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障害者に関するMASASCIANTEのブックマーク (5)

  • 重度障害者の命の価値は「ゼロ」なのか? - 新しいTERRAZINE

    (息子を亡くした母親)「息子の障害児の命って何なのでしょうか?命の尊厳どころか生きている価値さえないと言われているようなものです」 2005年8月、重度の障害を持った男性がバスを降りた際、ヘルパーが目を放した隙に道路へ飛び出し、乗用車にはねられ死亡した。当時17歳の長男に対して、運転手の保険会社が示した賠償額は意外なものだった。「逸失利益」、つまり、長男が生きていれば、将来に得られたはずの収入を「ゼロ」と算定したのである。長男には重度の障害があり、仕事はできないということが、その理由であった。 長男の両親は、命の対価とされる逸失利益が、障害者という理由でゼロなのは明らに不当、差別だとして、加害者の運転手らを相手取り、同年代の健常者と同じ逸失利益を含む、およそ7300万円の損害賠償を求めている。息子を亡くした長男の母親と、弁護士は被害者の労働能力を重視しすぎる、今の損害賠償額の算定方法に問題

    重度障害者の命の価値は「ゼロ」なのか? - 新しいTERRAZINE
  • http://d.hatena.ne.jp/i_orita/20070225

    MASASCIANTE
    MASASCIANTE 2007/02/26
    「弱者が、弱さを振りかざす、という批判は(中略)弱者が考える問題ではなくて、強者の側が考えるべき問題だ」って、そうか? “べき論”にするからウザがられるんじゃね?
  • Backlash to 1984-「怒らないで下さい」と彼女は言った

    何かと言えばすぐ差別だ差別だというアレの問題は、私も同感なのだが、北沢かえるの働けば自由になる日記←その日の出来事そのものは、お二方のお母さんどちらも、私はさほどに非難する気にはならない。なぜって、母親が咄嗟に「我が子を守るため瞬時に鬼と化す」のは、これは仕方ないだろう。誰が何と言おうが、我が子へのいきなりの攻撃に対しては身を張って阻止しようとする、咄嗟の行動。また、子にとっても「何があっても、お母さんだけは自分を守ってくれる」という安心感は、幼少の頃にはあったほうが良さそうだ。もちろんお二方ともエスカレートしてからの部分は「これでこそ良い」と言えるものでもないが、父親や第三者による、ことの内容の良し悪しその他の助言や苦言は、お二方の咄嗟の言動を責め立てることではないはず、と思う。まずは、お母さんどうしのこの種のぶつかり合いそのものには、母親という立場や感情に寛容であってほしい。次なる話は

    Backlash to 1984-「怒らないで下さい」と彼女は言った
    MASASCIANTE
    MASASCIANTE 2007/02/26
    「先方のお母さんは、我が子が予想外の突発的な自傷他害行動に出るのを防ぐためにも、怒声を浴びせないでください、ということであった可能性」。自分の子供が危険に晒されてるのに、瞬時にそこまで推察できたら神。
  • ひとりをちょっと見ただけじゃわからないと思う - リツエアクベバ

    その老人が、障害を持つ少年に席をゆずらなかった理由/Not Found 昔、僕が都電を利用していた頃の話。僕が都電に乗っていると1人の知的障害者らしき小学生が乗ってきた。そして、優先座席のところへすたすたと行き、「座らせてください!」と大声を発した。そこにはおじいちゃんが座っており、少し驚いた様子で、「え?」と少年に聞き返した。少年は「座らせてください」と復唱した。そして、間髪いれずに「障害者なので座らせてください!」と繰り返した。 この話を読んで、そしてその後に続く文章を読んで。ふうんそうなるのかあ、と思った。そしていわゆる知的障害児の親ってのを15年やってきて、自分の観点ってのも一般と変わったのかもしれないとも思った。いわゆる一般ってのがどういうものかもよくわからないけれど。 この話、まず思うのは、この「障害者なので座らせてください」という言葉が出る理由、なぜか、ということ。誰が言った

    ひとりをちょっと見ただけじゃわからないと思う - リツエアクベバ
    MASASCIANTE
    MASASCIANTE 2007/02/26
    森に棲んでいると木が見えなくなる(≒見たくなくなる)場合。
  • 北沢かえるの働けば自由になる日記 - 書いて置けよ、わかるように

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    MASASCIANTE
    MASASCIANTE 2007/02/22
    親が自分の子供を守ろうとするのは当然。差別主義者と罵られても、親でありたい。
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