」と「母の本能」と「多様性」 - michikaifu’s diary

    ウルトラ長文御免。 友人の間ですでに一回り話題が一巡して終わっている、水村美苗著「日語が亡びるとき」をようやく入手できたので読んだ。事前に思ったよりはるかに、私の「肌感覚」で感じていることに近い話であり、また後半に熱く語られる彼女の「主張」の部分については、私の素人としての漠然とした意見を「よくぞ言ってくださいました」と喝采したい。ほぼ、全面的に賛成である。 日語が亡びるとき―英語の世紀の中で 作者: 水村美苗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/11/05メディア: 単行購入: 169人 クリック: 12,657回この商品を含むブログ (459件) を見る 1.私自身の独白 私は、水村さんよりもずっと半端なバイリンガルながら、彼女の言う「読まれるべき言葉」の連鎖になんとかはいりたい、とずっともがき続けている身である。私自身、これまた彼女の定義する、広い意味での「翻訳者」と

    「日本語が亡びるとき」と「母の本能」と「多様性」 - michikaifu’s diary
  • むらログ: 『日本語が亡びるとき』

    のっけからモンゴル人とベトナム人が登場するので、何だか運命的な出会いを感じて一気に読んでしまいました。 この『日語が亡びるとき―英語の世紀の中で』は梅田望夫師匠がブログで「日人なら全員読め」と書いていた上に、例のtwitterでの炎上事件があって、さらに有名になったです(今になって思うと、あれはわざと炎上させたんですよね)。の内容はamazonのレビューなり梅田師匠のエントリーを参照していただくとして、日語教師である私にとって面白かった部分をご紹介します。 まず、何と言っても第四章「日語という国語の誕生」。著者の水村美苗さん独自の視点が非常に面白いです。ここでは水村さんは日語が国語として誕生し得た条件を以下のように三つ挙げています。 1.「現地語」で書かれたものの地位が高く、「現地語」が成熟していたこと。(村上注:「現地語」は「普遍語」であった漢文に対する日語のこと) 2.

  • 2009年からはこれでいく! | Entrepreneurshipを探る旅

    昨年12月に行なわれた気候変動枠組み条約の会議(COP14)という国際会議の場では、あきらかに悪意のある質問がなされることが往々にしてある。国益をかけて交渉するわけだから、当然といえば当然だが、そこで使われる言語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、 アラビア語の6言語。中国人は母国語の中国語で話せば通訳がつくが、日人は、主に、英語で戦うことになる。 このような現場を目の当たりにして痛感したことの一つは、いかに英語を「自由自在」に操ることが大切かということ。「自由自在」というのは、英語のロジックを理解した上で、英語の表現を使って、相手を捩じ伏せることができるまでのレベル。ビジネスの現場というのは、利害が対立していても、時間的な制約や経済的な制約などから、なんらかの妥協点というものが比較的容易にみつかる。しかし、さらにその上のレベルになって、政治的が濃くなると、さまざまな要素

    2009年からはこれでいく! | Entrepreneurshipを探る旅
  • 福翁の「はげしい」勉強法 (内田樹の研究室)

    文部科学省は22日、13年度の新入生から実施する高校の学習指導要領の改訂案を発表した。「英語の授業は英語で行うのが基」と明記し、教える英単語数も4割増とする。 高校の改訂案では英語で教える標準的な単語数が1300語から1800語に増加。同様に増える中学とあわせて3千語となる。中高で2400語だった前回改訂の前をさらに上回り、「中国韓国教育基準並みになる」という。 改訂案は「授業は英語で」を初めてうたった。長年の批判を踏まえ「使える英語」の習得を目指すという。(12月22日朝日新聞) 水村美苗さんの『日語が亡びるとき』を読んで、「英語の言語的一元支配」が「現地語文化」をどのように滅ぼすことになるのかについて暗い予測をしているときに、こういう記事を読まされると、ほんとうに気が滅入る。 すでに現在の日の高校生の英語学力は壊滅的なレベルにある。 それは「文法、訳読中心の授業のせいで、オー

  • 梅田望夫×水村美苗の対談をヨムヨム(1) - pablo-pabloの日記

    『新潮 2009年1月号』(ひとかげ様の指摘によって、『文學界』ではないことが判明しました。)で梅田望夫と水村美苗の対談を読んでみたので、その感想を書いてみようと思う。現在、雑誌が手元にないため、ページ数がわからなくなっている部分はあとで、足します。 一度、アメリカに行ったあと、「日語に帰ってきた」二人の話は非常に興味深かった。こちらの対談を読んでから『日語が亡びるとき』を読めば、水村がどうしてこういう内容のを書いたのか、ということがよくわかる。 この対談のキーワードは「日語に帰ってくる/来ない」と「パブリックな精神」だと自分は思った。 水村がその著書『日語が亡びるとき』のなかで危惧していたのは、英語が〈普遍語〉として機能し、英語圏に叡智がどんどん集積されてゆくような現代(英語の世紀)では、優秀な頭脳を持つ日人たちは日語の世界を出て、「帰ってこなくなる」のではないか、というこ

    梅田望夫×水村美苗の対談をヨムヨム(1) - pablo-pabloの日記
  • asahi.com(朝日新聞社):英語で授業…「正直、無理」 高いハードルに先生困った - 社会

    英語で授業…「正直、無理」 高いハードルに先生困った(1/3ページ)2008年12月23日9時4分印刷ソーシャルブックマーク 東京都立国際高校の「総合英語」の授業。ほとんど英語だけで進められる=東京都目黒区英語の授業は英語で行うことを基に」。22日公表された、13年度からの高校学習指導要領改訂案でこんな方針が示された。文科省は「難しい内容は日語でもいい」「生徒の理解に応じて配慮を」と言うが、それでもハードルは高い。学校現場でうまく生かせるのだろうか。 「What was Matilda’s wish?」(マチルダの願いは何でしたか)「To live with Miss Honey」(ミス・ハニーと一緒に暮らすことです) 東京都目黒区にある、都立国際高校の1年生「総合英語」。児童文学に沿って英語だけのやりとりが続く。文中の「will」の意味を教員が尋ねると、すぐ「遺言です」と答えが返

  • 「日本語が亡びるとき」水村美苗(@筑摩書房) | haruharuy劇場

    梅田望夫が人のブログの中で紹介した。 するといきなり、ある日のアマゾンの売り上げが1位になったそうである。 と、同時に書に対しての様々な意見が梅田氏のブログに集中的に集まり 炎上状態になったそうである。 梅田氏は冷静に、まず書を読んで見てくださいと書き込んで 傍観を決め込んでいた。 そして、あっと言う間に、この問題はどこへいったのやら、という状態に戻っていったらしい。 WEBの真実がここには良く現れている。 そのWEBの進化によって英語という「普遍語」が浸透し、英語の世紀になった。 その中で、我々はどうやって言葉と対峙していかなければならないか? ということに真摯に向き合ったのが書である。 決して、危機感を煽る目的で書が書かれているわけではない。 書を読むと著者の水村さんがいかに日語を愛しているのかがわかる、 それも明治時代からの書き言葉と喋り言葉が微妙に交じり合い 混沌とし

    「日本語が亡びるとき」水村美苗(@筑摩書房) | haruharuy劇場
  • 日本語が「亡びる」ってどういうこと? - pablo-pabloの日記

    現在、ウェブ上で議論を巻き起こしている水村美苗の『日語が亡びるとき』について書いてみたい。 このは、かなり批判を浴びている。仲俣さんのように、水村の物言いや彼女が現代文学に対して抱いている考えに反発する人たちがいることもよく理解できる。 でも、ディテールや水村の書き方をいったん「よこに置いた」上で、水村がどうしてこういうを書こうかと思ったのか、何をこので伝えようと思ったのかということを考えることも大事なんじゃないかな。そうでないと、を読むということがつまらなくなってしまう。 僕は基的に著者が伝えてくれることを自分の糧にしたいな、と思いながらを読むので、今回は水村のが全体としてどんなことを伝えたかったのか、書いてみたいと思いました。もちろん僕の理解も完璧ではないし、ところどころに穴があるけれど、「少なくともこの部分は受け取った」と思う部分について書きました。5800文字くらい

    日本語が「亡びる」ってどういうこと? - pablo-pabloの日記
  • 水村美苗 + 梅田望夫

    ハワイ大学アメリカ研究学部教授、吉原真里のブログです。『ドット・コム・ラヴァーズーーネットで出会うアメリカの女と男』(中公新書、2008年)刊行を機に、アメリカのインターネット文化恋愛結婚・人間関係、また、大学での仕事、ハワイでの生活、そしてアメリカ文化・社会一般についての話題を掲載することを目的に始めました。諸般の事情により、2014年春から2年半ほど投稿を中止していましたが、ドナルド•トランプ氏の大統領選当選の衝撃で長い冬眠より覚め、ブログを再開することにしました。 アメリカは、今週はイリノイ州知事の汚職発覚事件で大騒ぎでした。 ただ今発売中の『新潮』(私の連載の載っている『新潮45』ではなくて文芸誌の『新潮』のほうです)に、水村美苗さんとミューズ・アソシエイツの梅田望夫さんの対談が載っています。水村さんの『日語が亡びるとき』発売当初から、梅田さんはブログでこのをとても賞賛して

  • 「ウェブ進化論」以後の絶望 | FERMAT

    「ウェブ進化論」以後の絶望 December 08, 2008 op-ed / commentary authorjunichi ikeda share tweet 先日発売された『新潮 2009年1月号』で、水村美苗と梅田望夫が対談をしている。 [対談]日語の危機とウェブ進化/水村美苗+梅田望夫 先頃出版された、水村の『日語が亡びるとき』を、「新潮」掲載時点で、梅田が自分のブログで絶賛したことが、対談のきっかけのようだ。実際、ウェブ上では、梅田のブログをきっかけに、水村の著作にたどり着いた、という人が多いようだ。 水村の著作自体は、既にウェブ上では賛否両論が溢れている。ただ、賛否両論ということは、英語で言うprovocative(=論争を喚起するような問題作の属性をもつ)な要素を持つ著作だったことは明か。グローバル化の中の文化状況を、西洋中世のそれになぞらえて、英語を当時のラテン語の

    「ウェブ進化論」以後の絶望 | FERMAT
  • 日本語はすでに亡びている - 池田信夫 blog

    書はちょっと前にブログ界で話題になったようだが、が買って「つまらない」といって投げ出した。私もパラパラと読んでみたが、やはりつまらなかった。論旨が整理されておらず、何がいいたいのかよくわからないのだ。タイトルから日語が文字どおり使われなくなると主張しているのかと思って読むと、どうもそうではないようだ。要するに、このまま放置すると英語が<普遍語>になり、日語が<現地語>になって、日文学が亡びるので守らなければいけないということらしいが、これは認識として間違っている。少なくとも学問やビジネスの世界では、日語はとっくに現地語でしかない。 著者は「日文学の衰退」をしきりに憂えるが、私はローカルな文化としての日語は衰えないと思う。問題はむしろ日語が発達しすぎ、ほとんどの用がそれで足りるため、すべての文化が国内で閉じていることだ。国際学会に出ると、日語の発表はもちろん、日人の発

  • When Japanese Language Falls

    I decided to resume this blog. At the beginning of this week, both Mochio Umeda and Dan Kogai, who are ones of most famous blogger in Japan, mentioned a new non-fiction entitled "日語が亡びるとき―英語の世紀の中で" (in English, can translate "When Japanese Language Falls - in the Century of English Language") written by Minae Mizumura. This book is buzziest Book in Japan's Blogosphere. It suddenly got 1st positio

  • 英語の世紀で日本語を話せるよろこび : 404 Blog Not Found

    2008年11月11日19:30 カテゴリValue 2.0Logos 英語の世紀で日語を話せるよろこび 間違いなく、kennのエッセイのベスト。 英語の世紀に生きる苦悩:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan 私には、英語コンプレックスがある。 私にとっては、英語も日語も「外国語」というか、「マイノリティの言語」である。「英会話ヒトリゴト学習法」で触れたように、双方ともそれを話す人格はいるのだけど、圧倒的多数は、「オレ言語」というか、英語とも日語とも異なった思考法で思考している。最も異なるのは「文の流れ」で、英語も日語もString = 文字列 = 紐という形で「直列」に展開しているのだが、「オレ言語」では「全て」が「同時」に「目の前に現れる」。この感覚を他者に説明するのは難しい。が、「Stringではない」というところまでは伝わるかも知

    英語の世紀で日本語を話せるよろこび : 404 Blog Not Found
  • 英語の世紀に生きる苦悩:Kenn's Clairvoyance

    私には、英語コンプレックスがある。 米国で暮らすようになって三年が経ったけれども、いまだに思うように英語で話すことができない。むしろ、三年も経ってしまったのにこんなザマでどうしよう、という焦りからか、そのコンプレックスは肥大化を続ける一方である。 昔からそうだったわけではない。高校時代には普通科ではなく「国際科」と名のついたクラスに通い、カナダにホームステイなんかもして、試験でも一番いい点が稼げる得意科目が英語だった。むしろ、ちょっとばかり英語には自信があったほうなのである。 そのことは、私が幼い頃パソコン少年だったことと少し関係がある。当時から、コンピュータの世界の中心といえばアメリカだった。プログラミングをしていても、関数につけられた名前の英語のニュアンスがわからずに丸暗記せざるをえなかったのが、意味がわかってしまえばパァッと視界が開けて概念間のつながりや命名規則が見えるようになり、英

    英語の世紀に生きる苦悩:Kenn's Clairvoyance
  • 404 Blog Not Found:今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき

    2008年11月09日05:00 カテゴリ書評/画評/品評Lightweight Languages 今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日語が亡びるとき まずは書の存在を教えてくれた、梅田望夫に感謝したい。おかげでAmazonが在庫を切らす前に注文することが出来た。 日語が亡びるとき 水村美苗 弾言かつ断言する。 日語で何かを成しているものにとって、書をひも解くことは納税に匹敵する義務である、と。 書「日語が亡びるとき」は、今世紀においてこれまで書かれた中で、最重要の一冊(誤読が多かったので、少し表現を具体的にしてみた。確かに元の「今世紀」だけでは今後書かれるも含まれてしまう)。 ノンフィクションのを紹介する際、ふだん私はここに目次を入れているのはblogの読者であればご存知かと思う。しかしこと書に限っては、それは、入れない。隅から隅まで、頭から順番に最後まで読まれな

    404 Blog Not Found:今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき
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