ブックマーク / note.com/cyborgmsx (11)

  • 科学万博物語③史上最大ジャンボトロンMSXロードランナー大会|サイボーグMSX

    誰しもが人生で忘れることのできないゲームの一場面があると思います。日の科学技術を結集したつくば万博の象徴だった、超巨大TVジャンボトロン。この怪物を使用したMSXのロードランナー大会が1985年の夏休みに開催されました。未来を担う子供達へのプレゼントであった科学万博。その最大の名場面はこの大会だったと思うのです。今回はMSX歴史に残るイベントを体験した証人として、あの時の興奮を皆さんにお届けします。 ❶超ド級ディスプレイ・ジャンボトロン 小学館小学一年生より。「へたな人はやっぱりへたでーす」そりゃそうだ🤣 女の子が使用しているのはソニーのMSX初代機HIT BIT HB-55じゃないかな?でも傍にあるのが使えない8インチフロッピーディスクだったりします。 科学万博では映像関係の出展が多く、 会場のいたるところにブラウン管のモニターが設置されていました。 その頂点がジャンボトロンだった

    科学万博物語③史上最大ジャンボトロンMSXロードランナー大会|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/07/24
  • MSXに影響を受けたソ連のPC達|サイボーグMSX

    前回はソ連でMSXを目標に作成されたパソコンを紹介しました。しかしそれ以外にもMSXに影響を受けたと思われるソ連製のパソコンがあるんですよ。 МС0511はデザインもMSX2に酷似ソ連では1980年代には国産パソコンの展開が格的に始まったのですが、ソ連で高い評価を受けた教育MSX「YAMAHA KUVT」の後継機種も開発されました。 1987年のМС0511の最大の特徴は二つのカートリッジスロット。またキーボードと一体型の構造や、そっくりのフォント、搭載ベーシックなどはMSXそのものという感じです。ただ内部的にはPDP-11というミニコン系列の16ビットCPUを持つなどMSXとは全く別の構造です。 この動画ではМС0511とMSXとの関連についてコメントしています。メガドライブとの対比も面白いですね フォントMSXそのまんまПК8020 元々は個人設計のPCだったコルベット(軍艦)の

    MSXに影響を受けたソ連のPC達|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/15
  • ソ連MSX物語⑨日ソMSXサミット・共感が生んだ奇跡|サイボーグMSX

    1985年の冬、聖地秋葉原に赴いたソ連MSXチームの任務とは…販売直後のMSXフロッピーディスクドライブを入手することでした。テープからFDDに移行出来れば自作の品質管理ソフトにおける作業効率は格段に向上します。しかしMSX1でFDDを接続するにはコツがいります。知識の全くない彼らは果たしてどうなるのでしょうか。 1983年の秋葉原。ソ連人から見ると店頭でPCを自由に触れるだけで衝撃でした。某パソコンショップ店のMSXブースでソ連技術者達はロシア語で捲し立てます。 「MSX-DOSって何だ?」 「メモリ32KBのヤマハCX11では駄目なのか?」 これをパソコンの知識がゼロの父が通訳するのですから、店長さんはすぐに根を上げました。 「いま店で一番MSXに詳しい物を呼びますので…」 現れたのはバイトの大学生でした。 85年には外付けのMSX用FDDが出揃いました。実際の購入のドタバタは次回に

    ソ連MSX物語⑨日ソMSXサミット・共感が生んだ奇跡|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
  • ソ連MSX物語⑧ついにパソコンの聖地秋葉原へ!|サイボーグMSX

    プロレスなら後楽園ホール、ムエタイならルンピニー・スタジアム、ゲームセンターなら巣鴨キャロット・・・それではパソコンユーザーが目指すべき聖地はと言えば、やはり秋葉原に他ならないでしょう。 MSXの魅力に取りつかれたソ連技術者たちが日へやってきたときに、真っ先に向かったのはやはり秋葉原でした。 時は1985年という冷戦真っ只中、東西が完全に分断されていた時代のお話です。MSXを世界最強のパソコンと信じて疑わなかった彼らは一体何を見たのでしょうか。 1986年の秋葉原。懐かしいロケット5号店前の光景。この時期の秋葉原には異様な熱気が街中に漲っていました。秋葉原の改札を降りると5秒で狂気のパソコン販売の洗礼を受けます。 ラジカン前の広場で「パソコン安いよ~」と叫ぶハッピ姿の客引きと、ずらりと並んだ展示用PCが彼らの度肝を抜きました。 「おい、ここは国営のPC生産拠点なのか?」 「いや、これは売

    ソ連MSX物語⑧ついにパソコンの聖地秋葉原へ!|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
  • ソ連MSX物語⑦暗黒の日を越えて・障害に屈しなかったMSXユーザー|サイボーグMSX

    1985年の旧ソ連アゼルバイジャンの首都バクー、父が密かにソ連に運び込んだヤマハMSXは僅か6台でした。問題は誰に割り当てるかです。前回紹介したユダヤ人技術者、父の右腕であるゲンナデ曰く 「グセイノフしかいない、奴は間違いなく数学の天才だ」 ユダヤ人の天才数学者であるゲンナデが言うのですから、その言葉には重みがありました。彼は以前工業高校の数学教師を務めており、グセイノフはその時の教え子だったのです。 「よしウチの部署に引っ張ろう。どこの所属だ?」 「街の清掃員だ。」 父は耳を疑いました。 「何故だ、そんな優秀な男が?」 彼は真顔で答えます。 「ここはソ連だからさ。」 1960年のバクー・壮観な光景の表通りの光景です。ソ連は国威発揚のため巨大建築物を好みました。これはロシア文化からの影響です。1960年代ソ連最盛期のバクーの隣接工業都市、スムガイット。 ソ連各地に存在したレーニンの像と広場

    ソ連MSX物語⑦暗黒の日を越えて・障害に屈しなかったMSXユーザー|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
    政府が「ソ連に障害者はいない」と豪語する実態は残酷だったのです。 →モスクワパラリンピックを開催しなかったのも同じ理由だったよね。
  • ソ連MSX物語⑤パソコンの黄金郷、日本へ!|サイボーグMSX

    MSXを生んだ日に行きたい!」 突然のソ連MSXチームの直訴に、父は思わずグルジアワインを吹き出しました。 「そ、そんな無茶な・・・」 ソビエトと言うとロシア料理を連想する方が多いですが、父の赴任先はアゼルバイジャンでトルコ系の料理です。メインは数々の香草を使用した串焼きのケバブ。トルコより優れている?のはイスラム教圏にもかかわらずソ連でお酒は飲み放題なこと! グルジアと共にワインの名産地でもあり、ロシア風にウオッカもガンガン飲みます😋ことの発端は父の昇進祝いでソ連MSXチームのメンバーと宴会をしていた時のことでした。 「工場でこれだけPCを活用しているのは俺たちだけだろうな」 彼らが自慢しているの聞いた父が 「君らは井の中の蛙だ。我が日にはもっと優れたパソコンの運用システムが山ほどあるぞ。」 と、口を滑らせてしまったのです。 「同志、日のコンピューター技術がソ連を凌駕しているこ

    ソ連MSX物語⑤パソコンの黄金郷、日本へ!|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
  • ソ連MSX物語④蘇った技術者たちの矜持|サイボーグMSX

    父の会社のソ連における担当工場は アゼルバイジャン・バクー(スムガイット) リトアニア・マジェイケイ ウクライナ・ハルキウ ロシア・クラスノヤルスク&エカテリンブルク この5か所で、その報告書を父は東京で毎月受け取っていました。父が現地に長期滞在して工場の立ち上げから関わったのはアゼルバイジャン・バクー工場だったのですが、バクー工場の成績が悪ければ父の面子は丸潰れになります。前回紹介したように父が骨を折ってMSXをソ連技術者たちに贈ったことは、このような背景があったのでした。 そのうちの一つエカテリンブルク・ウラル化学機械工場。写真は2017年現在も稼働中父は2017年の工場開設記念式典に招待されました工場の成績表は品質管理データです。この集計をPC8801mkⅡで行っていたと前回述べましたが、各工場に僅か一台の割り当てでした。 ひと月の生産量が万単位ですから半数以上がタイプライター、PC

    ソ連MSX物語④蘇った技術者たちの矜持|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
  • ソ連MSX物語③MSXに魅せられたソ連技術者の挑戦|サイボーグMSX

    皆さんは初めてパソコンを手に入れた日のことを覚えていますか?僕は興奮のあまり一睡もできず、夢の中でもMSXで遊んでいました。 1985年の夏にMSXを贈られた6人のソ連技術者達も全く同じだったそうです。仕事中も終業後もMSXのことばかり・・・ただ彼らが決定的に違っていたのは、PC雑誌やPCショップなどMSXの情報を得る手段が何もなかったことでした。 ヤマハのCXシリーズが選ばれました。MSXは8bit機なので違法ではないのですが、ココム規制の審査が厳しく申請に時間がかかり過ぎるため、音楽用途としてソ連に持ち込む必要があったためです。ソ連技術者達はあまりMSX BASICを使用しなかったようです。と言うのも付属している日語マニュアルが読めなかったからでした。父もパソコンには不得手だったため、完全にロシア語に翻訳出来なかったのです。その為彼らが真っ先に習得を試みたのは神々の言語と呼ばれるマシ

    ソ連MSX物語③MSXに魅せられたソ連技術者の挑戦|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
  • ソ連MSX物語②MSXに未来の可能性を見出した男達|サイボーグMSX

    父はプラント輸出の専門家でした。これは工場を丸ごと輸出するもので、三百種千台の工作機械・ノウハウ・整備・人員教育・アフターケアなどを全てを含めた巨大なプロジェクトです。 父の担当したウラル化学機械工場。写真は2017年で現在でも稼働中とのこと。父の会社の広報。スムガイト工場は第二次計画で、最終的に第五次まで拡張されました 父の担当したアゼルバイジャン・バクー工場(正確にはその隣のスムガイト市)は千人規模と言う巨大な物で、これだけのプラント輸出が出来る企業は世界でも限られていました。相手がソ連なら尚更です。 工場の最終的な能力は製造品の品質検査に集約されます。1970年の立ち上げ時にはそのデータ管理を全て手動で行っていました。 この物語の舞台となる1970年に父が初めて手掛けたバクーの工場最初期の工場のレイアウト設計図126×177メートル。その後20年間で大幅に拡張されました。納品機械の数

    ソ連MSX物語②MSXに未来の可能性を見出した男達|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
  • ソ連MSX物語①ソ連に渡ったMSXと冷戦を生きた技術者の記録|サイボーグMSX

    はじめに・・・皆さんに僕と父からのメッセージ この物語はソ連で長年仕事をしていた父が、MSXを通じて現地の技術者と交流した経緯を物語にしてみたものです。 教育用のパソコンとして個人贈与と言う形でMSXを彼らに贈ったことは全くの偶然でした。しかしいつしかMSXに熱中する彼らと父には国籍や人種を超えた共感が生まれ、多くのドラマを生むことになります。そして人類の歴史の転換点ともなった、ソビエト連邦の崩壊までを父の視点から綴っていければと思っています。 正直皆さんには旧ソ連にネガティブなイメージを持つ方も多いと思います。父もその体験上、ソ連共産主義体制に極めて批判的です。しかしこの物語は爛れゆく赤い帝国の中でも、MSXに限りない未来の可能性を見出し、技術者の矜持を取り戻していった男たちの記録なのです。そして父には日技術者として、僅かながらもソ連崩壊の一助になったという自負があるのでした。 冷戦

    ソ連MSX物語①ソ連に渡ったMSXと冷戦を生きた技術者の記録|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
  • ソ連のMSXとパソコンの歴史|サイボーグMSX

    ソ連でMSXが利用されていたことは有名なお話しですよね。僕が投稿したソ連MSX物語はあくまで父の個人贈与の話であって、オフィシャルな輸出用と言うことではありません。しかしソ連のパソコンの発展においてMSXが果たした役割は間違いなく大きなものでした。今回はソ連内でMSXが流通した経緯やパソコン事情をまとめてみようと思います。 ソ連にMSXが公式に輸出されたのは1985年のことです。ソ連の中学校の教育PCを、海外から導入することが決定したことが切っ掛けでした。これにはゴルバチョフのペレストロイカ政策が関与していて、同時にココム(対共産圏輸出統制)が若干緩和されたことが大きかったようです。とはいえやはり軍事転用の可能性がある16bitパソコンは禁止されており、国際共通規格である8bitMSXが注目されたのでした。 Mマガ89年3月号ソ連MSX特集。コピー機もないとの記述が当時を物語ります。グ

    ソ連のMSXとパソコンの歴史|サイボーグMSX
    MATCH1
    MATCH1 2025/02/03
  • 1