水田稲作と土壌肥料学 (2) 1. 水田稲作とコメ自給率の歴史 日本は 「瑞穂(みずほ)の国」 と言われ、弥生時代から近年まで水田稲作を食料供給の基盤としてきた (写真1)。江戸時代までは、日本の食料自給率はほぼ100%で、飢饉(ききん)で多くの餓死者が出た場合を除いて、コメが日本人の生命・生活・文化を支えてきたと言えよう。コメの不足分は、ヒエ、アワ、キビ、ソバなどの雑穀類の生産で補った。 明治時代になって日本の人口が増加し始めると、人口の増加にコメの生産が追いつかなくなり、これを埋めるための政策が打ち出される。一つは湿地帯や原野の開拓であり、農耕地の拡大が進められた。二つ目は農業技術の改良であり、欧米の知識や技術の導入が積極的に行われ、コメの単収(単位面積あたりの収量)が向上した。これらの施策によって、国内の人口増加に対する食料供給をなんとかクリアした。 大正時代になると、日本の人口はま