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ブックマーク / yab.yomiuri.co.jp (3)

  • 写真という西洋のアクシデント:新しい写真史の構築に向けて|教育 × WASEDA ONLINE|YOMIURI ONLINE

    写真という西洋のアクシデント――新しい写真史の構築に向けて 橋 一径/早稲田大学文学学術院准教授 写真を初めて見る人に、それはどのようなものに見えただろうか 写真は私たちの日常にあまりにも深く浸透しすぎていて、それがなかった時代を想像することすら難しい。家族や友人の姿が写真に写し出されるのを生まれて初めて目にした19世紀の人々の驚きは、いかほどのものだったであろうか。 幸いにもその様子を垣間見せてくれる史料が、私たちのもとには残されている。19世紀後半のベルギーで労働者としてつつましく暮らしていたガスパール・マルネット(Gaspard Marnette)の残した手記である。 20歳になってから1903年に亡くなるまでの日常が記載された、2000ページ以上に及ぶこの手記の中には、マルネットが両親のポートレートを写真館で初めて撮影してもらった際の顛末も記されている。年老いた両親の姿を写真に残

    写真という西洋のアクシデント:新しい写真史の構築に向けて|教育 × WASEDA ONLINE|YOMIURI ONLINE
    MINi
    MINi 2017/03/16
  • 流れない美術史:アンリ・フォシヨンの思索の現代性:オピニオン:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    大河としての歴史? 普通歴史といえば、過去から現代へと一の川のように流れていくものだとイメージされるだろう。そして歴史の一分野である美術史もまた、古代から中世、近代から現代へと移り変わってきたものだと考えられている。もし美術史の知識がある方なら、ロマネスクからゴシックへ、ルネサンスからバロックへという「様式」の歩みを思い浮かべられることだろう。邦訳されて日でも多くの読者を得ているH.W.ジャンソンやE.H.ゴンブリッチの西洋美術史が、まるで大河小説のような悠々たる流れを感じさせるのもむべなるかなである。この「大きな物語」としての美術史が、美術を愛好するわれわれにとって大きな歓びのもとであることは間違いない。 さてここに、そのような美術史のイメージに異議を唱え続けた美術史家がいる。第2次大戦のさなかに没したフランスの美術史家、アンリ・フォシヨンである。彼は1881年にフランス東部の古都デ

    MINi
    MINi 2013/07/25
  • 教育×WASEDA ONLINE

    無名の民家をたずねて 今和次郎『日の民家』再訪調査 中谷 礼仁/瀝青会、早稲田大学理工学術院教授(創造理工学部) 今から90年前の1922年、早稲田大学建築学科の教授になりたてだった今和次郎(1888-1973)が『日の民家 田園生活者の住家』というを上梓した。当時から失われつつあった日各地の家々の様子についての記録と論である。今和次郎は最近も回顧展が開かれ(現在は国立民族学博物館にて公開中、6月19日まで)、彼の生活の実相を見つめる態度とその精彩なスケッチが話題となっている。彼は最終的に生活学を提唱したが、彼の格的な研究作業のはじまりがこの民家調査であった。さて私は、瀝青(アスファルトの意)会という研究組織を組織し、今和次郎『日の民家』初版に収録されたおよそ50弱の民家のその後を追跡調査を、6年間かけて行った。その作業のまとめを『今和次郎「日の民家」再訪』(平凡社)として、

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    MINi 2012/05/15
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